最近、「野生の太夫」という称号を、とある方から戴きました。有り難い限りです。あっちも、こっちも蹴っぽって、寄る島も無き芸道だけれど、捨てる神あれば、拾う神あり。勿論、猿八座の八郎兵衛師匠に、拾われなかったら、何にも始まらなかったのだけれども。名を捨てても尚、芸は死ななず。いや、捨てたからこそ、芸になってきたか?(自分で言うべきではないが・・・)新しい可能性が開けて来たなあという、感謝でいっぱいの、五年目だということを、取りあえず、ブログの空白が長かったので、皆さんに報告しておきます。
先のブログ更新から、随分と間が抜けてしまいましたが、充電期間というか、制作期間ということで、ご了解いただきたいと思います。この間に、新曲を二つ、手掛けました。
ひとつは、小泉八雲シリーズ(私的には)第3弾「耳無芳一」、何が新しいかと言えば、これも、実に個人的な問題なのですが、琵琶語りを含める爲に、とうとう本調子の作曲に、踏み切ったということなのです。大変大げさな書き方かもしれませんが、二上がりをやめて、本調子にするということは、過去の自分を否定して、新たな創作をするというぐらいの大事なのです。それ程、私は、二上がりの人なんです。しかし、一般的に語り物は、義太夫も文弥も本調子で作曲されており、変調はあるにせよ、基調が、二上がりなのは説経祭文の特別な慣習とも言えるのです。
そこで、そういう、染みついたものをゴシゴシと削ることが、「芳一」を浄瑠璃にする爲のひとつの道だと考えました。さて、しかし、それは、節遣いの問題。
それ以上に、「耳無芳一」を浄瑠璃化する爲の一番の障害は、文言自体でした。そもそも、八雲は、この怪談を日本語で書いたわけではありません。私たちが文献的に読むことができるのは、原文の訳文です。今回、「耳無し芳一」を浄瑠璃化する爲に、一番重要だったのは、公開されている戸川氏の訳文をベースとして、どのような擬古文が可能かということに終始しました。実は、これまでの八雲シリーズ、「貉」「雪女」は、原文に近い文言、つまり現代語で、節付けをして来ましたが、この、「耳無し芳一」は、時代が時代だけに、なるべく浄瑠璃らしくしたかったのです。この作業には、最近、猿八座の活動に参加していただいている姜信子氏(作家)に手伝って頂き、八郎兵衛師匠と三人掛かりで、創作して見たのでした。
さて、今週から稽古に入る、猿八座の「耳無芳一」の公開は、まだ予定ですが、本年9月13日、愛知県豊田市、第3回のてぃーだかんかん小劇場です。
いきなり、何の写真でしょうか?これこそ、「野生の太夫」の証明です。
これは、バードコールです。野鳥の鳴き声を真似て、鳥を呼び寄せて、遊ぶのです。餌を持つ手に乗って来ることもあります。今時は、四十雀とお話するのが面白いですね。何で、「野生の太夫」の証明か、分かりましたか?実は、このバードコールは、元々は、新潟市の科学博物館で買ったものなのですが、本体が、どこかの山で抜け落ちてしまいました。そこで、修理したのがこの写真です。三味線の糸巻きは黒檀ですので、なかなかいい囀りです。つーぴーつーぴーつーぴー。糸巻き、勿体ないと、言われそうですが、粗相して折ってしまったものなので、リサイクルというわけです。
さて、二つ目の話しですが、これは、ちょっとその真相を、ここで、書き残すことは無理なので、結果だけ報告致しましょう。
これまで、私は芸歴のほとんどを、薩摩派説経節に費やしてきましたが、それは、「説経浄瑠璃」だと思い込んでの事でした。だから依り代が常に欲しかったのです。つまり、人形の地方をやりたかったのです。しかし、ようく「説経祭文」という出自を考えれば、傀儡が付く様になったのは後のことで、祭文は、元々唄、つまり唄祭文であっただろうなと、思い至りました。これは、実は私にとっては目から鱗の事態でありました。そう気付かせくれたの瞽女唄でした。例えば、同じ題材の「葛の葉」を、説経祭文をベースにして瞽女唄にしたのであれば、瞽女さん達は、何故、説経祭文をベースにしたのか、いや、べースにできたのは何故か。それは、説経祭文が唄物だったからではないだろうか。正しくは、瞽女さん達は、恐らく、説経祭文を聞いたのではなく、正本から文言を取ったのだから、(誰かに読んでもらって)説経祭文が、既に唄の文句だったのに違い無い。
そう考えると、長年、祭文を浄瑠璃として用いる時の抵抗感(所作にマッチしない)が、どうして生じるのかが分かる気がする。後年《大正時代から昭和初期》、説経祭文は、車人形等の浄瑠璃に流用されたけれど、その本質は、唄なのではないか。であるなら、本来は、説経祭文は、唄うべきなのではないか。そうして、紛れも無き「説経祭文」、唄う爲の「説経祭文」、「説経節」でも無く、「説経浄瑠璃」でも無く、唄う爲の「説経祭文・葛の葉」を、此の度、書いてみる事にしたのでした。新譜といっても、これまでの節付けを踏襲してはいますが、感覚としては、新しいのです。これも、偶然の巡り合わせですが、まだまだ、異なる可能性というのもは、あるものだなと驚いています。
一般公開は、未定ですが、ちょっと、験しの武者修行に、月半ばに行って来ます。
先のブログ更新から、随分と間が抜けてしまいましたが、充電期間というか、制作期間ということで、ご了解いただきたいと思います。この間に、新曲を二つ、手掛けました。
ひとつは、小泉八雲シリーズ(私的には)第3弾「耳無芳一」、何が新しいかと言えば、これも、実に個人的な問題なのですが、琵琶語りを含める爲に、とうとう本調子の作曲に、踏み切ったということなのです。大変大げさな書き方かもしれませんが、二上がりをやめて、本調子にするということは、過去の自分を否定して、新たな創作をするというぐらいの大事なのです。それ程、私は、二上がりの人なんです。しかし、一般的に語り物は、義太夫も文弥も本調子で作曲されており、変調はあるにせよ、基調が、二上がりなのは説経祭文の特別な慣習とも言えるのです。
そこで、そういう、染みついたものをゴシゴシと削ることが、「芳一」を浄瑠璃にする爲のひとつの道だと考えました。さて、しかし、それは、節遣いの問題。
それ以上に、「耳無芳一」を浄瑠璃化する爲の一番の障害は、文言自体でした。そもそも、八雲は、この怪談を日本語で書いたわけではありません。私たちが文献的に読むことができるのは、原文の訳文です。今回、「耳無し芳一」を浄瑠璃化する爲に、一番重要だったのは、公開されている戸川氏の訳文をベースとして、どのような擬古文が可能かということに終始しました。実は、これまでの八雲シリーズ、「貉」「雪女」は、原文に近い文言、つまり現代語で、節付けをして来ましたが、この、「耳無し芳一」は、時代が時代だけに、なるべく浄瑠璃らしくしたかったのです。この作業には、最近、猿八座の活動に参加していただいている姜信子氏(作家)に手伝って頂き、八郎兵衛師匠と三人掛かりで、創作して見たのでした。
さて、今週から稽古に入る、猿八座の「耳無芳一」の公開は、まだ予定ですが、本年9月13日、愛知県豊田市、第3回のてぃーだかんかん小劇場です。
いきなり、何の写真でしょうか?これこそ、「野生の太夫」の証明です。
これは、バードコールです。野鳥の鳴き声を真似て、鳥を呼び寄せて、遊ぶのです。餌を持つ手に乗って来ることもあります。今時は、四十雀とお話するのが面白いですね。何で、「野生の太夫」の証明か、分かりましたか?実は、このバードコールは、元々は、新潟市の科学博物館で買ったものなのですが、本体が、どこかの山で抜け落ちてしまいました。そこで、修理したのがこの写真です。三味線の糸巻きは黒檀ですので、なかなかいい囀りです。つーぴーつーぴーつーぴー。糸巻き、勿体ないと、言われそうですが、粗相して折ってしまったものなので、リサイクルというわけです。
さて、二つ目の話しですが、これは、ちょっとその真相を、ここで、書き残すことは無理なので、結果だけ報告致しましょう。
これまで、私は芸歴のほとんどを、薩摩派説経節に費やしてきましたが、それは、「説経浄瑠璃」だと思い込んでの事でした。だから依り代が常に欲しかったのです。つまり、人形の地方をやりたかったのです。しかし、ようく「説経祭文」という出自を考えれば、傀儡が付く様になったのは後のことで、祭文は、元々唄、つまり唄祭文であっただろうなと、思い至りました。これは、実は私にとっては目から鱗の事態でありました。そう気付かせくれたの瞽女唄でした。例えば、同じ題材の「葛の葉」を、説経祭文をベースにして瞽女唄にしたのであれば、瞽女さん達は、何故、説経祭文をベースにしたのか、いや、べースにできたのは何故か。それは、説経祭文が唄物だったからではないだろうか。正しくは、瞽女さん達は、恐らく、説経祭文を聞いたのではなく、正本から文言を取ったのだから、(誰かに読んでもらって)説経祭文が、既に唄の文句だったのに違い無い。
そう考えると、長年、祭文を浄瑠璃として用いる時の抵抗感(所作にマッチしない)が、どうして生じるのかが分かる気がする。後年《大正時代から昭和初期》、説経祭文は、車人形等の浄瑠璃に流用されたけれど、その本質は、唄なのではないか。であるなら、本来は、説経祭文は、唄うべきなのではないか。そうして、紛れも無き「説経祭文」、唄う爲の「説経祭文」、「説経節」でも無く、「説経浄瑠璃」でも無く、唄う爲の「説経祭文・葛の葉」を、此の度、書いてみる事にしたのでした。新譜といっても、これまでの節付けを踏襲してはいますが、感覚としては、新しいのです。これも、偶然の巡り合わせですが、まだまだ、異なる可能性というのもは、あるものだなと驚いています。
一般公開は、未定ですが、ちょっと、験しの武者修行に、月半ばに行って来ます。
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