ろんざん上人③
ここに、哀れを留めたのは、大和の国、葛城にいらっしゃる、金国殿の御台所と老母
です。
金国殿が、突然に居なくなってしまったので、死に別れたように、悲しみに沈んでいます。
家来の栗川は、主人を探し出そうと、旅立って行きました。御台様は、幼い玉若に向かって、
泪ながら、こう口説きました。
「如何に、玉若よ。お前も、もう八歳となりました。どうか、父の行方を捜し出し、母
の気持ちを安らげて下さい。」
玉若は、これを聞いて
「愚かな母上様。言われるまでもありません。八歳にもなって、父の行方を尋ねもしなければ、
来世の罪となります。それでは、早速に暇を頂きます。」
と言いますと、母上は、
「いや、これは恥ずかしいことですが、御身の父が居なくなった時は、火にも水にも入
って死のうと思ったのです。しかし、老母様やお前のことを考えて、甲斐も無い命を長
らえました。今、お前と離れ離れになってしまっては、私は、どうしたらよいのですか。」
と、さらに泣くのでした。玉若殿は泪を押さえて、
「お嘆きはご尤もですが、お暇を乞うのも、母上のお心を慰める為です。決して母の仰
せに背くのではありません。」
と慰めるのでした。母上は、これを聞いて、
「お前の志は、誠に唐土の「りゅうこう」(不明)にも勝ります。そこまで思い立つの
であれば、母も一緒に行きましょう。」
と決意したのでした。するとその時、何処からともなく老人が一人現れると、
「如何に、汝等、父が行方を尋ねるのならば、東国へ下りなさい。我は、長谷の観世音であるぞ。」
と言って、消え失せたのでした。親子は喜んで、有り難い教えに任せることにしました。
しかし、老母にこのことを告げれば、一緒に行くと言うに違い無いので、文を残して
そのまま旅の装束を整えたのでした。哀れな御台様は、夫の行方を尋ねる為に、住み慣
れた古里を、心細く後にしたのでした。この先の行方はどうなることでしょうか。
《道行き》
この手、柏の二つ面
とにもかくにも、我が夫の跡
懐かしき泪こそ
袖の柵(しがらみ)、暇も無く
一方ならぬ我が思い
誰に語らん年月の
思いを流せ、木津川に
便船乞うて、打ち渡り
西の大寺、伏し拝み(西大寺:奈良県奈良市)
この若が行方、如何にと、白露の
若も別れて、何方(いづち)とも
知らぬ旅路の思いの種
葉末の露は、曲水の
奈良の都を出でるにぞ
流石、故郷の懐かしく
後振り返り、御蓋山(奈良県奈良市:若草山)
見慣れぬ、身なれば、佐保の川(大和川水系)
涙ながらに、打ち渡り
早、山城に井手の里(京都府井手町)
玉水に掛け映す(木津川支流)
その面影は、隠れ果て
いとど心は、黒髪の
乱れて、物や思うらん
都の西に、聞こえたる
嵯峨野の寺に参りつつ(化野念仏寺カ)
四方の景色を眺むれば
花の浮き木の亀山や(京都市右京区嵯峨亀山町:「盲亀の浮木」(涅槃経)に掛ける)
雲に流るる、大堰川(桂川の別名)
誠に、浮き世の性(嵯峨)なれや