私の思いと技術的覚え書き

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日本人の狂気・・・特攻

2011-08-09 | 沼津そして伊豆周辺
 敗戦記念日が近づいて来ました。66年前の今頃は、戦局も極めて行き詰まり、連日九州各地の飛行場から沖縄方面に向け、神風特別攻撃隊が片道燃料で飛び立っていたのでしょう。

 先ほど見ていたNHK報道番組で、鹿児島・知覧の特攻記念館に展示してあるという、特攻隊員の時世の句や遺書のことなどを紹介していました。そんな中の一つ、原田大尉が記したという「野辺の草、散りぬる桜かな」の辞世の句です。

 私は、各特攻隊員が命令としての自らの責任を果たしたと云うことに、立派なことだったとは思っています。しかし、特攻というクレイジーな作戦を立案し、指示命令を下した将官、参謀本部の軍事官僚共の、非合理かる冷酷な思考を思うとき、戦慄すべき狂気であったとの怒りを感じるのです。

 想像するに、当時の高位者の中にも、特攻作戦が如何に非合理で、とてもまともな作戦と呼べるものではないことを判っていた方は多かったと思います。しかし、幾らその様な方がいても、声を出すことがためらわれる状況が生み出されていたのでしょう。しかし、高位者である程、多数の特攻隊員の命を救うためには、自らの命を賭けて意見を述べる責任があったと思うのです。

 最後にもう一つ記します。東条秀樹が起草した「戦陣訓」という軍令があったそうです。この内容には「生きて敵の虜囚を受けることなかれ」なる文があり、各戦場での玉砕という悲劇を生み出した要因となったと聞きます。武器、弾薬が尽きても、決して捕虜になるな、死ぬまで戦えと云うのですから、これも狂気のなせる言葉であったと感じます。



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