地球温暖化という疑惑 その2【何故それが電気エネなのか】
地球温暖化の問題は国連のICPPという機関が動いて、地球は温暖化していると結論付け、そのために温室効果ガスの排出規制を求めるべきとの立脚点から脱炭素の再生可能エネルギーを増やさねばならない、石油系(HC)の燃料を使わないで、EV車を使うべきという動きをさも正当化するのだが・・・。
ここで不思議に思うことが一つ、CO2を吸収しそれを分解することで、成長するのが植物で、各国の植物由来の穀物の収穫量は増えつつあるというととだ。
また、都市化と云う中で、大都市程に木が切り倒され、植物植生が排除されてきた歴史がある。また、再生エネルギーの太陽光パネルの設置のため、大面積の植生が討伐されて行く現象がある。
こういう中で、温室効果ガスを減らさねばならないという候補の中に、何故植生を増やすということが入らないのか不思議でならない。地球には、砂漠化が広がっている地域もあり、これは灌漑できる水系の問題が大きいのだと思えるが、こういうところにこそ太陽光パネルの設置が望ましいし、水系の問題が何とかなるなら、それを工夫して植生を生み出すことが何故無視されるのだろうか。
ついでに、話しが地球温暖化とは異なる分野にもおよぶが、テクノクラートたる優秀な官僚機構が、その管轄分野において何か思考し、新たな枠組みを策定相とする場合を事例として考えてみたい。たぶん、これは国連という官僚組織においても同様だと想像されるからだ。
こういった官僚が新たな枠組みを策定する場合、必ず有識者による論議というのが設置され、審議されるという形を取る。これは、独裁政権でなく自由民主という形を取る上で、絶体必要条件となるからだ。
ところが、国内のほとんどの省庁における様々な有識者会議において、ゼロから論議を始めているなんてことはないのが実態だろう。つまり、たたき台となる大枠は、官僚自体により作られており、実態は形ばかりのセレモニーとしての有識者会議という場合が多いのではないだろうか。
そして、有識者会議のメンバーをみれば、その分野を研究する有名大学の教授もしくは助教授が8割方、そして残りは、関与する企業、団体などの経営者などがちょっとで、多くの場合、審議することは公開するが、その審議内容は非公開という場合が多い。これは何を意味するのだろうか。
あくまで想像だが、審議という形こそ取っているが、既に述べた官僚が決めた流れに異論がないことを示す形だけのものに過ぎないのではないだろうかという疑念が湧く。そして、時々、その有識者会議のメンバーに異論を提議すると、次回からメンバーから弾き出されているという姿が垣間見える場合もある。
そもそも、審議内容にもよるだろうが、例えば私の業務にも関わり深い国交省の自動車に関わる新たな問題を審議するのに、およそ実務を知らない大学教授とか団体の幹部が顔を揃えた審議会が構成される事例がほとんどだろ知見する。そうなると、現場の実態だとか、実務を知らない者だけが、その権威だけで承認したという体裁を整えるのは、エセ民主主義というべきものではないだろうか。
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【参考記事】
地球温暖化という疑惑
2021-10-20 | コラム
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/73f2143cbae8dd713f2667a2b9f67dfc
地球温暖化の問題は国連のICPPという機関が動いて、地球は温暖化していると結論付け、そのために温室効果ガスの排出規制を求めるべきとの立脚点から脱炭素の再生可能エネルギーを増やさねばならない、石油系(HC)の燃料を使わないで、EV車を使うべきという動きをさも正当化するのだが・・・。
ここで不思議に思うことが一つ、CO2を吸収しそれを分解することで、成長するのが植物で、各国の植物由来の穀物の収穫量は増えつつあるというととだ。
また、都市化と云う中で、大都市程に木が切り倒され、植物植生が排除されてきた歴史がある。また、再生エネルギーの太陽光パネルの設置のため、大面積の植生が討伐されて行く現象がある。
こういう中で、温室効果ガスを減らさねばならないという候補の中に、何故植生を増やすということが入らないのか不思議でならない。地球には、砂漠化が広がっている地域もあり、これは灌漑できる水系の問題が大きいのだと思えるが、こういうところにこそ太陽光パネルの設置が望ましいし、水系の問題が何とかなるなら、それを工夫して植生を生み出すことが何故無視されるのだろうか。
ついでに、話しが地球温暖化とは異なる分野にもおよぶが、テクノクラートたる優秀な官僚機構が、その管轄分野において何か思考し、新たな枠組みを策定相とする場合を事例として考えてみたい。たぶん、これは国連という官僚組織においても同様だと想像されるからだ。
こういった官僚が新たな枠組みを策定する場合、必ず有識者による論議というのが設置され、審議されるという形を取る。これは、独裁政権でなく自由民主という形を取る上で、絶体必要条件となるからだ。
ところが、国内のほとんどの省庁における様々な有識者会議において、ゼロから論議を始めているなんてことはないのが実態だろう。つまり、たたき台となる大枠は、官僚自体により作られており、実態は形ばかりのセレモニーとしての有識者会議という場合が多いのではないだろうか。
そして、有識者会議のメンバーをみれば、その分野を研究する有名大学の教授もしくは助教授が8割方、そして残りは、関与する企業、団体などの経営者などがちょっとで、多くの場合、審議することは公開するが、その審議内容は非公開という場合が多い。これは何を意味するのだろうか。
あくまで想像だが、審議という形こそ取っているが、既に述べた官僚が決めた流れに異論がないことを示す形だけのものに過ぎないのではないだろうかという疑念が湧く。そして、時々、その有識者会議のメンバーに異論を提議すると、次回からメンバーから弾き出されているという姿が垣間見える場合もある。
そもそも、審議内容にもよるだろうが、例えば私の業務にも関わり深い国交省の自動車に関わる新たな問題を審議するのに、およそ実務を知らない大学教授とか団体の幹部が顔を揃えた審議会が構成される事例がほとんどだろ知見する。そうなると、現場の実態だとか、実務を知らない者だけが、その権威だけで承認したという体裁を整えるのは、エセ民主主義というべきものではないだろうか。
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【参考記事】
地球温暖化という疑惑
2021-10-20 | コラム
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/73f2143cbae8dd713f2667a2b9f67dfc