
原文: 美知乃倍乃 宇万良能宇礼尓 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可礼加由加牟
作者: 丈部鳥(はせつかべのとり)
よみ: 道の辺(へ)の、茨(うまら)のうれに、延(は)ほ豆の、からまる君(きみ)を、はかれか行かむ
意味: 道端のうまら(ノイバラ)の先に絡(から)みつく豆のように、私に絡みつく君をおいて別れゆく。。。。。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7年(755)2月9日に、上総國(かずさのくに)の防人(さきもり)を引率する役人である茨田連沙弥麻呂(まむたのむらじさみまろ)が進上したとされる歌の一つです。
防人(さきもり)として選ばれた丈部鳥(はせつかべのとり)という人が、奥様との別れを惜しんで詠んだ歌です。「行かないで。」と絡みつく奥様の様子が痛ましく感じられます。
上記のように、日本でバラが最初に記述されているのは「万葉集」で「うまら」、「うばら」とあります。両方とも、「野いばら」のことです。
万葉では 「宇万良」でしたが、「薔薇」という言葉が、この漢字の 「さうび」という音訓で古今集から登場してきます。そして、この「さうび」は万葉集の 「宇万良」とは別品種で、その頃中国から渡って来た新種の蓄薇でした。
我はけさうひにぞ見つる花の色をあだなる物といふべかりけり
これは紀貫之の歌です。
平安初期に中国から渡来して、貫之の歌に詠まれたこの「さうび」は庚申バラというバラで、日本の野茨系とは違う中国原産の四季咲きで、現代バラ改良の母胎といわれている種類だそうです。
