朝青竜の相撲は面白かったが、
ガッツポーズは気に入らない。
相撲にパフォーマンスが無かったから、
プロレスや総合格闘技にそれを求め、
相撲は違うものとして楽しんだ。
相撲の世界が変わっていって、
他の競技に近くなると、
格闘技の楽しみ方が一つだけになってしまう。
相撲の凄味とは、
喜怒哀楽を押し殺した大男が、
気配を殺してにらみ合い、
勝負が決まって、
息を上げながらも、
何事もなかったかのように去ってゆく美学にある。
時には退屈な神事。
それが相撲のいいところ。
映画で言うと小津安二郎。
観客が想像力を求められているのである。
俺が子供のころ、
相撲取りの中心は東北、北海道の
口下手な大男たちだった。
大鵬、柏戸。
彼らの表情や仕草や肌の色つや、
それらの微妙な変化を読むのが好きだった。
柔道もカラー分けされ、
ポイント重視になってしまった。
柔よく剛を制す、の精神は失われた。
スポーツ化、国際化とはそういうことだ。
勝ち負けだけが重視される世の中。
分かりやすいものだけが好まれる時代。
相撲界には、
それを拒んでほしい。
高倉健、小笠原満男、ボブディラン、ローランボック。
無口な男たちの凄味は、
もはや通用しないのか。
ガッツポーズは気に入らない。
相撲にパフォーマンスが無かったから、
プロレスや総合格闘技にそれを求め、
相撲は違うものとして楽しんだ。
相撲の世界が変わっていって、
他の競技に近くなると、
格闘技の楽しみ方が一つだけになってしまう。
相撲の凄味とは、
喜怒哀楽を押し殺した大男が、
気配を殺してにらみ合い、
勝負が決まって、
息を上げながらも、
何事もなかったかのように去ってゆく美学にある。
時には退屈な神事。
それが相撲のいいところ。
映画で言うと小津安二郎。
観客が想像力を求められているのである。
俺が子供のころ、
相撲取りの中心は東北、北海道の
口下手な大男たちだった。
大鵬、柏戸。
彼らの表情や仕草や肌の色つや、
それらの微妙な変化を読むのが好きだった。
柔道もカラー分けされ、
ポイント重視になってしまった。
柔よく剛を制す、の精神は失われた。
スポーツ化、国際化とはそういうことだ。
勝ち負けだけが重視される世の中。
分かりやすいものだけが好まれる時代。
相撲界には、
それを拒んでほしい。
高倉健、小笠原満男、ボブディラン、ローランボック。
無口な男たちの凄味は、
もはや通用しないのか。
しかし、子供の頃から、その感情を出さない部分にイライラしていたのは、僕が、西の、南の子供だからでしょうか?
ガッツ・ポーズがどうかの前に、横議の人相を見るだけで、私は相撲界の限界を感じます。
研さんやデーモンさんが評議委員になったら、なんとかなるような気もします。
でも、今の態勢でしたら、ガッツ・ポーズの方がまだマシかなぁと思うのですが。
伝統芸能に近いんですよね。
子どもにとっては退屈な仕切りをじっと見せられて、そのくせ、あっという間に勝負は決まって。
攻めるより耐えることを教わる時間だと思っておりました。
「愛って耐えることなのね」BY浅岡ルリ子
でも、浅丘 だよ。