ごすいでん その1
世界の中心である須弥山(しゅみせん)の南には、南閻浮提(なんえんぶだい)があり、その海岸に補陀落山(ふだらくせん)という観音の住む聖地がある。
これを地理的に言うなら、ヒマラヤ山脈に南には、インド大陸があって、その南端には観音様が住むという補陀落山があるということになるだろうか。四百年前の説経師達は、この地理的な関係を、この物語の書き出しとして、日本においては、帝都より南に紀伊の国があり、その聖地熊野権現の由来を、インドの話に置き換えて語ろうとする。いったい、説経師達の意図はなんであったのだろうか?
紀伊の国の熊野権現は、あまねく利生をほどこし、すべての人々の願いを聞き入れてくれるという、そのいにしえを尋ねれば、元々は中天竺(インドの中部)にあったマガタ国の大王でありました。
現世での名前を、「千ざい王」といいました。玉を磨き、甍を並べた御殿に、一万の臣下、十万の殿上人が仕え、美しい都を統治されていました。さてまた、千ざい王は、千人の后を持ち、昼夜に御遊覧して、喜見城(楽園の例え)の楽しみとは、このことであると思われる程でした。
しかし、大王は、楽園に暮らしながらも、世継ぎの王子が無いことが、唯一の嘆きでした。大王は、千人の后の中でも特に美しかった、末のお后「千王女」を特に寵愛しました。千王女は、容姿が美しいだけでなく、八歳の春より観世音菩薩に帰依して、三十三巻の普門品を毎日怠らずに読誦しました。その霊験が現れたのでしょうか、やがてご懐妊されたので、大王の寵愛はますます深くなりました。
大王は、内裏から一里ばかり離れた千丈松原という山麓に、新たな御殿を建立すると、千王女を移し、「ごすいでん」と名付けました。大王は、ごすいでんに御幸されたまま、内裏に戻らなくなりました。
内裏では、残り九百九十九人の后達が、集まって、嫉妬して憤り、
「大王様は私たちを疎んじて、すっかり顧みられない。まして、王子誕生ならば、我々が内裏の住まいは、有り甲斐もない。生まれる前に、ごすいでんを殺してしまえ。」
と、口々に叫ぶ有様は、浅ましい限りです。中にも蓮華夫人(れんげぶにん)という后の悪知恵には、
「隣の国に、四十年、八十年先を占う相人がいるので、占わせて、その上で、相人に頼んで、呪詛させましょう。」と小賢しくも計略をし、さっそく、その博士を、内裏に呼びつけました。
陰陽の博士が、内裏に上がるやいなや、蓮華夫人は、
「まず、ごすいでんの懐妊は、王子か姫君かを占いなさい。」
と言いました。博士は、占方を開いて、しばらく考えると
「大変、目出度い事です。王子がご誕生されます。「米」と「宝」という字を左右の手に握り、ご誕生のその日から、百年間、世界は安堵し、三歳の年には悟りをひらかれ、七歳で東宮へお上がりになり、十歳の年には、唐、天竺を掌に納められるでしょう。さてさて、類稀なる王子様であられます。」
と占いました。これを聞いた九百九十九人の后達が、いよいよ、憎しみをつのらせたことは言うまでもありません。蓮華夫人は、
「この上は、ごすいでん、王子諸共に、呪詛して、呪い殺しなさい。」
と、言いますが、博士は、
「愚かなことを、かの太子は、未だ胎内にあるとはいえ、母子諸共に、百日の間、法華経を読誦して、毎日三巻づつの観音経も怠らずに読んでおられるのですから、どのような呪詛も効きません。法華経普門品には、還著於本人(げんじゃく おほんにん)とあるように、返って、ご自分に災いしますぞ。外に洩れ聞かれぬ内に、思い留まってくだされませ。」
と、道理を尽くして説得をしましたが、
「ごすいでんが、王子を生んだなら、一番末だった后が、第一の后となってしまう。そんなことは、見たくも無い。これから、大王の前で占い、太子を悪王子と奏聞して、九百九十九人の后の憤りを静めるのです。」
「とんでもない。」
と、博士は席を立ちますが、たちまち九百九十九人の后に取り囲まれ、押し倒され、
「博士、よく聞きなさい。九百九十九人の心は一つ。思い変えることはありませんぞよ。生きながら九百九十九人の鬼となる。ごすいでんに乱れ入り、太子諸共、ごすいでんを引き裂いて、それから、おまえの子孫、末孫まで取り殺してやるぞ。」
と、九百九十九人の后達は、たちまち顔色が変え、髪の毛を逆立てて、襲いかかってきます。その凄まじさに怖じけ付いた博士は、
「ああ、仕方ない、仏神、許してください。」
と、とうとう、嘘の奏聞を承諾してしまうのでした。
つづく
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