猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 5 説経熊谷先陣問答 ②

2011年12月22日 17時39分53秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

くまがえ先陣問答 ②

 その後、直実は、熊谷に帰りました。家の子、郎等を集めると、恩賞に給わった領地

を、家来達に分配しました。人々の喜びは言うまでもありません。そうして、熊谷一族

は、安泰でしたが、ある日の夕暮れ時、直実は南表の花園出ると、

「木々の梢、草の色、春萌え出でて夏茂り、秋霜枯れて冬は又、雪降り積もるその下に、

又、来る春をや待つらん。」

と、四季の移り変わりの有様を、つくづくとお感じになりました。

「昨日は、平家が栄え、今日は、源氏の御代となる。明日の世の中には定めも無く、

心の止まる事もない浮き世じゃな。」

 その上、直実には、一の谷での敦盛御最期のその時に、亡き後を弔うて下さいと言っ

た、その面影が焼き付いて離れません。剛毅な武将である直実も、その面影を、今目

前に見るように思い出しては、はらはらと涙を流すのでした。

「所詮、娑婆の楽しみは、電光石火の稲妻の様に、有って無い陽炎にも似て、夢の間の

楽しみに過ぎない。永遠の住み家を持てないということは、何よりもまして嘆かわしい

ことだ。釈尊も、帝位を捨てて、ついに正覚を手に入れることができた。自分は、煩悩

にほだされて、二度も三途の川からこの世に戻って来てしまった。まったく、口惜しい

ばかりである。」

 突然に発心した直実は、腰の刀を引き抜くと、ばっさりと髻(もとどり)を押し切り、

刀に添えてそこに置くと、そのまま遁世修業の旅に出てしまったのでした。

 当主の突然の遁世に、家内が大騒ぎになったのは言うまでもありません。兄弟諸共倒

れ伏して、さめざめと泣き暮らしておりましたが、しばらくして、長男直家は、父直実

の行方を捜しに行くことにしました。しかし、何時の世の中も、継子と継母の間ほど、

浅ましいものはありません。北の方は、少しも嘆いてはいなかったのです。

「桂の前は、女子のことなれば、なんとでもなる。どうにかして、直家を殺して、兄季

重の二男、小太郎と玉鶴を添わせて家督を継がせ、我が儘に暮らせるようにしたいもの

だ。」

と、怖ろしい謀を巡らせていたのです。北の方は、兄季重の所に相談に行きました。

北の方の計略を聞いた季重は、直実には過日の遺恨があったので、にやりと笑って、

「それは、良いことを思い立ったの。さてさて、どうやって直家を討ち取るか。」

と、言いました。北の方は、

「幸い、直家は、熊谷の行方を追って、明日、善光寺参りに向かいますので、途中で待

ち伏せをしてはいかがでしょうか。」

と、暗殺の方法まで企んでいたのでした。季重は、早速に三百余騎を調えさせると、信

濃と上野の境である碓氷峠に出陣して、先回りをして、直家一行がやって来るのを、今

か遅しと待ち受けました。

 そんなこととも知らない直家一行は、僅かの共だけを連れて、父の行方を探るため、

善光寺を指して、碓氷峠に差し掛かりました。待ち伏せしていた季重勢は、どっとばか

りに、鬨の声を上げて飛び出しました。直家の郎等、五藤太安高は、真っ先に進み出で

「何者なるか、この狼藉、名を名乗れ」

と言うと、季重が、答えて、

「只今、ここに押し寄せたる大将は、平山の季重なり。父、直実、源氏の御代を不足と

思い遁世し、それだけでも大罪であるのに、直家は、お暇も申さずに、国を超えての物

詣で。上を軽しめること甚だしい。朋輩の見せしめに、御懲罰せよと、この季重、

頼朝公よりの仰せを蒙る。御辺とは、親類縁者なれば、不憫とは思うが、主命なれば仕

方ない。いざ、尋常に腹を切られよ。」

と、言うのでした。驚いた安高が、急ぎ直家に報告すると、直家は、

「何、そのようなことを、頼朝公が仰るわけがない。きっと、継母の計略に違い無い。

ここで、弱気を見せて、四の党の名を汚すな。者ども。」

と、真っ先に駆け出ようとするところを、安高が押さえて、

「まずまず、一陣はそれがしに。」

と、飛んで出ると、

「やあ、やあ、いかに平山殿。それがしは、熊谷譜代の郎等にて、木村の五郎太安高

なり、この度の平家の合戦での手柄の程は、見ての通り、そこ引くな季重。」

と、ばかりに、勇猛果敢に割って入り、ここを先途と戦いました。しかし、多勢に無勢。

やがて、味方はことごとく討たれてしまいます。最後に残った直家と安高が、七度別れ

て、七度会い、散々に戦いましたが、とうとう直家は、

「今は、これまで、介錯せよ。」

と、どっかと座って自害しようとします。安高は、押しとどめて

「いいえ、それはなりませぬ。幸い、叔父の岡部六弥太忠純殿(ろくやたただずみ)が、

能登の守護職を給わり、在国されておられますから、まずは、能州へ落ち延び、再び

義兵を上げることこそ、名将と申すもの。後はそれがしが防ぎますから、早く落ちてく

ださい。」

と、言いました。無事に直家を逃がした安高は、

「科無き者を、数多く討ち取り、多くの罪を作ってしまったものだ。これもまた、仕方

なし。」

と、嘆くと、腹を十文字に掻ききって、自害して果てました。

 

 季重は勝ち鬨を上げて熊谷に帰りましたが、かの安高の最期の程、あっぱれ由々しき

郎等であると、惜しまぬ者はありませんでした。

つづく