私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

生活感で思うこと

2010-12-02 | コラム
 最近、黒沢明監督作品の映画を何本か見たり、同監督の手記などを読む機会が持ちました。そこで改めて、同監督が掛けた作品への思い入れの凄まじさといったものをを感じざるにはいられませんでした。
 同監督は役者にも当然厳しかったと思いますが、舞台背景となる大道具、小道具などのディテールにも徹底してこだわって来たことが知れます。例えば、昔の建物での木製柱であっても、日中日光が当たる面とそうでない面には、おのずと風化の度合いに違いが生じる訳であり、担当係りには、その再現を求めたと云います。また、担当係りすなわち大道具担当には、風化や使用感などの生活感を再現するための、いわゆる「よごし」を行う塗り屋という担当がいたそうです。
 最近の映画でもテレビドラマでも同様ですが、例えば昔の列車が駅に停車し窓から見送り人と話しているシーンがあるとすれば、列車のシートとか窓枠はそれなりに古めかしい塗色ですが、窓枠に汚れもキズもないことに、不自然だなあと思ってしまいます。この様な絵を撮ることを黒沢監督なら絶対許さなかっただろうななと思ってしまいます。
 さて、ここからは生活感のことですが、話しが大幅に飛びます。
 私は、サラリーマン時代に、多くの事故損傷車を見て過ごして来ました。事故車両は、事故の直前まで稼働し、それなりの損耗だとかを生じるのは当然として、室内などには運転者などの生活感がそれなりに残されるのが普通のことだろうと思います。具体的に上げれば、ガソリンスタンドの給油伝票であったり、有料路の領収書であったり、サングラスであったり、種々の雑品があろうかと思います。
 しかし、見に行った事故損傷車の室内は、グローブボックスは掃除した様に空で、コンソールボックス付近に紙くずすらなく、トランクルーム内も余分な物品は皆無という場合があります。こういう事故損傷車に出会うと、緊張感は高まったものでした。そして、このことが端緒となって、追加調査の結果、作り事故などの発見に至ることもあったのでした。今は昔の話しです。


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