猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 18 説経角田川 ③

2013年03月05日 15時46分00秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

すみだ川 ③

 無惨にも粟津利兼は、がんじがらめに縛り上げられて、松井の前に引き出されました。松井が、

「やあ、利兼。俺の味方に付けば、こんなことにはならなかったものを。さて、梅若は、

どうした。自害したか。落ち延びたか。正直に申せ。」

と言えば、粟津利兼は、

「ええ、定景。おのれは、主君の恩も忘れ、このような悪逆をするなら、因果は忽ちに

報うぞ。」

と言い放ちました。腹を立てた松井は、

「ふん、そんなに早く死にたいか。」

と言うと、白川の河原に引き出して、首を刎ね、晒し首にしたのでした。その上、高札

に、『この者、悪心を企むにより、斯くの如く行うものなり』と書かせたのは、まった

く情けないことです。

 松井が、首実検にやって来ました。すると、なんとも不思議なことに、粟津利兼の首は、

目を開いて、こう言いました。

「如何に定景。私に悪心など微塵も無いのに、よくもこんな高札を立てたな。三年の内

には必ず、お前達も晒し首にしてやるから覚悟せよ。」

そうして、粟津利兼の首は、天高くに飛び上がって行ったのでした。これを見た松井は、腰

を抜かし、ぶるぶると震えながら館へ逃げ帰ったのでした。

 これはさておき、落ち延びた梅若殿は、粟津の二郎利光に連れられて、坂本へと山道

を歩いていましたが、闇夜のことで道に迷ってしまいました。だんだんと夜が明けてきました。

しかし突然、粟津利光の具合が悪くなり、木の根本に倒れ伏してしまったのでした。驚

いた梅若殿は、

「どうしたのだ。利光。お前の父、利兼は、現人神と言われた人ぞ。その子ともあろ

う者が、どうしてこんなところで倒れてしまうのだ。母上のいらっしゃる所まで、何と

してでも連れて行けよ。お前が。ここで死んでしまったら、私はどうすればよいのだ。」

と、流涕焦がれて泣くばかりです。もう既に夜も明けてしまいました。梅若殿は、谷に

下ると、袂を清水に濡らして、利兼に与えようとしました。しかし、今度は帰り道を失

ってしまいました。獣道に迷ってしまったのです。あちらこちらと踏み迷って、どうし

ても粟津利光の元に帰ることができません。そうこうしている所に、奥州の人買いが通

りかかりました。人買いは、梅若殿を見つけると、

「おやおや、若殿。どうされましたか。私が助けてあげましょう。」

と言い、東国へと、梅若殿を連れ去ってしまったのでした。

 さて、粟津利光は、長いこと倒れていましたが、やがてかっぱと起きあがると、梅若殿

が見あたりません。

「さては、お一人で坂本へお行きになったか。」

と思い、急いで坂本へ走りました。しかし、坂本に着いてみると、御台様は、

「どうして、梅若丸は居ないのか。」

と言うではありませんか。粟津利光は、

「はっ、白川より御供をいたして、山を越えて参りましたが、途中、私の具合が悪くな

り、道端で倒れてしまいました。気が付いてみると、既に若君の姿がありませんでした。

お一人でこちらに向かわれたとばかり思っておりましたが、きっと獣道に迷われたに違

いありません。探しに行って参ります。」

と、そのまま立ち上がると、山々谷々を尋ね回りましたが、梅若殿の行方は、分かりませんでした。

粟津利光は、

「このまま、手ぶらで帰るのなら、御台様はさぞかし私を恨むことだろう。この上は、

どこまでも探し続ける外はない。」

と考えて、諸国修行をしながら、梅若殿を探すことにしたのでした。

 さて、特に哀れであったのは梅若殿でした。梅若殿を連れた商人は、大津の打出の浜

から、瀬田の唐橋を打ち渡り(滋賀県大津市)、東の方向へと足早に進みました。さす

がの梅若殿も、これはおかしいと思い、

「いったい、何処へ連れて行こうというのですか。私は、山中に家来を残して来ています。

坂本へ連れて行って下さるのでは無いのですか。」

と問い質しました。ところが、商人は、

「何、小賢しいこと小僧め。つべこべ言わずに早く歩け。」

と、引っ張ります。梅若殿は、

「さては、お前は、人拐かし(かどわかし)だな。とんでもないことになった。」

と、やっと事態に気が付くと、腰の刀に手を掛けましたが、あっという間に商人に取り

伏せられてしまいました。商人は、刀を奪い取って、梅若殿を散々に打ち打擲しました。

梅若殿は、

「お願いです。私は都の者ですよ。平にご容赦して、都に連れて帰って下さい。」

と泣きながら懇願しましたが、商人は、

「口のうまい小僧だ。」

と言って、更に打ち叩き、引きずって、歩け歩けと責め立てました。その有様は、まる

で、阿傍羅刹(あぼうらせつ)が、罪人を引っ立てて、懲らしめるが如くです。そうし

て、梅若殿は、隅田川の辺まで連れて来られたのでした。

 可哀相に梅若殿は、馴れぬ旅に重ねて、杖で強く叩かれ、足は切れて血潮に染まり、

もう一歩も歩けない状態です。川岸にどっと倒れ伏すと、もう立ち上がれませんでした。

商人はこれを見て、

「何で歩かぬか。急げ、急げ。」

と、引きずりますが、労しいことに梅若殿は、叫び声も出ずに、横たわったままです。

商人はいよいよ腹を立てて、死んでしまえとばかりに、杖で打ち叩き、やがて一人で東

国へと去って行ったのでした。まったく情けも無い次第です。

 そこに、在所の人々が集まって来て、声を掛けました。

「どうやら、由緒のある方とお見受けしますが、どちらからいらっしゃたのですか。

お名前は何と言うのです。」

梅若殿は、これを聞くと、苦しい息の下より、こう答えました。

「おお、情け深い人達ですね。私は、都、北白川、吉田の少将、是定の嫡子で、梅若

丸と申します。人商人に拐かされ、こんなことになってしまいました。都にいらっしゃ

る母上様が、さぞかしお嘆きになっていることでしょう。ああ、もうこうなっては、仕

方ない。私が、ここで死んだなら、道の辺に塚を築いて、印に柳を植えて下さい。そうして、

事の次第を高札に書いて立てて下さい。御願いします。ああ、お懐かしい母上様。」

梅若殿は、これを最期の言葉として、御歳は十三歳、三月十五日に、お亡くなりになっ

てしまったのでした。梅若丸の御最期は、なんとも哀れな次第です。

つづく

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