結構に本は好きなほうですが、普段は歴史小説じみた本を好み読んでいます。それでも、職業柄というべきクルマ関係の技術書も当然読むところですが、技術者が著した思いで話の如き本も結構面白く読みます。そんな一冊で、中沖満(故人)の著した表題の「力道山のロースルロイス」(以下RR)のことに若干触れつつ紹介してみます。
中沖満氏は、東京の生まれで旧制中学を中退後、都内麹町にあった「わたびき自動車」に塗装工として約35年勤務した間に触れあった、様々なクルマ(ほぼ高級乗用車)達とオーナーのことなどを書き留めた書です。ここの読者には、力道山を知らぬ年代層も多いと思いますので、ちょっと補足しておきます。力道山は元大相撲の力士からプロレスラーに転向した方です。時あたかもテレビ放送が始まった時期とも重なり、外人レスラー何するものぞと大活躍(つまり敗戦で負けて進駐軍が幅を効かせたが故の外人コンプレックスが背景にあったのでしょう)し、国民的スターになったのでした。彼の最後は、赤坂のナイトクラブで、さもないことから懸架沙汰になり、相手からナイフで刺された傷が原因らしいですが、本論に関係ないので詳細は省略します。彼の弟子として、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などだそうですが、現代で云うところのパワハラ以上の仕打ちを続けていたことが記されています。
中沖氏の勤めた「わたびき自動車」ですが、今でも埼玉県戸田へ移転して営業を続けている様ですが、昨今の評判は知るところでありません。麹町時代の評判は、クルマ好きとか業界内ではかなりの高名であったことは確かでしょう。そして、中沖氏の著述によると、力道山との付き合いは、ジャガー、キャデラックなど、何台も新しく入手したクルマを持ち込んだといいます。そして力道山が死ぬ前に持ってきて「黒に見える濃紺」との指定でオールペンしてくれと持ち込んだのがRRシルバークラウド(たぶんⅡ)のオールペンなのでした。
若干塗装の説明ですが、この頃(昭和40年代中頃まで)の補修用塗料は、NCラッカー(硝化綿=ニトロセルロース)が主流でした。このNCラッカーは乾燥は比較的早いですが、塗り肌が荒れやすく、高級塗装では、何度も中研ぎを入れ積層して必要膜厚を得るというものです。乾燥硬化後に、細ペーパー当てからコンパウンドをポリッシングを繰り返し艶と深みが出てくる様に仕上げるというものです。現代のウレタン(特に耐スリ傷とかフッ素)などより塗膜が柔らかく、その点では楽な部分もあったのではないでしょうか。このNCラッカーの後、ストレートアクリルという塗料が一時主流となりますが、時代は2液ウレタンの時代に移行していきます。
ラッカーとウレタンの違いは、別名で溶剤蒸発型と2液重合型という名称で表せます。つまりラッカーは、溶剤(主にシンナー分)が蒸発することで固形分が塗膜とし残る型です。ですから、シンナーはもちろんガソリンでも長時間浸漬しておくと溶けたり染みなったりしますし、耐紫外線を含む耐候性にも難点がありました。2液重合つまりウレタンですが、エポキシ接着材などと同じ様に主材に対し硬化剤(ハードナー)を適量(1:10、1:2等)混合することで、分子化学的な架橋反応(網目の構造)が形成され、硬化するという方式です。このタイプは耐溶剤性が極めて高く、硬化後はシンナーでも溶けません。但し、長時間シンナーに浸漬すると膨潤して塗膜が浮いてきます。塗膜硬度が高く耐候性も焼き付け塗料(熱硬化型)に遜色ないか凌ぐものがある様です。
なお、RRは現在BMWにブランド売却されまったく違うクルマを作っていますが、BMW以前のRRおよびベントレーの新車ボデーは、最後までNCラッカー仕上げだった様です。RRに限らず古い英車など、新車からラッカー仕上げのクルマがあるのですが、拘るオーナーとレストアラーは、あえてラッカー仕上げによるペイントを行ってるのを希に見ることがあります。見た目ですが、ラッカーの艶感はウレタンよりやや弱いですが、しっとりと濡れた様な質感は、ウレタンのギラリとした艶感とは一味違うと感じるところです。
追記
①90年代初頭、世はバブル景気真っ盛り、クルマもセルシオ初代、R32R、NSX等が登場したころです。この当時の勤務先は東京新橋で過ごしていたのですが、昼飯食べにレンガ通りをちょっと歩いた道路の両側の停車車両の風景を思い出します。道路の両側はコインパーキングになっているのですが、国産車は皆無で、8割がベンツSクラス、BMW少々、その他という感じでしたが、RRカマルグ(色エンジ色)が無造作に止まってるの見て、5千万のクルマがなぁ・・・と。
②およそ50年も前に作られた英国人形劇TVドラマ「サンダーバード」は、昨今は偏向報道などで非難ゴウゴウのNHKで、当時の日本で放送されたのです。それが、今でもグッズが売っているなど、その影響は非常に大きなものがあると思えます。国際救助隊として1号から5号まで特異のマシンが登場するのですが、ペネロープ号という明らかにRRと判るグリルが付いた仮想のクルマが登場します。イギリスの誇りだったことが判ります。
中沖満氏は、東京の生まれで旧制中学を中退後、都内麹町にあった「わたびき自動車」に塗装工として約35年勤務した間に触れあった、様々なクルマ(ほぼ高級乗用車)達とオーナーのことなどを書き留めた書です。ここの読者には、力道山を知らぬ年代層も多いと思いますので、ちょっと補足しておきます。力道山は元大相撲の力士からプロレスラーに転向した方です。時あたかもテレビ放送が始まった時期とも重なり、外人レスラー何するものぞと大活躍(つまり敗戦で負けて進駐軍が幅を効かせたが故の外人コンプレックスが背景にあったのでしょう)し、国民的スターになったのでした。彼の最後は、赤坂のナイトクラブで、さもないことから懸架沙汰になり、相手からナイフで刺された傷が原因らしいですが、本論に関係ないので詳細は省略します。彼の弟子として、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などだそうですが、現代で云うところのパワハラ以上の仕打ちを続けていたことが記されています。
中沖氏の勤めた「わたびき自動車」ですが、今でも埼玉県戸田へ移転して営業を続けている様ですが、昨今の評判は知るところでありません。麹町時代の評判は、クルマ好きとか業界内ではかなりの高名であったことは確かでしょう。そして、中沖氏の著述によると、力道山との付き合いは、ジャガー、キャデラックなど、何台も新しく入手したクルマを持ち込んだといいます。そして力道山が死ぬ前に持ってきて「黒に見える濃紺」との指定でオールペンしてくれと持ち込んだのがRRシルバークラウド(たぶんⅡ)のオールペンなのでした。
若干塗装の説明ですが、この頃(昭和40年代中頃まで)の補修用塗料は、NCラッカー(硝化綿=ニトロセルロース)が主流でした。このNCラッカーは乾燥は比較的早いですが、塗り肌が荒れやすく、高級塗装では、何度も中研ぎを入れ積層して必要膜厚を得るというものです。乾燥硬化後に、細ペーパー当てからコンパウンドをポリッシングを繰り返し艶と深みが出てくる様に仕上げるというものです。現代のウレタン(特に耐スリ傷とかフッ素)などより塗膜が柔らかく、その点では楽な部分もあったのではないでしょうか。このNCラッカーの後、ストレートアクリルという塗料が一時主流となりますが、時代は2液ウレタンの時代に移行していきます。
ラッカーとウレタンの違いは、別名で溶剤蒸発型と2液重合型という名称で表せます。つまりラッカーは、溶剤(主にシンナー分)が蒸発することで固形分が塗膜とし残る型です。ですから、シンナーはもちろんガソリンでも長時間浸漬しておくと溶けたり染みなったりしますし、耐紫外線を含む耐候性にも難点がありました。2液重合つまりウレタンですが、エポキシ接着材などと同じ様に主材に対し硬化剤(ハードナー)を適量(1:10、1:2等)混合することで、分子化学的な架橋反応(網目の構造)が形成され、硬化するという方式です。このタイプは耐溶剤性が極めて高く、硬化後はシンナーでも溶けません。但し、長時間シンナーに浸漬すると膨潤して塗膜が浮いてきます。塗膜硬度が高く耐候性も焼き付け塗料(熱硬化型)に遜色ないか凌ぐものがある様です。
なお、RRは現在BMWにブランド売却されまったく違うクルマを作っていますが、BMW以前のRRおよびベントレーの新車ボデーは、最後までNCラッカー仕上げだった様です。RRに限らず古い英車など、新車からラッカー仕上げのクルマがあるのですが、拘るオーナーとレストアラーは、あえてラッカー仕上げによるペイントを行ってるのを希に見ることがあります。見た目ですが、ラッカーの艶感はウレタンよりやや弱いですが、しっとりと濡れた様な質感は、ウレタンのギラリとした艶感とは一味違うと感じるところです。
追記
①90年代初頭、世はバブル景気真っ盛り、クルマもセルシオ初代、R32R、NSX等が登場したころです。この当時の勤務先は東京新橋で過ごしていたのですが、昼飯食べにレンガ通りをちょっと歩いた道路の両側の停車車両の風景を思い出します。道路の両側はコインパーキングになっているのですが、国産車は皆無で、8割がベンツSクラス、BMW少々、その他という感じでしたが、RRカマルグ(色エンジ色)が無造作に止まってるの見て、5千万のクルマがなぁ・・・と。
②およそ50年も前に作られた英国人形劇TVドラマ「サンダーバード」は、昨今は偏向報道などで非難ゴウゴウのNHKで、当時の日本で放送されたのです。それが、今でもグッズが売っているなど、その影響は非常に大きなものがあると思えます。国際救助隊として1号から5号まで特異のマシンが登場するのですが、ペネロープ号という明らかにRRと判るグリルが付いた仮想のクルマが登場します。イギリスの誇りだったことが判ります。