むらまつ(3)
その日の夜更け、人々の物音も静まりました。姫御前は、山田の教えに従って、馬屋の忠太の所へ落ち延びて、その戸をとんとんと叩きました。内より、
「誰ぞ。」
とあれば、姫君は、
「村松の姫です。どうかお助け下さい。」
と、頼みました。ところが、忠太は、戸を開けもせず、
「何、忌まわしい姫御前か。大納言や中納言が流されたのも、お前のせいじゃ。二人の親が死んだのもお前のせいじゃぞ。ここに入れる訳にはいかん。どこにでも落ちて行け。」
と、情け容赦も無く、追い払うのでした。
可哀想に姫御前は、都は西の方と思い定めると、一若を抱いてとぼとぼと、山の中へと分け入りました。それと見ると、忠太は情け無くも、曾我の陣営に走り行き、
「村松の娘が、私を頼みに落ち延びてきましたが、追い払いました。まだ、大山(おおやま:神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市)の辺りをうろうろしていると思いますので、姫が欲しいのなら、追っ手をお掛けなさい。」
と、密告するのでした。曾我は、これを聞いて、早速に追っ手を差し向けました。すぐに、追っ手は姫を追い詰めました。追っ手の声を聞いた姫御前は、驚いて逃げ回りますが、三昧原(さんまいばら:墓場)に紛れ込んでしまいました。そこには、新しい棺桶がひとつあるのが見えました。急いで、棺桶を開けてみると、死人が一人入っています。外に隠れるところもありません。姫君は一若を抱いて棺桶に隠れました。息を潜めて、耳を澄ませておりますと、追っ手の者共がばらばらとやってきました。
「きっと、この墓場辺りに隠れているに違い無い。」
「この棺桶が怪しいぞ。」
追っ手の者が、棺桶の蓋を開けようと近付くと、一若が目を醒ましてむずかり、泣き出しました。
「やはりここだ。」
と、棺桶の回りに、皆が集まりました。その中に以前は村松の家来だった金八と言う者は、
『ここで、姫君が見つかっては、可哀想だ。なんとか落としてやりたい。』と思い、とっさにこう言いました。
「いやいや、お待ちなさい。皆さん良く聞いて下さいよ。只今の一声の泣き声は、姑獲鳥(うぶめ)が泣いた声ではありませんか。気をつけた方がいいですよ。姑獲鳥が人に取り憑けば、三日の内には、命がありません。その上、死人に触るならば、七日の汚れとなります。この正月の初めから、人に忌まれてはしょうがありませんよ。さあさあ、皆さん。離れて下さい。危ない。危ない。」
これを聞いた人々は、怖ろしくなって、我も我もと、逃げ去って行ったのでした。やがて辺りは又、静かになりました。
難を逃れた姫御前は、棺桶から出ると、再び都を指して歩き始めました。七日目に、清見関(きよみがせき:静岡県静岡市清水区)まで辿り着きました。姫御前は、
「ああ、父母が亡くなってから、今日でもう七日。なんと哀れなことでしょう。」
と言うと、近くの寺を訪ねて、小袖の褄に
『玉手箱 蓋、身は失せて 哀れにも 甲斐無く残る 掛け子ばかりぞ』
と書き記すと、御僧に献上し、供養を願いました。やがて、初七日の法要を済ませると、姫御前は、泣く泣く寺を出立し、それから三十日めには、大津の浦(滋賀県大津市)で有名な長太の宿に着いたのでした。宿の女房が、
「何処においでだね。」
と尋ねれば、姫君は、
「私は、相模の者。以前、国司として下向された御方がこの子の父です。その父に会うために、都に上がるのです。」
と、正直にも答えるのでした。長太は、これを聞くとにやりとし、
「関山三里と言いまして、逢坂は、大変な難所ですぜ。どうです、舟で送ってあげましょうか。」
と、騙しました。道を知らない姫君は、喜んで舟を頼みました。なんと労しいことでしょう。さて、明けて七つの鐘(午前4時)が鳴る時分のことでした。姫御前達は、浜地に降りて、恋しき都とは、別の方向へと、湖に漕ぎ出して行ったのでした。長太は、海津の浦へと漕ぎ付けると(滋賀県高島市)、今度は馬に乗せて、敦賀まで連れて行きました。(福井県敦賀市)長太は、敦賀の人買い源三の宿に姫御前を降ろすと、値踏みを始めました。源三は、
「むう、見目形はよろしいが、ガキが余計だな。そんなに高くは売れまい。」
と言います。長太はこれを聞くと、
「そんなら、舟に乗せる時に、海へ捨ててしまえ。」
と、情けのかけらもありません。これを、聞き付けた姫御前は、間の障子をからりと開けて、
「ええ、なんと情け無い。都へ送ると偽って、人売りに売り渡すのですか、恨めしい。売るなら二人一緒に、何処へでも売って下さい。しかし、若を殺すなら、私も生きてはいません。」
と、涙ながらに訴えるのでした。二人は、それは道理だと納得し、絹十疋で手を打ちました。それから、長太は大津に帰りましたが、姫御前は、三国(福井県坂井市)に連れて行かれて、更に絹十五疋で売られました。その次は、宮越(石川県金沢市金石町)、あちらこちらと売られ買われて、越中の六渡寺(ろくどうじ:富山県射水市)へと売られました。六渡寺の七郎は、越後の国に連れて行き、直井の次郎に売った時には、絹五十疋になっていました。
姫御前は、過酷な生活の中で、こう考えて耐えて居ました。
『一若がせめて、七歳になるまで、我慢して生きて行こう。七歳になったなら、出家をさせ父母の菩提を弔わせ、私はどうなろうとも一若は、父の中納言と、再び巡り逢う日もあるのに違い無い。』
直井の次郎は、人売りにしては、情け深い人でした。姫御前の様子を見ると、心の中で、こう思いました。
『むう、この姿は、普通の人とも思えない。又、重ねてその辺の人売りに売るのなら、どこまでも流れて行くことだろう。それでは、あまりに可哀想だ。そうだ、陸奥の国の武井殿は、有徳な方と聞く。美しい女を買い留めて、情けを掛けて遣っているとのことじゃ。よし、武井殿の所に売ることにしよう。』
直井の次郎は、姫御前に美しい小袖を着せると、馬に乗せ、一若は、男に背負わせて、陸奥の国へと向かいました。武井の館に着くと、直井の次郎は、
「私は、直井の者ですが、武井殿の家は、大変目出度い家であり、美しい女を買い留めて召し遣われると聞きましたので、女をこれまで連れて参りました。ご覧下さい。」
と、言いました。武井はこれを聞いて、
「越後の国から、遙々と、この国まで尋ねてくれたのですか。有り難い事です。」
と、見れば、たいした美人です。武井は、
「長旅で、お疲れでしょう。内へ入れて、おもてなしをしなさい。」
と言うと、武井は、直井の次郎を呼び寄せて、当座の褒美として、野取りの馬を十匹。上々の絹二百疋を与えたので、直井の次郎は、喜んで飛び上がり、そのまま越後へと跳んで帰ったのでした。
つづく