猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 28 古浄瑠璃 村松(6)終

2014年03月24日 20時18分43秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

むらまつ(6)終 

 中納言は、蔵人に、

「急いで、武井の所へ行き、二位の中納言が下向して来ると伝え、馬と輿を用意する様に言え。又、御前の着物を用意するようにと言い添えよ。」

と命じました。早速に蔵人は武井の館に飛んで行きました。武井は、大変驚いて、

「ははあ。中納言様の御下向は、何より目出度いこと。」

と平伏すると、馬、輿、着物を用意して、迎えに向かわせました。今や遅しと、待っていますと、御装束も華やかに中納言は、馬に乗り、御前親子は、御輿にのって、武井の館に到着しました。迎えに出た、武井夫婦は、

「これまでの御下向。お目出度う御座います。」

と畏まるばかりです。女房が、御輿の前に進み、水引を上げますと、御輿から出てきたのは、なんと、あの上﨟です。その後に付いて出てきたのは、草刈り姿のままの一若でした。女房は、呆れ果てて頭を、地に付け、赤面する外はありませんでした。武井もこれを見ると驚いて、物も言わずに平身低頭するばかりです。中納言はこの様子をご覧になり

「さて、武井殿。嬉しいことに、よくぞこの親子を買い取り置いてくれたな。お前が、買い取ってくれたお陰で、再びこのように、巡り逢うことができたぞ。情け容赦も無くこき使った事は、憎いことだが、まあしかし、そのことは目をつぶろう。」

と、機嫌良く言うのでした。夫婦の者は、ほっと息をつき、

「有り難いお言葉。有り難う御座います。事の経緯は、すべて姫御前がご存知です。」

と言うと、その時、姫御前は、武井夫婦をかばって、次の様に話しました。

「お殿様。夫婦の方々は、私が主人であるかのよう、情けを掛けて尽くしてくれました。どちらも、悪くはありません。このような事になったのは、小笹という下女が、御台様に讒言をしたからです。」

中納言は、これを聞くと、

「それでは、小笹を連れて来い。」

と、命じました。小笹は高手後手に縛められて、中納言の前に引き据えられました。中納言は小笹を見ると、

「舌三寸を使って、五尺の身体を害したな。今こそ、思い知らせてやろう。女の舌を抜け。」

と命じました。小笹は、罫引きの端で舌を抜かれ、口を引き裂かれ、指を切り落とされて、嬲り殺しにされました。それから、能登の太夫が呼び出されました。中納言は、

「幼き者や御前を、よくも情けも無く叩いたな。太夫の二十の指を切り落として、追放せよ。」

と命じました。指を切り落とされた能登の太夫の姿を見て、笑わぬ人はありませんでした。

 姫御前や一若殿は、昨日までの田草取りとは一変して、華やかな風情です。この三年の間、世話になったり、仲良くなった人々を呼んで、お礼の金銀をお渡しなりました。やがて、都より共の軍勢五百余騎が到着すると、人々は辛い思いをした武井館を離れて、都へと旅立ったのです。日数も積もって、大津の浦につくと、母子を売り飛ばした長太夫婦を捕まえて、首を討ち落として、晒し首としました。

 さて、都へ着くと、父の大納言も母上様も大喜びです。中納言は、直ちに参内しました。御門もお喜びになり、除目(じもく)の儀式を行いました。中納言は大納言となり、一若殿は、少将に任命されたのです。更に、大納言は、滅ぼされた村松の敵討ちを奏聞しました。これに対して、御門は、尤もであると、重ねて、武蔵の守を賜わりました。

 大納言は、有り難やと、一千余騎の軍勢を揃えて武蔵国に向かいました。武蔵国でさらに軍勢を増やすこと三千余騎。曾我館を四方より取り囲みました。曾我は、これを見るより降参し、腹十文字に掻き切って自害しました。村松殿の供養の為と、その首を刎ねて晒し首とするのでした。それから、主人を裏切った馬屋の忠太を捕まえると、腰より下を地面に埋め、鋸で首を挽かせ、人々の見せしめとしました。一方、母子が落ちるのを助けた金八には、一万町歩の土地を褒美として与えたのでした。有り難い事です。その後、大納言殿は、村松館のその跡に、お城を建てました。小高い所に、塔を建て、川に橋を架け、沢山の僧を集めて武井夫婦の供養を行ったということです。実に頼もしい事だと、感心しない人はありませんでした。ご一家は、ますます御繁栄なされて、富貴の家になったということです。

おわり

 


忘れ去られた物語 28 古浄瑠璃 村松(5)

2014年03月24日 18時00分57秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

むらまつ(5)

  都に戻ることができた中納言は、母御前に、相模の国の村松はどうしているかと聞きました。御台様は、

「そのことですが、その後、曾我という者が、姫を迎え取ろうと言い出して、村松と対立して、戦となりました。村松は無勢でしたから敗北し、夫婦の方々は自害されました。姫と若とは助かって、忠太と申する者を頼りましたが、この者に裏切られて、どこかへ落ち延びたということですが、行方は知れないそうです。」

と、話すのでした。中納言はこれを聞いて、

「なんと、哀れなことであろうか。島で、何度も自害しようと思いましたが、ひょっとしたら又、逢えるかも知れないと、思い直して、毎日を過ごして来ました。若の行方が知れないのであれば、もう世を厭うて、出家いたしましょう。」

と、肩を落しました。ところが、乳母の蔵人は、これを聞いて、

「なんと愚かなことを、考えてもご覧下さい。日本は小国です。西に東に、北に南に捜し廻っても、たいした広さではありません。どうして、必ず逢えるとお思いになって、お捜しにならないのですか。御契は深いのですから、必ずお逢いすることができるはずです。」

と、大変頼もしげに、励ますのでした。これを聞いて中納言も力を得て、

「それでは、母と子を捜しに出掛けるとしよう。」

と、思い切り、旅の用意をなされました。商人の風情に姿を変え、褐(かちん)の直垂に折烏帽子を被り、千駄櫃を拵えると、下人を二人と、蔵人と、主従四人で都を出発しました。人々は、先ず本国の陸奥の国へ向かうことにしたのでした。

《道行き:□は欠落文字・・・補綴渡部》

恋しき人には粟田口(京都府東山区)

君は留めぬか関山と(逢坂の関)

尋ぬる人に逢坂の

関の清水に掛けさせど、□とより(帝都カ)

今ぞ、大津の浦(滋賀県大津市)

にほの海中(琵琶湖)、舟寄せて

乗りも倣わぬ、旅の空

焦がれて、物をぞ思いける

我を哀れみましませと

□よし(日吉)の山を伏し拝み(比叡山)

堅田の浦に引き網の(滋賀県大津市)

目毎に脆き涙□□(かな)

海津の浦に舟寄せて(滋賀県高島市)

尚、行く末は、愛発山(あらちやま:滋賀県福井県県境)

越前の敦賀□(へ)越え

加賀や能登をも越え過ぎて

越中、越後を指し過ぎて

国々、郡、郷々に

見残す方もあらばこそ

恋しき人に奥州や

ちかの潮屋の夕煙(不明)

崖に忍ぶ(信夫)の里ぞ憂き(福島県福島市)

今、来て見るや衣川(岩手県奥州市衣川区)

名所旧跡、尋ぬれど

恋しき人はなかりけり

けつしよ(不明)本吉(宮城県気仙沼市本吉町)尋ねんと

郡(こおり)に入りて見給えば

涼しき松の木陰あり

しばらく、休みおわします。

 中納言は、松の木陰に腰を下ろすと、弁当を開けました。頃は五月の末頃のことでした。気の毒なことに姫御前は、武井殿にこき使われ、毎日、田草を取って暮らしております。一若は今年、九つになりました。一若も草刈り鎌を持たされて、遊んでいる間もありません。その日も一若殿は、畦に出て、草刈りをしていましたが、暑さにくたびれて、畦を枕に寝てしまいました。姫御前が、気が付くと、能登の太夫が見回りに来ます。姫御前は、慌てて一若を起こしました。

「これ、太夫が来ますよ。」

と、引き起こすと、一若は、目を醒ますなり、母上に縋り付いて泣き出しました。姫御前がどうしたのだと尋ねると、一若は、

「今、不思議な夢を見ていたのです。七十ぐらいの老僧が出てきて、『父に会いたいのならこっちへ来い。会わせてやろう。』と言うので、御僧の袖につかまって、橋を渡りますと、御僧が、『この橋こそ、夢の浮き橋。私を誰と思うか。お前の父の氏神じゃ。今、父に会わせてやるぞ。さあさあ、急げ。』と言うのです。それなのに、そこで、母様に起こされてしまったのです。」

と、泣きじゃくるのでした。これを聞いた母上も、一若に取り付いて、涙を流すのでした。これを見ていた能登の太夫は、突いていた杖で、姫御前を打ち据え始めました。一若殿は、いじらしくも、

「母上には科はありません。私を叩いて下さい。

と、杖に縋り付いて、訴えるのでした。能登の太夫は、今度は、一若を打ち伏せて、あっちこっちへと引きずり回します。今度は、母が取り憑いて、

「幼き者に科はありません。私を叩いてください。」

と泣くのでした。

 中納言は、半町ほど(約50m)離れた所で、この様子を見ていました。この母子が、尋ねる姫御前と一若であるとは、夢にも知りませんでしたが、やはり切れぬ縁があったのでしょう。蔵人を呼ぶと、

「あそこで、幼き者を叩いているのは、親なのか、祖父なのか分からぬが、情けも無い様子。あの子供を連れて来て、弁当を食べさせて、慰めてあげなさい。」

と命じました。蔵人は、すぐに子供を迎えに行き、中納言の前に連れてきました。中納言は、

「さあ、弁当を食べなさい。」

と言って、弁当箱を手渡しました。一若は、弁当を受け取りましたが、彼方を見詰めて泣くばかりです。中納言が、

「何を、悲しんでいるのか。」

と聞くと、一若は、

「お手ずから、弁当をいただいておきながら、このような事を言うのは、憚られますが、あそこで、田草を取っているのは、私の母上です。今朝のご飯も、昼のご飯も食べていないので、とてもお腹がすいているだろうと思うと、涙しか出ません。」

と答えるのでした。中納言は、この言葉に感心して、

『幼い者でありながら、親を哀れむ優しい心。捜している一若も。生きているなら、これぐらいの姿形であろうなあ。』

と思い、涙ぐんで、こう尋ねました。

「お前の、親の名は、なんと申す。」

一若殿は、これを聞くと、尚一層に辛い様子になり、

「父上様が居るのなら、どうしてこんな所で、辛い目に遭うことでしょうか。」

と泣きました。中納言は、重ねて、

「元々は、どこの国の者なのか。」

と尋ねると、一若は、

「都の者です。」

と答えました。中納言が、

「私も都から来たのだ。都にいる父に伝言をしなさい。伝えてあげよう。」

と、言いますと、一若は、

「それでは、憚りながらお願いいたします。私の父は、五条壬生の中納言と申します。相模の国へ御下向されて、若を一人設けました。その若と母は、この国まで売られ来て、武井殿の館に居るということを、知らせて下さい。都のお人。」

と、語るのでした。これを聞いた中納言は飛び上がり、一若に走り寄って、

「さては、お前は一若であるな。中納言とは私のことだぞ。」

と抱き上げるのでした。一若殿もひっしと抱きつき、互いに、はっと涙に暮れました。やがて、中納言が、

「母上は、どこにおる。」

と言えば一若は、向こうの田んぼに居る母上の方を指さしました。一若と中納言は、田んぼの中に走り降りて、姫御前に取り付きました。

「おお、ようやく見つけたぞ。姫御前。」

姫御前は、余りの嬉しさに、これは夢かと取り付いて、只泣くばかりで、言葉も出ません。なにはともあれ、手に手を取り合って田から上がると、先ずは松原でひと息つくのでした。この人々の喜びの激しさを、何かに例え様もありません。

つづく