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「危険運転致死罪適用を」 194キロ死亡事故・その2

2022-09-05 | 事故と事件
「危険運転致死罪適用を」 194キロ死亡事故・その2
 検察の言い分は「加害者は衝突するまで車を真っすぐに走らせているため、『危険運転致死傷罪』認定の要件である、『進行を制御することが困難な高速度』ではなかった」と説明しているという。

 だったら池袋事故(2019年4月元旧通産省工業技術院元院長・飯塚87才)がやらかした、ブレーキとアクセルの踏み間違い事故は、その速度が制限速のおよそ2倍に達するが、およそ進行を制御することが困難な状況に陥っていたことは明らかなのに、単なる業過致死罪(上限7年)で起訴し確定していることと明らかに論理矛盾するではないか。検察のイイカゲンさを表す事象だと思える。

【関連記事】
一般道で速度194キロ走行で事故、遺族は危険運転罪の適用を求めている
2022-09-01 | 事故と事件
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/c46205c977ff440b7475ea17dce6563a


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大分・194キロ“激突”事故 検察はなぜ「危険運転致死罪」を適用しないのか(1)
テレ朝ニュース [2022/09/03 10:30]
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000267160.html
 去年2月に大分市で起きた自動車事故に関する、大分地検の判断が議論を呼んでいる。
一般道を時速194キロで走行した車が、右折しようとした車に激突し、乗っていた男性を死亡させた事故で、大分地検は「危険運転致死罪」の適用を断念、「過失運転致死罪」で起訴したのだ。
 男性の遺族は「194キロの速度で事故を起こして、なぜ『危険運転』でないのか」と反発、上級庁の福岡高検などに“訴因”の変更を求める上申書を提出した。
 大分地検は遺族に対し、「加害者は衝突するまで車を真っすぐに走らせているため、『危険運転致死傷罪』認定の要件である、『進行を制御することが困難な高速度』ではなかった」と説明したという。

一体なぜそのような判断が生まれるのか。
なぜ「危険運転致死傷罪」の適用がこれほど難しいのか。
どのように打開すればいいのか。
危険運転致死傷罪に詳しい識者らに話を聞いた。

■ 194キロで一般道を走行 それでも「過失」?

「私が思うに、これは殺人ですものね。進路に入ってくる人間はみんな跳ね飛ばしてやるという…」

電話での取材に応じてくれた女性の言葉は厳しい。
彼女の弟、小柳憲(こやなぎ・けん)さん(当時50歳)は去年2月、大分市内の交差点で起きた衝突事故で死亡した。
右折しようとした小柳さんの車に、194キロという猛スピードで直進してきた元少年(当時19歳)の車が激突したのだ。

激しくぶつかった2台の車の写真がある。ともにぐしゃぐしゃになっているが、特に小柳さんの車は原型をとどめていない。

194キロ。法定速度60キロの3倍超だ。
事故から2カ月後、大分県警は「危険運転致死」容疑で元少年を書類送検。
しかし1年以上経った今年7月、大分地検は「危険運転致死」罪ではなく、「過失運転致死」罪で起訴したのである。

「(危険運転致死罪で)起訴して無罪になると地検にとってもマイナスなんでしょう。だからあえて戦わないという方法を取るのだろうと。でもどうなるかはわからないじゃない?と私は思っているんですよね」(小柳さんの姉)

危険運転致死罪の最高刑は懲役20年なのに対し、過失運転致死罪は懲役7年。
何より遺族にとって、194キロという速度で起こした事故が、「過失」とされるのはあり得なかった。

8月14日、小柳さんの姉は記者会見を開き、訴えた。
「事故が起きた道路は信号も横断歩道もある一般道路です。高速道路ではありません。夜になるととても暗く、遠くから交差点にいる車を視認できるような状況ではありませんでした。
そのような状況にもかかわらず、『どれだけスピードが出るのかを見るために』アクセルを踏み続けたこと、そしてその結果起こした事故が、不注意による『過失犯』とは思えません」

■ 危険運転致死罪の「危険」は「普通の感覚と違う」

起訴の2日前に電話で話した検察官は、危険運転致死罪を適用しない理由について、こう説明したという。

「加害者は衝突するまでまっすぐ走れている。例えばカーブを曲がり切れなかったというのなら危険運転の証拠になるが、直線道路での走行を制御できていたということになるので、危険運転にはあたらない」

自動車運転死傷行為処罰法では、「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」で人を死なせた場合、危険運転致死罪に処する、と定められている。
大分地検は今回の元少年の運転について、 「制御困難な高速度での走行」に当てはまらないと判断したことになる。

小柳さんの姉は検察官に訴えた。
「でも、こんなスピードなんですよ、この194キロって危険じゃないですかと言っても、『普通の人の感覚では危険だと思うだろうけど、危険運転致死罪の危険とは違う』と言ったんですよ。では何キロだったら危険なのかなって。
危険運転致死罪で上げて、裁判長がどのように判断するかはまだわからないじゃないですか、とも言ったんですけど、『自分と同じ法律家だから、自分の考えと同じであろう』と」

「危険運転致死罪の危険とは違う」とはどういうことなのか。
確かに過去の判例でも、「制御困難な高速度」というハードルは高い。

例えば2011年、宮崎県延岡市で起きた車同士の衝突死亡事故。
加害者側は酒を飲み、時速116キロで一般道を走行、車線をはみ出して対向車にぶつかった。
宮崎地裁は「アルコールの影響で正常な運転が困難だった」として危険運転致死罪は適用したものの、遺族が認定を求めていた「高速度運転」については「進行を制御することが困難な高速度とは認められない」と判断している。

とはいえ今回は…194キロである。
それでも「制御困難な高速度」ではないのか。

■ 「カーブだったら良かったのに」の意味

小柳さんの姉によれば検察官は、「道がカーブだったらよかったのに」と強調したという。
今回の検察の判断について、危険運転致死傷罪適用の問題を法社会学の視点から分析・検討している、福岡大学の小佐井良太教授に話を聞いた。

「これまで危険運転の事案で大きく問題になっているのはやっぱりカーブですよね、道路の状況に照らして、その高速度によって運転を制御できなくなるということなので、単にスピードの出し過ぎによって事故が起きました、という今回の大分のような事案だとそれには当てはまらないと検察は判断してしまった」

つまり、これだけのスピードであれば、カーブなら曲がり切れずに道をはずれたかもしれないが、直線道路だったために真っすぐ走ることができた(制御できていた)、そのため「危険運転」に問えないという理屈だ。

小柳さんの姉は、こうした考え方にも憤る。
「結局、加害者が警察の隙を見て高速運転の練習を繰り返し、車を制御できるように上達して、それで速く走れるようになって試したら人が死にました、それで制御できているから『危険運転』じゃないと判断されるんですよね。それ、おかしいですから。
警察がこういう悪質なスピードを出そうという若者を見逃して見逃して、その結果、運転が上手になって、罪も軽い…」

姉によると検察官は、「危険運転致死罪で起訴して、それが認められなかった場合には前例となってしまう」とも説明したという。
これには会見に同席した、被害者支援にあたる三井嘉雄弁護士も語気を強める。

「これが前例になったら困るからと言って起訴しなかったら、それ自体、何も問うてないことでしょ? 無罪の判決もらったら、自分(検察官)が困るとしか思っていない。被害者のことを考えたら起訴してトライするのが当たり前だと思うんです。
起訴しないなら、もう無罪判決を出しているのと一緒でしょ?」

■ 「司法のものさし」との差が埋まらない…

小柳さんの遺族には、同じように悪質な交通事故で家族を亡くした人たちが協力を申し出ている。
その中には1999年に東名高速道路上で起きた、飲酒運転のトラックによる追突炎上事故で、幼い娘2人を亡くした井上保孝さん郁美さん夫妻もいる。
悪質交通事故への厳罰化を求める署名活動を展開し、危険運転致死傷罪の“生みの親”とも言われる2人だ。

その井上さんが、今回の大分地検の判断について、こう語っている。
「21年前、『どうして司法のものさしと一般市民のものさしがこれほどまでに違うのか』という問題提起をして、危険運転致死傷罪を作ってもらったのは、私たちの持った疑問に答えるものと理解していたのですが、どうも司法のものさしとの差が埋まらないようです」

井上さん一家の事故で、東京地裁が被告のトラック運転手に下した判決は懲役4年。
当時は、事故の原因が飲酒運転であろうとスピード違反であろうと原則、刑法の業務上過失致死傷罪で裁かれ、その最高刑は懲役5年だった。

判決後の記者会見で、郁美さんは涙を流しながらこう訴えた。
「(娘2人の)これから70年、80年と生きられたであろう命の重さに比べて、懲役4年というのはあまりにも軽いんじゃないか」

井上さん夫妻が、厳罰化を求める署名活動を通じて訴えたのは、飲酒運転や猛スピードでの走行により事故を起こす行為は、「過失」ではなく「故意」ではないのか、ということだった。
それが井上さんの考える「一般市民のものさし」だった。
だが…

「井上さんたちが当初提起されていた『一般市民のものさしと、司法のものさしが違いすぎる』というところが、結局は埋まっていないということになるんだと思います」(小佐井教授)

■ 住宅街で100キロでも「制御困難な高速度ではない」

なぜ危険運転致死傷罪は、これほど適用の難しい法律になってしまったのか。
小佐井教授はその原点は、法の改正について議論した21年前の法制審議会にあると考える。

「当時の法運用の現場において、(厳罰化が)もろ手を挙げて賛同を得ていたかというと必ずしもそうではない状況でした。とにかく刑の乱用を戒めて慎重に適用するんだよってことを言っていて… 
とりわけ『高速度』に関しては、非常に縛りをかけた規定をそもそも作って、そういう運用が実際になされている。結果、今回のような事案においてハードルが高い、適用が難しいという状況になっている」

当時の法制審議会の議論。
確かに、「真っすぐな道で歩行者や通行車両を発見したとき,その手前で正しく止まれないような速度で走っていた場合でも,この『自動車の進行を制御することが困難な高速度』には当たらない」という説明がなされていたりする。

「例えば住宅街とか、制限速度がもっと低いというところを100キロ出して走る、これは明らかに危ないということが分かっていてやる、しかしそういうものには適用しないと言っているんですね。一般の感覚からいくと、いや、そこにこそ適用すべきでしょ、という話になるんですけど、それは『進行を制御することが困難な高速度』という話とは違う、あくまで『カーブを曲がりきれない』とか、『進路を保てない』ということに限定してる」(小佐井教授)

一方で、審議会ではこの「進行を制御することが困難な高速度」について、「わずかな判断,ブレーキやハンドルの操作のミスによって事故になるような高速度」だという定義が繰り返されている。
具体的には「車を真っすぐに進めるだけでハンドルがぶれる,車体ががたがたする,そういう状態で道路状況に沿って必死で車を操る,ちょっとでも気を抜いたらすぐ路肩に飛び出すという程度の速度で車を運転する」状態だとの説明も登場する。

大分の事故で、元少年が出していた時速194キロというスピード…
100mを2秒足らずで進む、猛烈な速さだ。
真っすぐ進むだけでハンドルがぶれるような、必死で車を操るような状態ではなかったのか。
これまで裁判で問われたことのない、そして、法制審議会で議論されていた定義に合致するかもしれない、「高速度」だったのではないのか。

この問題に本来、検察側はどう向き合うべきなのか、さらに検証していく。テレビ朝日報道局

#危険運転の適用矛盾 #検察のご都合主義


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