猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 20 説経念仏大道人崙山上人之由来 ②

2013年05月11日 16時45分14秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ろんざん上人

 さて、これは冥途でのお話ですが、金国殿の館の人々は、そのようなことは、まった

く知りません。老母や御台所が、金国殿が見当たらないと不審に思って、女房達に聞い

てみると、

「昨日、西の御殿で、諸鳥をお眺めになっておられました。」

と言うので、早速、西の御殿に行ってみると、数々の美しい諸鳥ばかりで、金国殿の

姿は見えません。探し回る内に、四間の出居に、意識不明で倒れている金国殿を見つけ

たのでした。御台所と母は取り付きますが、ぴくりともしません。老母が、不思議に

思って、肌に触れてみますと、氷のように冷たく、温かいところは少しもありません。

いったいいつ死んでしまったのでしょうか。館の内は大騒ぎとなり、家来がいろいろ看

病しましたが、一向に回復の兆しもありません。老母も御台も抱き付いて泣くばかりです。

労しことに御台様は、金国殿のお顔をつくづくと、打ち眺めては、

「のう、金国殿。日頃より、人より勝る武辺を持ち、心も剛の方なのに、末期の一句も

お残しにならず、このように頓死されるとは、どういうことなのですか。私のことは、

さて置いて、母上様や玉若をこれから、どうして行ったら良いのですか。のう、我が夫(つま)。」

と、顔を顔に擦り付けて嘆き悲しむのでした。しかし、家臣栗川形部は、少しも慌てず、

金国殿の脈を調べると、

「北の方様。そのように嘆くことはありません。そもそも人間は、心、肝、腎、肺、

脾、五臓六腑が命門に通じております。さて、脈を見ました所、何れの脈も切れてしまって

おりますが、心の脈は、未だ確かに有ります。先ず先ず、もう少し様子を見て見ましょう。」

と言うのでした。すると、栗川の言う通り、しばらくすると、金国殿は夢から醒めて、

かっぱと起き上がったのでした。母上も御台も、今度は悦びの涙に濡れました。生き返

った金国殿は、

「私は、ここで微睡んでしまったのだが、さては、一度は死んだのか。

私は、まさしく冥途に行って来た。閻魔王に会い、殺生の罪を問われて畜生道に落とさ

れることになったのだが、長谷寺(奈良県桜井市初瀬)の観世音に助けられ、不思議にも

この娑婆に帰ってきたのだ。これよりは、殺生をやめ、弥陀の誓いを忘れないようにするぞ。

南無阿弥陀仏。」

と言って、涙を流して念仏するのでした。さらに、

「在郷の咎人、飼い鳥、残らず解放せよ。」

と栗川に命じました。それから金国殿は、

「私は、長い間、火宅に住んでいることにすら気が付かなかった。天人は、水を瑠璃と

楽しむが、餓鬼は水を火炎と恐れる。このような苦界を逃れて、未来の極楽を願うべき

である。そして、猛悪の輩を利益して、その功徳によって、成仏するのだ。」

と、菩提心を起こしました。

「このことを、老母や御台所に話すならば、止めることは治定である。よし、このまま

遁世いたそう。」

と思い立つと、細々と文を書き置いて、夜半に紛れて館を後にしたのでした。まったく

殊勝な心掛けです。

 金国殿は、急いで長谷寺に詣でると、観世音にお礼を言いました。

「冥途にてのお助け、誠にありがとうございます。未来成仏、極楽へお導き下さい。

これより、関東へ参ります。江戸霊巌寺の雄誉上人(おうよしょうにん)は、仏の化身

した念仏行者と聞きます。そこで出家することにいたします。」

そうして、金国殿は、東国を指して旅立ったのでした。

 江戸に着いた金国殿は、雄誉上人に弟子入りなされ、やがて出家をされました。雄誉


忘れ去られた物語たち 20 説経念仏大道人崙山上人之由来 ①

2013年05月11日 14時18分42秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

元禄時代には、説経は、浄瑠璃に後塵を拝することになる。説経太夫が、浄瑠璃に対抗

した作品のひとつに、高僧伝があった。既に紹介した「弘知法印御伝記」がそれである。

http://blog.goo.ne.jp/wata8tayu/d/20120714

この「崙山上人」も、同列の作品であるが、残念ならがヒットはしなかったであろう。

説経正本集第三(39)

天満八太夫座 天満重太夫作

元禄六年(1693年)大伝馬三丁目鱗形屋板(原刻推定)

ろんざん上人 

さて、往生や極楽へ行く為の経行は、この濁世末代にあって、最も大事なことである。

神も仏も皆、衆生利益の為にいらっしゃるのです。三界の衆生は、すべて仏の子であっ

て、生まれた時は清らかですが、生きていく間に、五欲の道に染まってしまいます。

一炊の夢であっても、善悪を悟るならば、仏となり、迷うのであれば、これを愚痴と言うのです。

 関東十八檀林第三、霊巌寺(東京都江東区)の開祖雄誉(おうよ)上人の弟子である

常陸国潮来村の大知者、念仏興行の名士である崙山上人の由来を詳しく尋ねてみますと、

生国は、大和の国葛下郡(奈良県葛城市一帯)、但馬の介金国(きんごく)殿という公

家でした。父左京の進殿が亡くなった翌年、金国殿は十八歳となり、中臣郡司兼盛の娘

を嫁に迎えました。やがて、子供ができ、名前は玉若殿といい、三歳におなりになります。

さて、家の家来には、栗川形部常春という、頼りになる勇士がおりました。

 この頃の金国殿は、常に殺生を好み、人々の嘆きも顧みずに、様々の罠を作っては、

鳥類畜類を捕らえて楽しむのでした。ある春の半ばのことでした。金国殿は、捕らえた

鳥を、籠に入れて、眺めておりました。

「なんとも良い眺めだな。先ず、春はウグイスが梅の小枝に羽を休めてさえずる声は、

ほうほけきょと、法華経の妙の大事を表す。ホトトギスは、冥途の鳥。山雀、小雀、

四十雀、これは、勧農の鳥と聞く。その外、諸鳥の声までも、皆これ諸経の肝文に聞こ

えて来る。このような利益の声に、善人であれば目を醒まし、悪人であれば暗闇に迷う

のであろう。」

と、言う内に、金国殿は、強い眠気に誘われて、眠り込んでしまったのでした。すると、

籠の辺りから、人のような形の物が顕れ、金国殿に近付きました。

「如何に金国。おまえは、正に仏の化身であるのに、どうして悪を好み、栄華を誇るのか。

朝顔よりも脆い命なのに、殺生を楽しむとは。過去の業(ごう)によって、現在の悪業

も深く、未来の業も浮かぶことが無い。我こそは、諸鳥の精であるが、おまえの悪心

によって、このような憂き目に遭うのだ。この上は、おまえの来世での有様を見せてやろう。」

と言うなり、その精は消え失せたのでした。すると不思議にも、金国殿の胸の中から、

突然、黒日の精が輝き出でて飛び上がると、庭の軒先で赤い鳥となり、虚空を指して飛

び去って行ったのでした。そして、金国殿は、刹那の間に六道の辻に落とされ、気が付くと、

只、呆然と佇んでいるのでした。

 やがて、見目童子(みるめどうじ)が飛んできました。金国殿を見るなり、

「呵責、呵責。」

と、怒鳴ります。すると、さも恐ろしげな獄卒どもが飛んで来て、金国殿を掴むと、

火の車に乗せて、虚空に舞い上がりました。気が付くと今度は、仄暗い広い野原に連れ

て来られて、火の車から下ろされました。それから、十町(約1Km)ばかり歩かされ

鉄の門までやってきました。外にも連れて来られた罪人が、沢山いるようです。

そこで、獄卒たちが、

「件の似非者来る。」

と言うと、罪人を責めるための、様々の責め道具が用意されました。やがて、背が高

く、真っ赤な色の大男が立ち出でて、鉄の板に何やら書き留めながら、次々と罪人の処

断を始めました。

「南閻浮提、奈良の都のぜかいどうしという罪人。親を殺せし大悪人。無間奈落へおとすべし。」

「相模国、もばら村(不明)の罪人。人を殺せし咎。修羅道へ落とすべし。」

「同国、小田原の稲垣與一介盛は、大焦熱へ落とすべし。これは、娑婆に居た時、人を

中傷し、その外数え切れない悪事をした不道の者である。」

「さあ、それにて、罪人共を悉く責め、その後、地獄へ落としてしまえ。」

と言うと、獄卒どもは、よってたかって罪人を責め立てました。その有様は、身の毛も

よだつばかりです。金国殿は、これを見て、