GooogleMAPで表題名のポイントを発見して不思議に思う。沼津近辺の愛鷹山のふもとには、西から興国寺城、長窪城、葛山城(各城址)があったことは知るが、鶴亀城なんてあったのか? という思いだ。
しかし、鶴亀などとなんかオメデタイ名だが、地域の字名でもないし、不可解なりだ。ということで、実地検分に出かけた。そこに至る道だが、一応簡易舗装というかコンクリートで固めてある様だが、相当昔に作って、しかも滅多に交通もないのだろう。道幅も極めて狭く、1回で廻り切れない屈曲もあったりと、こんな狭路に入ろうというのは、農作業の関係者を除けば、余程の変わり者だろう。
該当場所の入り口は、長窪郵便局の向かいにある、極めて細い路地を入る。こんな細い路地を入るかとたじろぐが、ええいと進むと、急坂と曲がり切れない細い急カーブだ。
途中は引き返そうにも、とても展開できる様な場所もない。そんな不安一杯の中を進むと、道路左手に目指す鶴亀城があった。
同地は遠望が効く丘の上に位置し、眼下に下長窪のと、その上をたまげた予算を使って作った第2東名が見える。
この鶴亀城、Net情報によると、どうやら沼津市内学園通沿いにある同名の不動産屋さんが関わって作った現代城の様だ。
しかし、鶴亀などとなんかオメデタイ名だが、地域の字名でもないし、不可解なりだ。ということで、実地検分に出かけた。そこに至る道だが、一応簡易舗装というかコンクリートで固めてある様だが、相当昔に作って、しかも滅多に交通もないのだろう。道幅も極めて狭く、1回で廻り切れない屈曲もあったりと、こんな狭路に入ろうというのは、農作業の関係者を除けば、余程の変わり者だろう。
該当場所の入り口は、長窪郵便局の向かいにある、極めて細い路地を入る。こんな細い路地を入るかとたじろぐが、ええいと進むと、急坂と曲がり切れない細い急カーブだ。
途中は引き返そうにも、とても展開できる様な場所もない。そんな不安一杯の中を進むと、道路左手に目指す鶴亀城があった。
同地は遠望が効く丘の上に位置し、眼下に下長窪のと、その上をたまげた予算を使って作った第2東名が見える。
この鶴亀城、Net情報によると、どうやら沼津市内学園通沿いにある同名の不動産屋さんが関わって作った現代城の様だ。