むらまつ(4)
武井殿は、慈悲第一のお人として、名が知れておりましたので、姫御前を座敷に上げると、様々と旅の疲れを労りました。武井殿が北の方に、
「今日来た美人のお客をもてなして、どんな人なのかを見て参れ。」
と、言うと、女房は、一揃いの瓶子に肴を添えて、姫御前の部屋を訪れました。姫御前の様子は、旅に疲れ果てて、やつれてはおりますが、ふつうの人とは違う雰囲気がありました。髪の形や着物の着こなしなどは、どう見ても、その辺の女ではありません。又、一若殿のお姿も、例え様も無い程、高貴な感じがします。北の方はこれを見て、
「まあ、なんと労しいお姿でしょうか。いったい何処の方なのですか。」
と、聞きますが、姫は、出自を聞かれることさえ、辛そうです。涙に咽びながら、しばらくは返事もできないで居ましたが、やがて、泣きながらこう話しました。
「私は、相模の国の者ですが、以前に国司様が下向された時、馬屋の下人と夫婦になり、この子を授かりました。それから、夫が都へ帰ってしまったので、後を追いましたが、大津の浦で拐かされ、この国まで、売られてきたのです。」
これを聞いた北の方は、
「それはなんとも哀れな事でした。普通の人とは異なるお姿の御方ですから、ここでは、良いように面倒を見て差し上げましょう。」
と言って、武井殿の所に戻ると、こう話すのでした。
「あの上﨟は、その辺の普通の女ではありませんよ。髪の形も着物の着こなしもさることながら、三十二相のすべてを備えています。これ程の上﨟を、これまで見たことはありません。又、若君の姿も大変可愛らしく、高貴な感じです。」
武井は、これを聞くと、
「おお、さては由緒のある御方に違い無い。不自由の無いようにもてなしてあげなさい。」
と、言い、新しい御殿を建てて、我が子の様に可愛がったのでした。そうして三年の月日が流れましたが、姫御前は、こんなことを思うようになったのでした。
『なんと浅ましいことでしょう。もう父母の第三年忌が近付いて来ました。何か大善根を行って、供養をしなければ、生きている甲斐がありません。』
そして、姫御前は、二人の親の回向に、法華経の写経を始めたのでした。この様子を見ていた武井は、
「女の身でありながら、法華経をこのように美しく写経するとは、聞いたことも見たことも無い。よっぽど情けの深いお人なのだな。」
と、思う内に、恋の病に落ちてしまったのでした。驚いた北の方は、そんなこととは知らないで、数々の薬を尽くして看病しましたが、当然のことながら、良くなりません。気が気でない北の方は、武井の病を治す為に、築山の宮(不明:宮城県石巻市築山カ)に参籠して治癒祈願をするのでした。
さて、北の方が居なくなると、武井殿は手紙を細々と書き記して、小笹という下女を呼ぶと、姫御前へ届けさせました。この文を読んだ姫御前は、大変悲しんで、
「この三年の間、武井夫婦のお情けに頼って、悲しいことも忘れて過ごして来られたのに、またまた、辛く苦しい事になってしまいました。」
と溜息をつき、次の様な返書をしたためました。
『相模の国の下人と結ばれて、この子を授かりましたが、夫が居なくなると、国司様が、私を手に入れようとなされました。それが嫌で、私は国を出たのです。夫を捜して都へ上がる途中、大津の浦で拐かされ、売られ売られて、ここまで来ましたが、北の方のご恩は決して忘れることはできません。いくらお殿様のご命令でも、こればかりは、どうぞお許し下さい。もし、それが憎いとお思いになるならば、どうぞ、何処へなりとも、お売り下さい。武井殿。』
武井は、この返事を読むと、
「おお、それはほんとに道理じゃ。これ以上、悲しませては、あまりにも可哀想じゃ。」
と、深く感じて、恋心も失せて、病も回復したのでした。そこへ、北の方がお帰りになりました。武井殿の加減も良くなっているので、北の方は、祈願の霊験が顕れたと喜んだのでした。しかし、そこへ下女の小笹がやってきてこう告げ口をしたのでした。
「御台様。お殿様は、この程、客人の所へ通っていました。」
これを、聞いた北の方は、がらりと態度を変えました。
「なんですと。それは、不審なこと。この三年の間、本当の子供でも無いのに、情けを掛けて世話をしてきたのに、その恩も忘れて、後ろ目の暗いことをするとは。ええ、これからはこき使ってやる。」
と叫ぶと、能登の太夫を呼び、
「あの姫の髪を切り落とせ。」
と命じるのでした。太夫は容赦もなく、背丈程もある姫御前の髪を、肩の辺りでばっさりと切り落とすと、麻の衣に着替えさせ、庭の外へと、追い落とすのでした。そして、
「三十二匹の馬どもの水を汲んで来い。」
と命ずるのでした。可哀想に一若は、母上から離れまいと、必死に袖や袂にしがみついています。母子は、馬屋で暮らすことになりました。4月になると、田の仕事が始まります。田植え、草取り、水替え、一若は、草刈りと、毎日毎日こき使われるのでした。
さて一方、都では其の頃、三条の大臣の姫君がご懐妊成されましたが、十三月を数えても臨月とならず、母体も弱り果てて、食事も喉を通らない有様です。御門は、大変これをお嘆きになり、貴僧高僧を集めて、祈祷を行いましたが、なんの験(しるし)も顕れません。そこで陰陽の博士に占わせました。博士は、
「むむ、これは、人の生き霊と、山王権現のお咎めが原因に違いありません。」
と占いました。これを聞いた大臣達は驚いて、急いで日吉大社へ参拝したのでした。すると、比叡の山から、夥しい猿が降りて来て、烏帽子やら浄衣やらを引き破るのでした。(※猿は山王権現の使い)人々が、
「山王権現のお咎めだ。」
と、驚いていると、童巫女が狂い出でて、神託を告げました。
『千早振る 神(髪)も恨みの 深ければ 落つる涙を 思い知らせん』
「どうして、中納言と大納言を流罪にしたのか。呼び戻さないならば、今回のことで、神を恨むなよ。」
そう告げると、神の使いは天に戻って行ったのでした。人々は急いで都に戻り、事の次第を奏聞しました。御門は大変驚いて、
「それならば、大納言、中納言を急いで、帰洛させよ。」
と、御免の使いを早速に送りました。やがて、沖の嶋に舟が着きました。大納言と中納言は罪を許され、都へ戻ることができたのでした。人々の喜びは、限りもありません。
つづく