すみだ川 ⑥
一方、もう一人梅若殿を捜し続けていた粟津の二郎利光は、四国九国と尋ね巡りまし
たが、とうとう梅若殿の行方を知ることはできませんでした。ある時、利光は、大津の
辺りを捜そうと考えて、江州(滋賀県)へと向かう途中、四宮河原(京都市山科区四宮)
を通りかかりました。すると、松井定景に組みした山田の三郎が、小鳥狩りをしている
ではありませんか。利光は、
「これは、天よりの授かりもの。」
と喜ぶと、猛然と谷に駆け下り、山田の細首をあっという間に切り落としました。
ところが、大勢の山田の家来達に追い詰められてしまい、最早これまでと思った時のこ
とです。どこからとも無く、山伏が一人現れたかと思うと、利光を引っ掴んで、虚空に
舞い上がったのでした。山伏は、飛ぶに飛んで、相模の国の大山不動まで来ると、利光
を降ろしました。(神奈川県伊勢原市)山伏は、
「我は四国よりの使者であるぞ。この神に祈誓を懸けよ。」
と言うと、煙のように消え失せました。利光は、ありがたやとその跡を伏し拝むと、
大山不動に向かいました。
「梅若殿の生死を、教えて下さい。教えて下さらないのなら、この利光の命を取って
下さい。」
初めの七日間は、その場を少しも動かずに立ち行をし、次の七日間は水行をしました。
更に、七日間の断食行をして、渾身を籠めて祈り続けました。すると、二十一日目の明
け方に、山も草木も振動を始め、愛宕山の太郎坊(京都市右京区:太郎坊は天狗)、讃
岐の金比羅、大峯山の前鬼(奈良県吉野郡下北山村:前鬼は役小角の従者で天狗となる)の一党
等の大天狗、小天狗が現れ、かつて行方知れずになった松若殿を連れてきたのでした。
「如何に、利光。お前は、主君に孝ある者であるので、松若を返すことにする。母も梅
若も武蔵と下総の境にある隅田川で、既に亡くなった。お前はこれから、松若の行く末
を、守護するのだ。」
天狗は、そう告げると、再び虚空に飛び去りました。松若殿は、利光から事の子細を聞
いて、大変悲しみました。利光は、
「先ず、これより都へ上り、日行阿闍梨を頼みとして、帝へ参内いたしましょう。松井
源五の仇討ちを果たし、それから、母上、梅若殿の菩提を弔うことにいたしましょう。」
と諭したのでした。こうして、松若殿と粟津利光の二人は、都を指して急ぎました。
都に着くと、早速に日行阿闍梨の所へと行きました。日行も阿闍梨も事の次第を聞くと
涙を流して嘆かれました。
さて、日行阿闍梨の計らいで、参内が叶うと、帝はこのような宣旨を与えました。
「この度の浪人は、さぞや無念であったろう。褒美として、四位の大将是定に任じ、下
総の国を与える。又、松井の源五は成敗いたせ。」
そして、屈強の兵、約五百名まで下されたのでした。
松若殿は、早速に、利光を大将として、北白川に押し寄せて、鬨の声を上げました。
突然のことに驚いた松井は、戦いもせずに逃げ出しましたが、やがて捕縛されて、首を
斬られました。
さて、松若殿はそれから、多くの家来を従えて、下総の国に入りました。そして、父
母の為、梅若殿の為に、篤く菩提を弔ったのでした。それから数々の館を建て並べた松
若殿は、栄華に栄えたということです。なんとも目出度いとも、なかなか申すばかりは
ありません。
おわり
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