ろんざん上人②
さて、これは冥途でのお話ですが、金国殿の館の人々は、そのようなことは、まった
く知りません。老母や御台所が、金国殿が見当たらないと不審に思って、女房達に聞い
てみると、
「昨日、西の御殿で、諸鳥をお眺めになっておられました。」
と言うので、早速、西の御殿に行ってみると、数々の美しい諸鳥ばかりで、金国殿の
姿は見えません。探し回る内に、四間の出居に、意識不明で倒れている金国殿を見つけ
たのでした。御台所と母は取り付きますが、ぴくりともしません。老母が、不思議に
思って、肌に触れてみますと、氷のように冷たく、温かいところは少しもありません。
いったいいつ死んでしまったのでしょうか。館の内は大騒ぎとなり、家来がいろいろ看
病しましたが、一向に回復の兆しもありません。老母も御台も抱き付いて泣くばかりです。
労しことに御台様は、金国殿のお顔をつくづくと、打ち眺めては、
「のう、金国殿。日頃より、人より勝る武辺を持ち、心も剛の方なのに、末期の一句も
お残しにならず、このように頓死されるとは、どういうことなのですか。私のことは、
さて置いて、母上様や玉若をこれから、どうして行ったら良いのですか。のう、我が夫(つま)。」
と、顔を顔に擦り付けて嘆き悲しむのでした。しかし、家臣栗川形部は、少しも慌てず、
金国殿の脈を調べると、
「北の方様。そのように嘆くことはありません。そもそも人間は、心、肝、腎、肺、
脾、五臓六腑が命門に通じております。さて、脈を見ました所、何れの脈も切れてしまって
おりますが、心の脈は、未だ確かに有ります。先ず先ず、もう少し様子を見て見ましょう。」
と言うのでした。すると、栗川の言う通り、しばらくすると、金国殿は夢から醒めて、
かっぱと起き上がったのでした。母上も御台も、今度は悦びの涙に濡れました。生き返
った金国殿は、
「私は、ここで微睡んでしまったのだが、さては、一度は死んだのか。
私は、まさしく冥途に行って来た。閻魔王に会い、殺生の罪を問われて畜生道に落とさ
れることになったのだが、長谷寺(奈良県桜井市初瀬)の観世音に助けられ、不思議にも
この娑婆に帰ってきたのだ。これよりは、殺生をやめ、弥陀の誓いを忘れないようにするぞ。
南無阿弥陀仏。」
と言って、涙を流して念仏するのでした。さらに、
「在郷の咎人、飼い鳥、残らず解放せよ。」
と栗川に命じました。それから金国殿は、
「私は、長い間、火宅に住んでいることにすら気が付かなかった。天人は、水を瑠璃と
楽しむが、餓鬼は水を火炎と恐れる。このような苦界を逃れて、未来の極楽を願うべき
である。そして、猛悪の輩を利益して、その功徳によって、成仏するのだ。」
と、菩提心を起こしました。
「このことを、老母や御台所に話すならば、止めることは治定である。よし、このまま
遁世いたそう。」
と思い立つと、細々と文を書き置いて、夜半に紛れて館を後にしたのでした。まったく
殊勝な心掛けです。
金国殿は、急いで長谷寺に詣でると、観世音にお礼を言いました。
「冥途にてのお助け、誠にありがとうございます。未来成仏、極楽へお導き下さい。
これより、関東へ参ります。江戸霊巌寺の雄誉上人(おうよしょうにん)は、仏の化身
した念仏行者と聞きます。そこで出家することにいたします。」
そうして、金国殿は、東国を指して旅立ったのでした。
江戸に着いた金国殿は、雄誉上人に弟子入りなされ、やがて出家をされました。雄誉