猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 4 説経越前国永平寺開山記 ⑧

2011年12月02日 12時21分13秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

永平寺開山記 ⑧

 貧女と老女を連れ帰った道正は、道元に事と次第を物語りました。道元は、それを聞いて、

「親孝行の志、誠に殊勝なり。教化(きょうげ)してあげましょう。」

と、一家の秘密の開経(※法華経の序説:無量義経)を授けました。貧女は、あまりの有り難さに、肌の守りを取り出すと、

「この守りは、私の父上様、最期の時に、私に給わりました形見ですが、只今の御説法の御礼に、お坊様に献げます。」

と、言いました。道元が、受け取って開いてみると、守りではなく家の系図でした。はっと驚いた道元は、

「この守りは、あなたの父上様から譲り受けたのですね。」

と、確かめました。貧女は、

「はい、そうです。私はまだ二歳の頃でしたから、何も覚えてはいませんが、これなる母上から聞かされてきた話です。」

と、答えました。道元は、

「そうであれば、あなた方は、中納言道忠公の御台と姫なのですね。私こそ、かつての神道丸ですよ。」

と、駆け寄りました。貧女親子は驚いて、

「ええ、それでは、あなたは兄上様。私は松代の姫、これは母上様です。」

と、期せずして、涙、涙の親子、主従のご対面。喜び合うこと限りもありません。

 ようやく涙を押しとどめて、道元は、

「これまでのお嘆きは無理も無いことです。しかしながら、ここで巡り会うことも、仏菩薩のお恵です。この上は、御台様は御髪を下ろされ出家なされ、姫君は、御門へ奏聞して、どこか良い家にお輿入れできるようにいたしましょう。なによりも、この再会よりも嬉しいことはありません。」

と言うのでした。

 ところが、母上は、返事も無く、今度は押し黙って俯いたままです。正気に戻った途端に、また悪心の炎(ほむら)がめらめらと立ちのぼってきたのでした。

「恨めしの道元。これほど近くに有りながら、我が身の栄華に昔を忘れ、姫やわらわを打ち捨てたままにして、私たちは、こんな浅ましいことになっているというのに。我が子、金若があるならば、こんなことにならずに済んだのに。思えば思えば道元は、我が金若の敵なり。」

と、思うと、もう我慢ができません。道元の胸元を食いちぎって、昔の無念を晴らしてやると、いきなり道元に飛びかかろうとしました。と、その時です。晴れ渡る空が一天俄に掻き曇って、黒雲が舞い降りると、御台を包み込み、その姿は見えなくなってしまいました。道元、道正は、少しも騒がず、天に向かって、

「おのれが心、おのれを知る。喝、喝。」

と、唱えると、払子を投げつけました。すると、不思議なことに雲間に文字が顕れ、雲は晴れ、御台の姿が地上に戻ってきました。驚くべき仏力です。

 道元は母上に、こう言いました。

「只今の有様は、あなたのお心より起こる所の悪心そのものです。直ちに懺悔しなさい。そうすれば、罪は消えることでしょう。」

母は、これを聞いて、ようやく得心し、

「ああ、恥ずかしい。昔の心が忘れられず、また悪心が起こってしまった。」

と、素直に懺悔をすることができました。道元は、更に喜んで、

「それでよいのです。一念発起菩提心、成仏を疑ってはいけません。姫と一緒に出家をし、それから、しっかりと修業なされなさい。」

と、優しく勧めるのでした。

 その後、松代姫と御台は、出家して、諸国を修業した後、鎌倉松が岡に尼寺を建てました。この寺も代々、今の世に続きますが、これも又、道元禅師の法力によって始まったことです。

(※松岡山東慶寺(神奈川県鎌倉市山ノ内)臨済宗円覚寺派のことと思われる。開基北条貞時、開山覚山尼:有名な縁切り寺)

つづく


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