猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 27 古浄瑠璃 安口の判官(3)

2014年03月13日 18時21分08秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 あぐちの判官(3)

  兵部の太夫時成(ときなり)は、表には嘆く様子を見せながら、その下には喜悦の眉を開くのでした。そして、兵部は、御台所や兄弟の若君にも劣らない程に、供養をして、七日七夜どころか、百日に至るまで、篤く法要を行ったのでした。人々は、これを見て、

 「神を祀る時は、神の威を増す様に行い、死に仕える時は、生に仕える様に仕えるのだな。」

 と、愚かにも感心するのでした。

 その年も暮れ過ぎて、1月を越して、2月の半ばの頃のことです。兵部太夫とその子供達は更にかさねて密談をするのでした。兵部太夫が、

 「やあ、子供どもよく聞け。昔も今も、敵の子孫を助けておいて、良いことがあった例しは無い。可哀想には思うが、御台所と若君達を殺してこい。」

 と言うと、嫡子の太郎は、

 「父の仰せはご尤も。夕暮れ時に、山遊びと言って、花園山(福岡県東峰村小石原)に誘い出して、密かに切って捨てましょう。父上様。」

 と、答えるのでした。兵部太夫は、よしよしと喜びましたが、三男式部の三郎は、心の中でこう叫んでいました。

 『なんと、情け無い。無念にも急死された判官殿を、世にも不憫と思うのに、その上、兄弟の若君までも殺そうとするとは、なんと無念なことか。親兄弟を刺し殺して、自害する外ないはと思うが、いや待て暫し。親に敵対するならば五逆罪を犯すことになる。こうなっては、この事を御台様に知らせて、何処へでも落ち延びさせる外は無い。』

 心の優しい三郎です。それから、三郎は急いで御前に進み出でて、畏まると、何も言わずに只、さめざめと泣くのでした。御台所や若君が、

 「いったいどうしたのですか。三郎。」

 と問いかけると、三郎は、涙を押し留めて

 「さて、その事です。私の親である兵部太夫は、乱心いたしました。御台所や若君を討ち殺そうと企んでおります。余りに不憫でありますので、この事をお知らせして、何処へとも落ち延びていただくために、是まで参りました。」

 と、言うのでした。御台所も若達も、答える言葉も見つからず、只々、泣く外はありませんでしたが、御台所は、若君達を近づけて、涙ながらに、

 「さてさて、夫の判官殿が、兵部に万事頼むと、所領を加増したその恩賞をも忘れて、早くも心変わりをして、このような悪巧みをするのですか。まだ幼いお前達や、何の力も無い私を殺して、栄華を独り占めにしても、必ず因果は報うものです。その上、三代相恩の主君を何と思っているのか。頼りにしていた家臣に裏切られるような世の中で、どこに落ちて行くにも、頼む当てもありません。ああ、これと言うのも、前世からの戒行(かいぎょう)が、足りなかったのですから、嘆くのはやめなさい。」

 と、健気にも言うのでした。それでも、涙は止まりません。落ちる涙の合間に、御台所は三郎に向かって、

 「三郎、お聞きなさい。嘲斎坊(ちょうさいぼう)が害に遭うのも、相手を騙す心が無いからです。世の中は、笑いながらに、その後ろで刀を抜いているものです。人の心ほど、分からないものは有りません。それにしても、私たちを殺そうとするのは、お前の親なのに、それを知らせに来るとは不思議なことです。お前も、我々を騙しているのではありませんか。本気で殺しに来るのなら、何処へ逃げようと、逃げ切ることなどできないでしょう。卑しい者の手に掛かって殺されるくらいなら、いっそ、今ここで、お前の手に掛けて、若君の首を刎ねて、父に見せなさい。」

 と、迫るのでした。三郎は、これを聞いて

 「仰る通り、ままならないのは人の心です。その様にお考えになるのも無理なことではありませんが、もし、これが偽りであるなら、宇佐八幡の御法度を被り、弓矢の冥加は永遠に失われるでしょう。お疑いあるならば、今此処で自害いたします。」

 と、涙ながらに答えるのでした。これを聞いた御台所が、

 「それでは、どのようにしたら良いですか。」

 と、問うと、三郎は、

 「先ずは、何処へとも、落ち延び下さい。私も、お供をしたいのは山々ですが、親の不興を受けることは間違いありませんので、出家を致します。」

 と言うと、直ぐに諸国修行の旅に出たのでした。かの三郎の心の内を、褒めない者はありません。

  それから、御台所は、乳母の右近を呼ぶと、事の次第を話しました。右近は驚いて、

 「これは、なんと、口惜しいことでしょうか。しかし、どうこう言っている場合ではありません。討っ手が攻めて来る前に、一刻も早く、逃げましょう。」

 と答えます。御台所が、

 「何処へ落ちれば良いのでしょうか。」

 と問えば、右近は、

 「むう、先ずは、都へ参りましょう。御門へ奏聞申し上げて、兵部の罪を訴え、兵部の首を討つのです。」

 と、頼もしく答えます。御台はさらに、

 「お前の言うことは、確かに尤もですが、落ちたことが知れれば、直ぐに追っ手が、掛かるでしょう。皆が一所に落ちるならば、一人も生き残れないでしょう。お前は、太郎を連れて上道を通って行きなさい。私は、次郎を連れて、下道を通って行きます。お互いに、無事、都に辿り着いたのなら、再び対面いたしましょう。もしも、討たれる様なことがある時は、今が別れの時と思って、来世で又巡り逢いましょう。」

 と、言うのでした。御台所は、心の中で、

 『南無筑紫宇佐八幡。あなた様は、氏子を百代百王に渡ってお守り下さると聞いております。どうか兄弟の若達の行く末をお守り下さい。』

 と、深く念じて旅立ちました。親子の人々の心の内の哀れさは、何とも言い様もありません。

 つづく

 


忘れ去られた物語たち 27 古浄瑠璃 安口の判官(2)

2014年03月13日 16時06分54秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

 あぐちの判官(2)

 さて、僧正は、甥の頼みに、困り果てていましたが、仕方無く、壇の飾りを荘厳にして、安口の判官の調伏を始めました。まったく怖ろしいことです。僧正は、初め三日のご本尊には、来迎の阿弥陀三尊を立て、六道能化の地蔵菩薩を兵部太夫の所願成就の為に祀りました。

 「判官重行殿の二つと無き命を取り、来世にては、観音勢至よ、蓮台を傾けて、安養浄土にお導き下さい。地獄には落とさない様お願いいたします。」

 と、余念無く祈ると、五七日の本尊には、烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)、金剛童子、五大明王の利験をありがたくも、四方に飾り、紫の袈裟を掛けて、様々に壇を飾りました。僧正は、再び肝胆を砕いて祈るのでした。昔が今に至るまで、仏法護持の御力は、絶大でありますから、七日の満行の寅の頃に(午前4時)明王不動の剣先が、元気いっぱいの重行殿の首を貫くのが見えました。そして、剣は、壇上に落ちたのでした。僧正は、

 「さては、威厳が現れたな。」

 と言うなり、祭壇を壊しました。なんとも怖ろしい有様です。

  これはさて置き、可哀想なのは、奈良の都の警護に当たっている安口の判官重行殿です。判官殿は、そんな調伏がなされているとは、夢にも思わず、春日大社に参籠することになりました。それは、もう夏も終わろうとする頃のことです。重行は、峰々に重なる木々の間を吹き下ろしてくる風に当たって、突然病気になってしまったのでした。家来の侍達は、驚いて、様々手を尽くして、治療に当たりましたが、回復する様子も見えません。安口の判官は死期が近付いた事を悟って、家来を集めてこう言いました。

 「さて、皆の衆。私は、娑婆に別れて、これより冥途の旅に赴く。国元に、形見を届けてくれ。膚の守りと鬢の髪を、御台所に、太刀を太郎に、刀は次郎に、それぞれ取らせよ。何が起こるか分からないという世の習いを今こそ、思い知ったぞよ。若達が、さぞ嘆くことであろうが、今生において、縁が薄くとも、来世に於いては、必ず巡り逢うと、伝えてくれ。頼んだぞ。」

 安口の判官は、さめざめと泣きながら、さらに続けました。

 「さて又、兵部に伝えてほしいことは、急いで太郎を参内させて、重行の跡目相続を奏聞してほしいということだ。そして、これまでと変わらずに国を治めていってもらいたい。まだ若達は幼いから、万事は、兵部に頼んだと、懇ろに伝えてくれ。ああ、名残惜しいことじゃ。」

 安口の判官重行は、そう言うと、西に向かって手を合わせ、念仏を四五遍唱えました。そして、まったく惜しいことに、四十三歳の生涯を閉じたのでした。家来達は、判官の死骸に取り付いて、

 「おお、これは、夢か現か・・・」

 と、嘆き悲しみましたが、もうどうしようもありません。やがて、多くの僧を頼んで、野辺送りをするのでした。人々は、涙ながらに骨を拾い形見とし、国元へと帰って行きました。

  さて、安口の判官の遺骨を携えた、人々は、筑前の国へと帰り着きました。まず、兵部太夫に事の次第を報告すると、涙ながらに形見を取りだして、渡しました。兵部太夫は、『さては、祈祷の甲斐あって、判官は死んだのか』と、心の中で喜びながらも、驚き悲しむふりをして、形見を、御台所に取り次ぐと、空泣きをするのでした。突然の訃報に御台所は、泣き崩れる外はありませんでした。やがて、御台は心を取り直して、

 「もうすぐ、都の御番も終わり、目出度い御下向を、今や遅しとお待ち申して、あなた様からの便りを何よりも楽しみにしていたのに、形見の物とは、いったいどういうことですか。ああ、今になって、思い返してみれば、都へ立たれるその時、名残惜しげにされていたのを、目出度く出立させようと、勇め申し上げましたが、このような事になると知っていたなら、樊籠(ばんろう)の涙をもってしても、お止め申しあげたのに。今更ながら、神でないこの身が、なんと浅ましいことでしょう。」

 と口説くと、再び、流涕焦がれるのでした。若君達も、共に涙を流して悲しみましたが、兄の太郎重範は、気丈にも、

 「のうのう、母上様。そんなに悲しまないで下さい。それよりも、我々兄弟を刺し殺して、あなたも御自害なされて、もう一度父上様に会いましょう。」

 と言うのでした。母上は、これを聞いて、

 「おお、大人のように優しく、言う事は確かに尤もなことではありますが、人間、誰しも死よりも、生きることが大切であり、受けたこの身を尊く思い、最期まで尽くすことこそ、親孝行というものですよ。今、お前達が死んだならば、草葉の陰の父上様は、返って、悩み苦しむことでしょう。死んで父に会うことよりも、生きて跡目を継ぐ事こそ親孝行になるのではありませんか。今より後は、雲居の満月のように出世をする為にも、心も身も献げて、会稽の恥を濯ぎなさい。」

 と、懇ろに諭すのでした。若君達は、これを聞くと、

 「父上様の御諚にも、母上の仰せに従う様にとありましたから、必ずそのように致します。」と答えて、泣く泣く立ち上がると、父、安口の判官重行殿の冥福を弔うのでした。親子の人々の心の内の哀れさは、何にも譬えようもありません。

 つづく

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