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警察庁長官の銃撃を“自白”した男(94)が死亡 最後まで逮捕できなかった裏に、公安部の虚しい事情「恥をかくという意識が働いたのではないか…」

2024-06-01 | 事故と事件
警察庁長官の銃撃を“自白”した男(94)が死亡 最後まで逮捕できなかった裏に、公安部の虚しい事情「恥をかくという意識が働いたのではないか…」
6/1(土) 7:12配信 文春オンライン


國松元長官(左)と中村受刑者

 1995年の國松孝次警察庁長官(当時)の銃撃事件に関与したと一度は自白し、時効前に捜査対象にもなった中村泰(ひろし)受刑者(94)が別事件で服役中だった東日本成人矯正医療センターで22日、死亡した。誰も起訴することなく終わった銃撃事件の真相は、いよいよ分からなくなった。

「中村受刑者は大阪や名古屋で現金輸送車襲撃事件を起こし、無期懲役の判決を受けて服役していました。最近は車椅子生活で耳も遠く、会話も成り立たないような状態だったといいます」(全国紙社会部記者)

 中村受刑者が長官銃撃事件の捜査線上に浮上したのは03年、現金輸送車襲撃事件の家宅捜索でのことだった。関係先から銃撃事件への関与をほのめかす文書の入ったフロッピーディスクが見つかったとされる。

「端緒を掴んだのは警視庁刑事部にある捜査一課」
 当時、警視庁公安部を中心とした捜査本部はオウム真理教の関与を疑って捜査を続けていた。銃撃事件が起きたのは95年3月30日。オウム真理教による地下鉄サリン事件の10日後だったことから、そう疑うのも無理はない。

 結局、捜査本部はオウム信者の警視庁元巡査長らを逮捕したが、不起訴になった。中村受刑者の関与の疑いが浮かんだのは、その直前のことだった。

「端緒を掴んだのは警視庁刑事部にある捜査一課。銃撃事件で使われたのと同じ型の拳銃を以前、米国で購入していたことが捜査で裏付けられ、中村受刑者から犯行を認める供述調書も取りました」(同前)

「いまさらオウムの犯行でないとなれば、恥をかくという意識も…」
 だが、中村受刑者は現場への送迎などを担った支援役について詳細を語らず、支援役の特定ができなかったとされる。最後まで逮捕のゴーサインは出ず、事件は10年に時効を迎えた。

 特命捜査班の中心にいた警視庁OBの原雄一氏が18年にその顛末を綴った著書で明かしたのが、「公安部との確執」だった。

「公安部はオウム真理教の犯行で間違いないと見立てており、捜査もその見立てに沿うものしか受け入れられない状況だったと聞いた。いまさらオウムの犯行でないとなれば、恥をかくという意識も働いたのではないか」と、警察OBも内情を分析してみせる。

 時効を迎えた10年、公安部が銃撃事件をオウム真理教の犯行とする捜査結果を詳細に公表。後継団体に訴えられて損害賠償を支払う羽目になったのはそうした驕りの報いかもしれない。

 昨年には毎日新聞が支援役を特定したとして当時の捜査記録をもとに中村受刑者に関する報道を連載。死の直前に再びクローズアップされた中村受刑者だったが、時効の事実は覆らない。だが、時効で立件は不可能でも捜査することはできる。警視庁にとって中村受刑者の死は事件を再検証するいい機会かもしれない。「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年6月6日号


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