私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

1955年ル・マン事故のこと

2012-04-11 | 事故と事件
 仏国、ル・マンにおいて毎年開催されている24時間耐久レースは、F1グランプリに次いで有名なレースでしょう。そのル・マンにおける1955年6月開催のレースでの大事故のことは、今やほとんどの方が感心を持つこともなく忘れ去られたと思います。

 ルマン、サルテサーキットは一部公道を閉鎖して構成され、全週13kmのコースで、カーブが比較的少ない高速サーキットです。最長の直線路となるユノディエールでは6kmの直線が続き、最新型マシンでは最高速が400km/hに達するのだそうです。そして、ユノディエールの終端には、90度を超えるカーブであるミュルサンヌが待ち構えていますから、猛烈な急減速が必用であり、各車の高速ブレーキ能力の限界が試されます。

 その、ル・マンにおいて、1955年6月、観客の死亡者数80名以上、負傷者数200名を生じる事故が起きたのです。事故は、メインスタンド前のピットへ入ろうとしたしたクルマ(ジャガー)を避けるため急減速したクルマ(オースチンヒーレー)に後方から驀進して来たクルマ(メルセデス300SLR)が追突し、空中に飛び上がったものです。飛び上がったメルセデス300SLRは、メインスタンド側壁に激突、車体とエンジンなどがバラバラに分離し、跳ね飛んだ各部品が観客席に飛び込んで多数の死傷者を生み出したものと記されています。

 この事故により、メルセデスチームは、同レースの続行を棄権し、以来30年余に渡りレース会に復帰することはなかったのだそうです。

付記(メルセデス300SLRのこと) 300SLRは、当時のメルセデス製F1(型式W196)が2.5リッターであったものを、3リッターに改造し、車体の外側に飛び出した各輪を覆うカウリングを被せたプロトタイプレーシングカーです。なお、300SLRは愛称名で、型式はW196Sとなるとのこと。

 W196の先進性は特にエンジンにおいて顕著で、他メーカーを追随を許さない凄まじいものがあった様です。それは、直列8気筒だが前後4気筒ずつが独立し、センターから動力を取り出す方式であるとか、バルブ駆動にデスモドロミック(強制開閉)方式の採用、シリンダー直接噴射の採用等々で、その最大馬力も他メーカーより図抜けていたと云われます。
 なお、当時のメルセデスの市販高級スポーツカーに300SLというのがありましたが、エンジンだとかフレームワークに直接の関係はなく、あくまでも市販車のイメージアップのための愛称の付与であったとのことです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。