永平寺開山記 ⑥
道元、道正の二人は、偉大なる達磨大師の座禅の姿を心にしっかりと刻むと、急ぎ帰朝をしようと、天童山を下り始めました。達磨大師より頂いた有り難い柱杖を突きつつ、元の山道を辿って、谷よ峰よと越えて行きました。
しかし、どうも様子が、変です。いつの間にか、見たことも無い、広い野原に出てしまいました。
「どうも、おかしい。道正よ。ここで、道が途絶えたぞ。どこで道を間違えたのだろうか。方角も分からない。どうするか。」
二人は、道は一本道で、間違えるはずもないと、不思議に思われましたが、慌てる様子も無く。草むらにどっかと座して瞑想を初めました。ところが、さすがに山道の疲れから、二人ともとろとろと眠り始め、とうとう前後不覚に眠りに落ちてしましました。
すると、どこからともなく、悪虎が一匹飛び出してきました。悪虎は、牙を鳴らして、二人に近づくと、只一口に食らわんと飛びかかりました。眠り込んでいる二人は絶体絶命の危機です。ところが、不思議にもその刹那、道元が突く柱杖が、たちまち大蛇と変化して、悪虎の前に立ちはだかり、かっぱと口を開けて悪虎に襲いかかりました。竜虎血みどろの戦いは、凄まじいばかりです。さらに、道正の小刀が、おのれとばかりに飛び出したかと思うと、たちまち巨大な剣となりました。剣は虚空を飛び回り、周囲の山をかち割りながら、猛然と悪虎目がけて突きさそうとします。悪虎は、怒り心頭に発して暴れまくりましたので、二人も目を醒まし、この有様を目撃しました。大蛇が悪虎の平首に食らいつくと、剣は、虚空より悪虎の腹のまっただ中を貫き通しました。大蛇が、悪虎の首を食いちぎると、巨大な剣は、すうっと草叢に下りて、剣の先を上にして止まりました。すると今度は、大蛇がするすると太刀に巻き付き、剣の切っ先を飲み込むよと見えたその途端に、元の手杖と小刀に戻って、地に落ちました。不動明王が右手に持つ倶利伽羅剣(くりからけん)とは、この時に始まったのです。
両僧は、奇異の思いをしながらも、諸天のご加護に礼拝し、天童山を伏し拝みました。その後道元は、この柱杖を決して手放すことはありませんでした。これが、永平寺の重物である「虎食み(とらばみ)の柱杖」であります。(※永平寺蔵:虎刎の柱杖(とらはねのしゅじょう))
それから、苦節十三年。両僧は、霊地霊物を残らず修業するまで、帰朝することはできませんでした。十三年目にして、ようやく南京に辿りついたのは、すべて仏神の定められたことだったのです。(実際には4年間)丁度、日本向けの商船がありました。早速に船に乗り込んだ二人は、順風満帆の航海に、これまでの苦労が夢のようでした。三日三夜を安寧に過ごしましたが、唐と高麗の境にある「モメイ島」(不明)の辺りまで来た時、海上、俄に掻き曇り始めました。ひどい嵐となったのです。浪は世界を洗い、船を翻弄しました。船はいつ転覆するかわかりません。あまりのひどい揺れで、とうとう道正は、患い倒れてしまいました。道元は、ひたすら祈祷を続けましたが、嵐はいつまでたっても収まりません。道元は、舳先につつっと立ち上がると、こう大音しました。
「いかに、八大龍王。情けに聞け。入唐の沙門道元が、ただ今祈祷いたす所に、何とて浪風荒く患わすか。早、疾く浪風静めよ。」
すると、浪風が弱まったかと思うと、不思議にも忽然と龍女が一人現れました。
「我は、シャカラ龍王(娑伽羅:サーガラ、竜宮王)が娘、豊玉姫。竜宮城と申すのは、六道界のそのひとつ、三熱の苦しみあり。」
(※龍は、六道の内の畜生道にあって、毎日、熱風に焼かれ、悪風に吹き飛ばされ、金翅鳥(こんじちょう:かるら)に喰われる。)
「仏の済世の時、文殊菩薩が、竜宮にお入りになられて、法華経の利益(りやく)によって八歳の龍女を天王如来として成仏され喜悦しました。今また、道元のお通りあるは、一重に仏の御来臨と思い、御血脈(師弟の法統の意)を与えていただきたく、船を止めたのです。」
と、涙を流して訴えました。
道元は、これを不憫に思って、
「これこそ、一家血脈の初めなり。」
と、法華経一巻を取り出すと、龍女に与えました。喜んだ龍女は、瑠璃の壺から薬を取り出すと、道正に与えました。すると道正は、たちまち生気を取り戻し元気になりました。道元が不思議に思っていると、龍女は、
「この薬と申しまするは、浄瑠璃浄土の瑠璃仙人(薬師如来)より伝わる竜宮の重宝です。秘密の薬方ですが、只今の御法施に、その薬方をお教えいたしましょう。衆生の病苦を救って下さい。」
と、神仙解毒万病円(しんせんげどくなんびょうえん)の処方を道元に献げました。
神仙解毒が、永平寺から出るのもこの時が始まりです。(※永平寺「神仙解毒万病内(しんせんげどくまんびょうえ)」
そこで、道元が、龍女に向かって、
「慈眼視衆生福聚海無量(じげんじしゅじょうふくじゅかいむりょう)(観音経)
と唱えると、龍女は、たちまち男子に生まれ変わり、観音の姿と顕れたのでした。すると不思議にも、波間より、一葉の蓮華が浮かび上がりました。龍女が化身した観音菩薩が、この蓮華に乗り移ると、白波は、紫雲となって雲井遙かに上昇して行きました。(一葉観音)道元、道正は歓喜のあまり、爪でその姿を船板に彫りつけました。これを、今の世までも「船板爪つき一葉の観音」と呼ぶのです。(熊本県川尻:観音寺南望山慈眼院の船板観音)
それからというもの、ようやく春風が吹き、七日の後には、いよいよ祖国の地を踏むことができたのです。道元、道正の御姿、有り難いとも、なかなか申すばかりもありません。
つづく