1932年9月25日、カナダのトロントで生まれた
グレン・グールド。
グールドは作曲家グリーグの遠縁にあたる、
というのが、もっぱらのウワサ?
ピアノと、オルガンと、作曲を学んだグールドの、
演奏家としてのデビューはオルガンで、1945年のこと。
翌1946年、ピアニストとして正式にデビュー。
1956年に、初めて発売されたアルバムが、
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。
(英語読みでは「ゴールドベルグ」)
グールドといえば、そのテクニックもさることながら、
楽器へのこだわりも、徹底していたようです。
「ハープシコードに限りなく近い」ピアノが、
グールド好みであったと伝えられています。
・表面をざらざらにした鍵盤。
・沈みが浅いキー。
・ハンマー位置と打弦の調整、等々。
これらは、バッハのノンレガートを実現するため、とも。
お気に入りのスタインウェイを大改造したピアノが、
グールドと演奏活動を共にしていたようですね。
ただ、メーカー側は、グールド仕様のピアノが、
標準的なピアノとは全く違うものであることを
大きくアピールしていたようです。
また、最後の2年間は、ヤマハのFCーIIモデルが、
グールドのパートナーだったとか。
この天才肌の芸術家が、50歳の誕生日を迎えて間もない
1982年10月4日。
その両の手は、二度と鍵盤に触れることがなくなりました。
余談ですが・・・
グールドは、ピアニストのマルタ・アルゲリッチの
ファンだったとも伝えられています。
アルゲリッチ女史は、今も世界の第一線で活躍中なので、
グールドとは違う世代のように思いたくなりますが、
1941年6月5日生まれなので、9歳年下なだけ。
もしも、グールドが生きていたならば。
楽器もテクニックも、グールド自身が納得できるピアノを、
今、弾いていたかもしれませんね。
鼻歌まじりで……。
グレン・グールド。
グールドは作曲家グリーグの遠縁にあたる、
というのが、もっぱらのウワサ?
ピアノと、オルガンと、作曲を学んだグールドの、
演奏家としてのデビューはオルガンで、1945年のこと。
翌1946年、ピアニストとして正式にデビュー。
1956年に、初めて発売されたアルバムが、
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」。
(英語読みでは「ゴールドベルグ」)
グールドといえば、そのテクニックもさることながら、
楽器へのこだわりも、徹底していたようです。
「ハープシコードに限りなく近い」ピアノが、
グールド好みであったと伝えられています。
・表面をざらざらにした鍵盤。
・沈みが浅いキー。
・ハンマー位置と打弦の調整、等々。
これらは、バッハのノンレガートを実現するため、とも。
お気に入りのスタインウェイを大改造したピアノが、
グールドと演奏活動を共にしていたようですね。
ただ、メーカー側は、グールド仕様のピアノが、
標準的なピアノとは全く違うものであることを
大きくアピールしていたようです。
また、最後の2年間は、ヤマハのFCーIIモデルが、
グールドのパートナーだったとか。
この天才肌の芸術家が、50歳の誕生日を迎えて間もない
1982年10月4日。
その両の手は、二度と鍵盤に触れることがなくなりました。
余談ですが・・・
グールドは、ピアニストのマルタ・アルゲリッチの
ファンだったとも伝えられています。
アルゲリッチ女史は、今も世界の第一線で活躍中なので、
グールドとは違う世代のように思いたくなりますが、
1941年6月5日生まれなので、9歳年下なだけ。
もしも、グールドが生きていたならば。
楽器もテクニックも、グールド自身が納得できるピアノを、
今、弾いていたかもしれませんね。
鼻歌まじりで……。
マルタ・アルゲリッチはとても有名なすばらしいピアニストだけどこの間見にいったフジ子さんも72歳だっけ?凄いよね~
2時間以上もピアノをおもいきり弾いて体力いるよね。私なんて1時間も弾いてるち疲れるもん。
素晴らしい人ってやっぱり凄いわ。
そのとき初めてこの方を知ったのですが、結構私の好きな演奏で…
シフも素敵なんだけれど、やっぱり違いますよね
愛用していたスタインウェイが寿命になったために、新しいピアノを探し求めていて、楽器店のお勧めには気に入ったものが無かったのに、店の隅~っこの方でホコリかぶっていた、ヤマハに一目惚れして、小切手で即買いしたらしいよ。
しかも、そのヤマハは中古だったそう。
これ、本に書いてあった事の受け売り。
「どんなピアノだったのかしら。」
って気になるわ~!
グールド風に言うとね、今度の集いのピアノ、なんか、運命を感じているのだけど(笑)。
若くして・・・は、文字通り「惜しい人」たちですね。
フジ子さんは、凄いの一言でしょう。
私も大好きなピアニストです♪
ピアニストの域に留まらず、人間としても、
フジ子さんは凄いと思う。
今も。。かな?
確かね、フジ子さんは、自宅で1日4時間ピアノを弾くらしい。
あのお宅で、夕方や夜弾いているようなお話でした。
フジ子さんの4時間は、中身が濃いでしょうね。
ショパンのノクターンを弾きながら、物思いにふける・・
・・・などというお話もありました。
ただ、自宅で2時間弾くのと、
公の場での2時間とでは、全然違うでしょうね。
体力もだけど、精神力も凄いと思う。
あらぁ、yumiさんだって、かなり凄いわ!
私の3倍くらいのコト、こなしているもの。
yumiさんを見ていると、私がナマケモノに見える。。
グールドの弾き方を提案してくださる先生なのですね!
それは、ポーちゃんに弾く力があるということね。
ポーちゃんが好きだと思える演奏ならば、もうバッチリ☆
私のプレリュードは、グールドと似てもにつかないのヨ。
ポーちゃんのプレリュード、聴かせてね♪
楽しみだわ~♪
さすが、オリーブさん!
オリーブさんは知識豊富だと、いつも感じています。
そして私は、勉強させてもらっています♪
そうそう。グールドの最後の録音だけど、
ブラームスの「4つのバラード」と「2つのラプソディ」
という説もあるのよ。
最後の「ゴルトベルク変奏曲」録音の翌年・・
・・つまり、亡くなった年になるわけですが……。
今度のピアノは、私も、今までにないワクワク感があるの。
きっと、素敵な運命ね☆
グールドの鼻歌の記事のコメントで、皆さんいろんなエピソード持っておられて、今も尚、人騒がせな人なんだなと笑ってしまいました。
若くして、と言えばメンデルスゾーンもそうですね。年表を見ると、ほぼショパンと同じ時代を生きた人でした。グールドももっと長生きして欲しかったですね。
グールドはよくあのイスの低さで弾きにくくないなーと思います。
自分で弾きやすければ、なんでもごじゃれって感じですよね。
まああんな低いイスで弾いたことないですから、実際やってみたら意外に弾きやすかったりして。
私もよくあんな姿勢で弾けるなって不思議だったわ!
本当よね、今も尚、日本の中のこんなに狭い世界でコソコソとエピソード持ち寄っている私達・・・。
人騒がせなグールドさん(笑)。
グールド話題は、尽きませんねぇ。
まだまだ出てきそうです。
グールドは、永遠に語り継がれるかもしれませんね。
本当に。。。メンデルスゾーンも、若くして・・ですね。
確かシューマンは、メンデルスゾーンの棺を担ぎました。
シューベルトも、早すぎます。
本当に、グールドの活躍を、もっと見ていたかったですね。
長生きしていたら、また違った活躍も見られたかも・・・。
どう考えても、とても惜しい人だと思います。