過日報じられている森まさこ法相が、話しの脈絡なく突然の様に、9年前の311大震災と東電福島原発大崩壊の際に、当時のいわき地検の検事が真っ先に逃げたと口走った件がニュースになっている。
しかし、仮にも法務大臣の要職に就く者が、法務関連官僚を擁護する発言を行うならいざ知らず、事実関係はともかくとして、その行動を非難する発言を行ったと云うことに驚く。それは何故なのかという疑問が湧く訳だが、法相として従前から管下組織に対する不信の念があったと云うことなのだろうか・・・。
当件について記事が目に付いたので、全文を下記に転載しておくが、記事の結論としては、単なるウワサを軽信したものであって、記録された公文書からは、その様なことはないという結論となっている。しかし、そのウワサがどうして生じたのか、仮にも法相という地位に就く者が事実として信じるに至ったのかという点について、興味は尽きないのだが、ここまでの発言を行い具体的に信じるに値する証拠を出せないとなると、組織において何よりも重視せざるを得ない秩序維持の観点から、責任論が出てくるのは止むないことではあるのだろう。
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ハーバー・ビジネス・オンライン 政治・経済 森まさこ法相の 「いわきの検事が逃げた」答弁は本当か? 公文書が語る真実
2020.03.13
国会を騒然とさせた森法相のトンデモ発言
東日本大震災から丸9年の3月11日。被災地が鎮魂の祈りに満ちている日、国会の中は怒号が飛び交っていた。混乱の原因は、森まさこ法相(いわき市出身、福島県選出参議院議員)だ。
発端は2020年3月9日の参議院予算委員会。検察官の勤務延長が必要になった理由を質した小西ひろゆき議員に対して、森法相は問いの答えになっていない、トンでも発言をいきなりブッ飛ばしてきたのだ。
「東日本大震災の時に検察官は、福島県いわき市から、国民が、市民が、避難していないなかで、最初に逃げたわけです。そのときに身柄拘束している十数人の方を、理由なく釈放して逃げたわけです」
続く3月11日の参議院法務委員会では、山尾志桜里議員が、9日の発言の真意と事実関係を質問したのに対して、「検察官が逃げた」と答えた内容は「事実です」と断言。山尾議員は「ちょっと待ってくださいね。これが事実だという認識だと法務大臣として本当におっしゃったなら、大臣を辞めた方がいいと思いますよ」。森法相の発言を巡り、法務委員会は審議がストップした。
筆者は、この森法相の発言と食い違う内部文書を情報公開で入手していた。
仙台高等検察庁大谷晃大検事長名で昨年9月に情報開示された「東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)」:平成23年11月14日付文書。東日本大震災の被害を受けた仙台高検館内の地検、支部、区検が2011年3月11日に、津波と地震、原発事故の被害を受け、直後からどのように対応したのかが、つまびらかに報告されている内部文書だ。
この文書では、震災後の司令塔となった仙台高検の対応が報告されている。検察の震災対応がどうだったかがわかる内容なので、少しお付き合いいただきたい。
震災当日の3月11日、仙台高検検事長は「仙台高等検察庁防災・国民保護計画実施要領」第4条に基づいて、仙台高等検察庁災害対策本部(本部長・次席検事)を設置し、情報収集を開始。管内各地検で当時登庁していた職員の全員無事を確認した。
驚くことに(いや、当然なのか)、衛星電話を緊急対応で常備しており、その衛星電話を使って法務省刑事局総務課及び最高検総務部に対して、「職員の無事と揺れの状況、それまでに把握していた庁舎等の被害状況及び帰宅の危険を回避するため高検及び管内地検の職員を適宜帰宅させることとしたこと」などを報告した。
12日以降も、一日数回定時に集まって対応。逐次情報を集積していた。その方法は、「管内の被害状況、検察権行使に関する状況及び支援物資の受け入れ分配状況等多岐にわたる情報をひとつのメモに取りまとめ、随時、刑事局及び最高検に送付して報告することとし、(黒塗りなど中略)3月13日以降、4月1日までの間、当初作成したメモを随時更新する形で新たなメモを作成し、合計40通を刑事局総務課及び最高検総務部にファックスないしはメールで送付した(なお、震災直後は、次々と入る最新の情報を届けるため、一日数回メモを更新して送付した)」という。
この報告書は、報告書を作るために後付けで情報をかき集めたのではなく、3月11日の震災直後から、各地検、支部、区検などから送られてきていたメモや記録をもとにまとめられたことが分かる。震災の揺れの中で職員が「取調べ中の参考人を机の下に退避させてその上に覆い被さ」った様子なども、生々しく記されている。
「検察官は逃げた」のか
さて、本題に入る。最初に、本当に「検察官が逃げた」のかどうかの検証だ。報告書ではどう書かれているのだろうか。
46ページから48ページ、そして144ページの部分にそれが書かれている。
福島地検いわき支部は当時、「福島第一原発から放出された放射性物質による放射線に関する十分な知識及び情報が得られなかったこともあって、地域住民の不安が高まった。これに加えて、同支部管内は、太平洋沿岸地域で、震災、特に津波による被害も甚大であり、いわき支部管内は、極度の混乱状態であって、事件関係者の取り調べや証人、被告人(在宅)等の公判への出頭確保が困難になっていた」という。
そこで地検いわき支部は震災後最初の通常勤務日となった月曜日の3月14日、庁舎等施設の被害状況を行った。さらに裁判所、地裁いわき支部は3月14日以降、裁判期日の一部・全部を取り消した。つまり裁判が開かれないことになった。それを受けて、「執務場所は3月16日から23日まで郡山支部に変更した」と記されている。森法相が言う「逃げた」のではなく、いわき支部から郡山支部に執務場所が変更されたと、この文書は語る。
なお、福島富岡区検は、区検庁舎が東京電力福島第一原発から10キロ地点にあり、3月12日早朝から避難指示が出されている。報告書作成時点では「立ち入ることができず、現在も被害状況が把握できていない」とある。
あいはらひろこ
「検察官は逃げた」のか
さて、本題に入る。最初に、本当に「検察官が逃げた」のかどうかの検証だ。報告書ではどう書かれているのだろうか。
46ページから48ページ、そして144ページの部分にそれが書かれている。
福島地検いわき支部は当時、「福島第一原発から放出された放射性物質による放射線に関する十分な知識及び情報が得られなかったこともあって、地域住民の不安が高まった。これに加えて、同支部管内は、太平洋沿岸地域で、震災、特に津波による被害も甚大であり、いわき支部管内は、極度の混乱状態であって、事件関係者の取り調べや証人、被告人(在宅)等の公判への出頭確保が困難になっていた」という。
そこで地検いわき支部は震災後最初の通常勤務日となった月曜日の3月14日、庁舎等施設の被害状況を行った。さらに裁判所、地裁いわき支部は3月14日以降、裁判期日の一部・全部を取り消した。つまり裁判が開かれないことになった。それを受けて、「執務場所は3月16日から23日まで郡山支部に変更した」と記されている。森法相が言う「逃げた」のではなく、いわき支部から郡山支部に執務場所が変更されたと、この文書は語る。
なお、福島富岡区検は、区検庁舎が東京電力福島第一原発から10キロ地点にあり、3月12日早朝から避難指示が出されている。報告書作成時点では「立ち入ることができず、現在も被害状況が把握できていない」とある。
「身柄拘束している十数人の方を、理由なく釈放」したのか
次に身柄拘束している人の釈放の部分について、報告書を見てみよう。
実はこの部分は真っ黒な「のり弁」が20ページ以上続くのだが、のり弁の合間、101ページに「(5)震災による混乱等を理由とする保釈請求等」で、わずか4行書かれている。ここでは「震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の交流執行停止または保釈の請求は、後記5(4)に述べる●件(筆者注:件数が黒塗り)を除き、いずれの庁においても確認されなかった」という。そして後記5(4)」では、「裁判員裁判事件における震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の保釈請求は、●件確認されている」。「被告人の勾留執行停止の申し立てや、同様の理由による裁判員裁判を除いた通常事件における保釈請求は、いずれの庁においても確認されなかった」とも述べられている。
黒塗りされていない部分を素直に読めば、保釈請求はあったが、その理由は「裁判員裁判事件における震災の混乱や勾留の長期化」が理由であって、森法相がいう「理由なく釈放」ではない。こちらもアウトなのだ。
時を超えて権力者を審判する「公文書のチカラ」
最後に、今回、筆者がなぜ情報開示請求をしたのか、ということを少し述べたい。それは、まさに、森法相が言うような「検察官が逃げた」「被疑者を理由なく釈放した」という話を地元福島で頻繁に聞き、「それが単なるうわさなのか、実際に起きていたのかを検証したい」という目的があったからだ。
実は、手にしたこの文書では、「2.勾留中の被疑者・被告人の身柄の管理」の中の(1)身柄管理の概要 (2)緊急護送 (3)勾留中の被疑者の取り扱い(移送と釈放) (4)勾留中の被告人の取り扱い、そして「3.捜査への影響」(以後、受理・処理・未済事件数、被疑者の勾留手続等、取調べ等、精神鑑定等)そして、釈放事件の捜査処理、処理件数及び未済事件数の推移―などをはじめ、筆者が知りたい重要な部分が完璧にのり弁になっていた。
当時は「これは原稿にはならない」と判断した。狙っていた検察側の“失策”が明確には見えなかったからだ。もちろん、原稿にするようなアイデアや、さらにネタを掘っていく力業(ちからわざ)が筆者になかった、ということもあったのだが。
ところが、今回の森法相の発言によって、完璧に「お蔵入り」していた文書がゾンビのように息を吹き返した。それも311というメモリアルの日前後に。森法相は、法相なら黒塗りなしで見られる内部文書すら確認しなかった可能性もある。国会でデマまがいの発言をし、議事録という公文書に黒歴史を残した。身内の文書がブーメランで刺さってきたのだから、皮肉なものである。時を超えて権力者を審判する、これこそが「公文書のチカラ」なのだ。
安倍政権は、森友・加計問題や、桜を見る会で公文書を残さず、それどころか破棄までする悪行を続けている。森法相は黒川弘務東京高検検事長の定年延長に関して、文書ではなく「口頭決済」を得たと発言した。行政執行の根幹をなす文書主義を否定している。政治家としても、法律家としても、あるまじき行為だ。
我が国では1999年に情報公開法が制定されたが、公文書管理法がなかったため、文書を残す側の責務があいまいで、国民の知る権利の行使や権力側の監視が不十分な状況が続いていた。2009年にようやく公文書管理法が成立、東日本大震災後の2011年4月1日に施行された。真っ先に適用された出来事が東日本大震災になった。被害や教訓を後世に残すための記録作成を当時の民主党政権が命じたが、官僚たちはなかなか記録を残さない。自民党に政権交代するまでのわずかの間、官僚を叱咤し、報告書を書かせた成果が、9年経って役に立った。同時に、今回の森法相発言に象徴する「司法への政治介入」から官僚を守ることに、結果として役立った。
もちろん筆者は、東日本大震災当時、法務省や地検、法相の対応が適切だったかどうかは、引き続き追う課題だと考えている。だからこそ、今回の森法相の発言の顛末も含めて、法相・法務省自身がしっかり東日本大震災当時の対応を自己検証し、公文書に残すべきだと思っている。13日の謝罪だけで辞任や罷免を免れるアマアマ処分で続投する森法相。任期中に内部文書をしっかりと読み、自分の発言を巡る内部調査や再検証を進め、その結果を公開すべきだ。
◆本原稿は、横川圭希氏のnoteに公開されたものに加筆したものです。
<取材・文/あいはらひろこ>
あいはらひろこ
ジャーナリスト。元福島県の新聞記者。フルブライターとしてマイアミ大学メディカルスクールに研究留学、医療倫理を学ぶ。東日本大震災以降、被災地を取材し続けている。近刊『21世紀の新しい社会運動とフクシマ―立ち上がった人々の潜勢力』(後藤康夫、後藤宣代編著、八朔社)で「グローバルヒバクシャとフクシマをつなぐ―その終わらない旅、そして運動」執筆。
写真 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)1
〃 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)2
〃 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)3
しかし、仮にも法務大臣の要職に就く者が、法務関連官僚を擁護する発言を行うならいざ知らず、事実関係はともかくとして、その行動を非難する発言を行ったと云うことに驚く。それは何故なのかという疑問が湧く訳だが、法相として従前から管下組織に対する不信の念があったと云うことなのだろうか・・・。
当件について記事が目に付いたので、全文を下記に転載しておくが、記事の結論としては、単なるウワサを軽信したものであって、記録された公文書からは、その様なことはないという結論となっている。しかし、そのウワサがどうして生じたのか、仮にも法相という地位に就く者が事実として信じるに至ったのかという点について、興味は尽きないのだが、ここまでの発言を行い具体的に信じるに値する証拠を出せないとなると、組織において何よりも重視せざるを得ない秩序維持の観点から、責任論が出てくるのは止むないことではあるのだろう。
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ハーバー・ビジネス・オンライン 政治・経済 森まさこ法相の 「いわきの検事が逃げた」答弁は本当か? 公文書が語る真実
2020.03.13
国会を騒然とさせた森法相のトンデモ発言
東日本大震災から丸9年の3月11日。被災地が鎮魂の祈りに満ちている日、国会の中は怒号が飛び交っていた。混乱の原因は、森まさこ法相(いわき市出身、福島県選出参議院議員)だ。
発端は2020年3月9日の参議院予算委員会。検察官の勤務延長が必要になった理由を質した小西ひろゆき議員に対して、森法相は問いの答えになっていない、トンでも発言をいきなりブッ飛ばしてきたのだ。
「東日本大震災の時に検察官は、福島県いわき市から、国民が、市民が、避難していないなかで、最初に逃げたわけです。そのときに身柄拘束している十数人の方を、理由なく釈放して逃げたわけです」
続く3月11日の参議院法務委員会では、山尾志桜里議員が、9日の発言の真意と事実関係を質問したのに対して、「検察官が逃げた」と答えた内容は「事実です」と断言。山尾議員は「ちょっと待ってくださいね。これが事実だという認識だと法務大臣として本当におっしゃったなら、大臣を辞めた方がいいと思いますよ」。森法相の発言を巡り、法務委員会は審議がストップした。
筆者は、この森法相の発言と食い違う内部文書を情報公開で入手していた。
仙台高等検察庁大谷晃大検事長名で昨年9月に情報開示された「東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)」:平成23年11月14日付文書。東日本大震災の被害を受けた仙台高検館内の地検、支部、区検が2011年3月11日に、津波と地震、原発事故の被害を受け、直後からどのように対応したのかが、つまびらかに報告されている内部文書だ。
この文書では、震災後の司令塔となった仙台高検の対応が報告されている。検察の震災対応がどうだったかがわかる内容なので、少しお付き合いいただきたい。
震災当日の3月11日、仙台高検検事長は「仙台高等検察庁防災・国民保護計画実施要領」第4条に基づいて、仙台高等検察庁災害対策本部(本部長・次席検事)を設置し、情報収集を開始。管内各地検で当時登庁していた職員の全員無事を確認した。
驚くことに(いや、当然なのか)、衛星電話を緊急対応で常備しており、その衛星電話を使って法務省刑事局総務課及び最高検総務部に対して、「職員の無事と揺れの状況、それまでに把握していた庁舎等の被害状況及び帰宅の危険を回避するため高検及び管内地検の職員を適宜帰宅させることとしたこと」などを報告した。
12日以降も、一日数回定時に集まって対応。逐次情報を集積していた。その方法は、「管内の被害状況、検察権行使に関する状況及び支援物資の受け入れ分配状況等多岐にわたる情報をひとつのメモに取りまとめ、随時、刑事局及び最高検に送付して報告することとし、(黒塗りなど中略)3月13日以降、4月1日までの間、当初作成したメモを随時更新する形で新たなメモを作成し、合計40通を刑事局総務課及び最高検総務部にファックスないしはメールで送付した(なお、震災直後は、次々と入る最新の情報を届けるため、一日数回メモを更新して送付した)」という。
この報告書は、報告書を作るために後付けで情報をかき集めたのではなく、3月11日の震災直後から、各地検、支部、区検などから送られてきていたメモや記録をもとにまとめられたことが分かる。震災の揺れの中で職員が「取調べ中の参考人を机の下に退避させてその上に覆い被さ」った様子なども、生々しく記されている。
「検察官は逃げた」のか
さて、本題に入る。最初に、本当に「検察官が逃げた」のかどうかの検証だ。報告書ではどう書かれているのだろうか。
46ページから48ページ、そして144ページの部分にそれが書かれている。
福島地検いわき支部は当時、「福島第一原発から放出された放射性物質による放射線に関する十分な知識及び情報が得られなかったこともあって、地域住民の不安が高まった。これに加えて、同支部管内は、太平洋沿岸地域で、震災、特に津波による被害も甚大であり、いわき支部管内は、極度の混乱状態であって、事件関係者の取り調べや証人、被告人(在宅)等の公判への出頭確保が困難になっていた」という。
そこで地検いわき支部は震災後最初の通常勤務日となった月曜日の3月14日、庁舎等施設の被害状況を行った。さらに裁判所、地裁いわき支部は3月14日以降、裁判期日の一部・全部を取り消した。つまり裁判が開かれないことになった。それを受けて、「執務場所は3月16日から23日まで郡山支部に変更した」と記されている。森法相が言う「逃げた」のではなく、いわき支部から郡山支部に執務場所が変更されたと、この文書は語る。
なお、福島富岡区検は、区検庁舎が東京電力福島第一原発から10キロ地点にあり、3月12日早朝から避難指示が出されている。報告書作成時点では「立ち入ることができず、現在も被害状況が把握できていない」とある。
あいはらひろこ
「検察官は逃げた」のか
さて、本題に入る。最初に、本当に「検察官が逃げた」のかどうかの検証だ。報告書ではどう書かれているのだろうか。
46ページから48ページ、そして144ページの部分にそれが書かれている。
福島地検いわき支部は当時、「福島第一原発から放出された放射性物質による放射線に関する十分な知識及び情報が得られなかったこともあって、地域住民の不安が高まった。これに加えて、同支部管内は、太平洋沿岸地域で、震災、特に津波による被害も甚大であり、いわき支部管内は、極度の混乱状態であって、事件関係者の取り調べや証人、被告人(在宅)等の公判への出頭確保が困難になっていた」という。
そこで地検いわき支部は震災後最初の通常勤務日となった月曜日の3月14日、庁舎等施設の被害状況を行った。さらに裁判所、地裁いわき支部は3月14日以降、裁判期日の一部・全部を取り消した。つまり裁判が開かれないことになった。それを受けて、「執務場所は3月16日から23日まで郡山支部に変更した」と記されている。森法相が言う「逃げた」のではなく、いわき支部から郡山支部に執務場所が変更されたと、この文書は語る。
なお、福島富岡区検は、区検庁舎が東京電力福島第一原発から10キロ地点にあり、3月12日早朝から避難指示が出されている。報告書作成時点では「立ち入ることができず、現在も被害状況が把握できていない」とある。
「身柄拘束している十数人の方を、理由なく釈放」したのか
次に身柄拘束している人の釈放の部分について、報告書を見てみよう。
実はこの部分は真っ黒な「のり弁」が20ページ以上続くのだが、のり弁の合間、101ページに「(5)震災による混乱等を理由とする保釈請求等」で、わずか4行書かれている。ここでは「震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の交流執行停止または保釈の請求は、後記5(4)に述べる●件(筆者注:件数が黒塗り)を除き、いずれの庁においても確認されなかった」という。そして後記5(4)」では、「裁判員裁判事件における震災による混乱や勾留の長期化等を理由とする被告人の保釈請求は、●件確認されている」。「被告人の勾留執行停止の申し立てや、同様の理由による裁判員裁判を除いた通常事件における保釈請求は、いずれの庁においても確認されなかった」とも述べられている。
黒塗りされていない部分を素直に読めば、保釈請求はあったが、その理由は「裁判員裁判事件における震災の混乱や勾留の長期化」が理由であって、森法相がいう「理由なく釈放」ではない。こちらもアウトなのだ。
時を超えて権力者を審判する「公文書のチカラ」
最後に、今回、筆者がなぜ情報開示請求をしたのか、ということを少し述べたい。それは、まさに、森法相が言うような「検察官が逃げた」「被疑者を理由なく釈放した」という話を地元福島で頻繁に聞き、「それが単なるうわさなのか、実際に起きていたのかを検証したい」という目的があったからだ。
実は、手にしたこの文書では、「2.勾留中の被疑者・被告人の身柄の管理」の中の(1)身柄管理の概要 (2)緊急護送 (3)勾留中の被疑者の取り扱い(移送と釈放) (4)勾留中の被告人の取り扱い、そして「3.捜査への影響」(以後、受理・処理・未済事件数、被疑者の勾留手続等、取調べ等、精神鑑定等)そして、釈放事件の捜査処理、処理件数及び未済事件数の推移―などをはじめ、筆者が知りたい重要な部分が完璧にのり弁になっていた。
当時は「これは原稿にはならない」と判断した。狙っていた検察側の“失策”が明確には見えなかったからだ。もちろん、原稿にするようなアイデアや、さらにネタを掘っていく力業(ちからわざ)が筆者になかった、ということもあったのだが。
ところが、今回の森法相の発言によって、完璧に「お蔵入り」していた文書がゾンビのように息を吹き返した。それも311というメモリアルの日前後に。森法相は、法相なら黒塗りなしで見られる内部文書すら確認しなかった可能性もある。国会でデマまがいの発言をし、議事録という公文書に黒歴史を残した。身内の文書がブーメランで刺さってきたのだから、皮肉なものである。時を超えて権力者を審判する、これこそが「公文書のチカラ」なのだ。
安倍政権は、森友・加計問題や、桜を見る会で公文書を残さず、それどころか破棄までする悪行を続けている。森法相は黒川弘務東京高検検事長の定年延長に関して、文書ではなく「口頭決済」を得たと発言した。行政執行の根幹をなす文書主義を否定している。政治家としても、法律家としても、あるまじき行為だ。
我が国では1999年に情報公開法が制定されたが、公文書管理法がなかったため、文書を残す側の責務があいまいで、国民の知る権利の行使や権力側の監視が不十分な状況が続いていた。2009年にようやく公文書管理法が成立、東日本大震災後の2011年4月1日に施行された。真っ先に適用された出来事が東日本大震災になった。被害や教訓を後世に残すための記録作成を当時の民主党政権が命じたが、官僚たちはなかなか記録を残さない。自民党に政権交代するまでのわずかの間、官僚を叱咤し、報告書を書かせた成果が、9年経って役に立った。同時に、今回の森法相発言に象徴する「司法への政治介入」から官僚を守ることに、結果として役立った。
もちろん筆者は、東日本大震災当時、法務省や地検、法相の対応が適切だったかどうかは、引き続き追う課題だと考えている。だからこそ、今回の森法相の発言の顛末も含めて、法相・法務省自身がしっかり東日本大震災当時の対応を自己検証し、公文書に残すべきだと思っている。13日の謝罪だけで辞任や罷免を免れるアマアマ処分で続投する森法相。任期中に内部文書をしっかりと読み、自分の発言を巡る内部調査や再検証を進め、その結果を公開すべきだ。
◆本原稿は、横川圭希氏のnoteに公開されたものに加筆したものです。
<取材・文/あいはらひろこ>
あいはらひろこ
ジャーナリスト。元福島県の新聞記者。フルブライターとしてマイアミ大学メディカルスクールに研究留学、医療倫理を学ぶ。東日本大震災以降、被災地を取材し続けている。近刊『21世紀の新しい社会運動とフクシマ―立ち上がった人々の潜勢力』(後藤康夫、後藤宣代編著、八朔社)で「グローバルヒバクシャとフクシマをつなぐ―その終わらない旅、そして運動」執筆。
写真 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)1
〃 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)2
〃 東日本大震災による被害と検察運営等について(報告)3