平成20年8月2日、赤塚不二夫さんは肺炎にて永眠しました。
彼は「おそ松くん」のヒットで信じられないほどの大金を得て、昭和39年、中野区弥生町に大きな家を一軒建てました。両親と一緒に暮らすためです。
ところが気の強いかあちゃんと女房が、どうしても反りが合わないのです。
嫁姑が同じ屋根の下に住めなくて、結局赤塚氏の母上が家を出ることになりました。そして父上と一緒に6畳一間のアパートを借りたのです。
昼間、一人でさびしい母は仕事場へふらりと現れるのです。
「フジオ、今晩なに食べたい?」
「ギョーザ」
不二夫氏がそう答えると、母上は彼のためにせっせとギョーザを作ったのでした。
母は必ずこう聞くのです。
「かあちゃんのと登茂子が作ったのと、どっちがおいしい?」
不二夫氏が、
「かあちゃんのがおいしい」
というと、よかったという表情をありありと顔に浮かべ目を細めるのでした。
向かって左が新夫人の真知子さん、右が前夫人の登茂子さん。真知子さんは、平成18年に他界、登茂子さんも赤塚氏が亡くなる三日前にこの世を去りました。