提訴から40年、上告から20年。京都市の中国人留学生寮「光華寮(こうかりょう)」をめぐり、台湾と中国が所有権を争った裁判で27日、最高裁は中国 側に“軍配”を上げた。家主がアパートの住人に立ち退きを求めるという単純な構図だったはずの訴訟は、日本政府が台湾と断交し、中国を政府と承認した日中 共同声明で一変。外交の狭間(はざま)に埋もれ、40年を経て終結へと向かうことになった。
京都市左京区の留学生寮「光華寮」は、外壁が黒く変色し、内部の壁は一部崩れるなど老朽化が激しい。最高裁判決があった27日夕、寮の管理団体は「訴訟が続いているので改修もできない。早く解決してほしい」と訴えた。
寮を管理する「京都華僑総会」の楊和雄副会長(57)によると、寮にはかつて80~90人の留学生が暮らしていたが、現在は約百室に留学生や元寮生十数人が暮らす。この日、人の出入りは少なく1階には荷物が雑然と置かれていた。
楊さんは「寮の若い留学生は訴訟自体を知らない。なぜこれほど解決に時間がかかるのか」と話していた。
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安藤仁介京大名誉教授(国際法)「なぜこんなに長い間、審理を放置していたのか理解に苦しむ。今回の判決は、昭和62年に寮生側が上告した当時の事実に 基づいて「中華民国」政府が「中国」の名において訴訟を継続することはできないとしているが、それなら20年以上前に、同趣旨の判決は下せたはずだ。しか も57年の大阪高裁判決以降、訴訟当事者の名義は「台湾(提訴当時『中華民国』)」と書き換えられている。この点について最高裁が何の説明もしていないの で余計に理解に苦しむ。仮に台湾側が、光華寮の所有権が27年に自己に移った事実を根拠として京都地裁へ提訴し直せば、大阪高裁の判決趣旨は今日でもその まま妥当すると思われる」
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≪光華寮をめぐる主な動き≫
【昭和】
27年4月 台湾(中華民国)との間で平和条約を締結し、承認
12月 台湾が光華寮を買い取る
41年5月 中国で文化大革命始まる
42年9月 台湾が寮生を相手に光華寮の明け渡しを求めて提訴
47年9月 日中共同声明で中華人民共和国を承認。台湾と断交
52年9月 1審・京都地裁が台湾の訴えを却下
57年4月 控訴審・大阪高裁が1審判決を破棄、差し戻し
61年2月 差し戻し審・京都地裁が台湾の請求認める
62年2月 差し戻し後控訴審・大阪高裁が台湾の請求認める
3月 寮生が最高裁へ上告
【平成】
19年1月 最高裁が双方の主張を聞く「求釈明」の手続き
2月 求釈明に対する回答期限の9日までに双方が回答
3月 最高裁が下級審の4つの判決を取り消し、審理を京都地裁に差し戻す
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【用語解説】日中共同声明
正式名称は「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」。日本政府は昭和27年、台湾(中華民国)との間で平和条約を締結した。しかし、(1)ニクソ ン米大統領の訪中(2)国際連合で中国の代表権が中華民国から中華人民共和国へと移行-といった冷戦下での国際情勢の変化を受け、47年9月に田中角栄首 相が訪中して日中共同声明を発出。中華人民共和国を「中国唯一の政府」として承認することで外交関係を樹立し、台湾との外交関係は断絶した。
訴訟追行 訴訟において、当事者が書面や証拠を提出したり、相手の主張に反論したりすること。訴訟中に当事者としての代表権を失えば、その時点で訴訟手 続きは中断する。代表権を失った状態で訴訟が続けられていたと判断されれば、それ以降の訴訟は無効となる。訴訟追行権は、当事者として訴訟を行い、一定の 権利関係の請求の当否について判決を受けるために必要となる資格のこと。当事者適格・訴訟実施権ともいう。
突然のコメント失礼致します。
私のサイトで、こちらの記事を紹介させて頂きましたので
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http://blog.livedoor.jp/taxinfo/archives/53496681.html