私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

鉄路回想・旧中仙道鉄路の話し

2019-08-22 | コラム
 Youtube にて信越本線・旧碓氷峠の風景を記録した動画2本を関心を持って眺めてしまいました。

碓氷峠アプト式 最後のED42
https://www.youtube.com/watch?v=6RU45jy9bfk&list=LLsY_osa6-J-yNr8T_rKxekA&index=3&t=0s


信越本線「横川〜軽井沢」物語
https://www.youtube.com/watch?v=E1ieSn7WcPM&list=LLsY_osa6-J-yNr8T_rKxekA&index=2&t=1171s


 この物語を見聞きしながら、かつて明治時代に、東海道本線ではなく、この中仙道で東京大阪間を繋ごうとしていたことを知りちょっと驚いた次第です。しかし、高崎~横川間は明治18年に開通したというものの、横川から軽井沢間の急勾配は難所となりました。そして、中仙道案より東海道線本線に注力し、明治22年に新橋~神戸間全線か開通したのでした。

 その後、横川~軽井沢間もアプト式で開通し、直江津(上越市)と繋がる上越本線として明治26年に開通しますが、中仙道として全線開通することはなく現在に至るのです。

 往時の難所となった横川~軽井沢間は、現在は廃線となってしまっています。それでも、北陸新幹線がほぼ並行してまずは長野まで開通しましたから、問題は少ないのかもしれませんが、昔の鉄路旅を知る者としてはちょっと残念な思いです。

 しかし、以前にも記していますが、我が国は明治から戦前辺りまで、鉄路網をそれなりに整備したのですが、クルマの登場と共に、廃線の憂き目になった路線は数多と思えます。あまりにも、クルマに偏向し過ぎて来た訳ですが、長距離貨物輸送などに鉄路を集中させれば、極めてエネルギー効率の高い安全な輸送が確立できたと思えます。しかし、政治屋と官僚共の偏向思想は今に至っても変わらず、相も変わらず道路整備に熱心なところは変わりそうもありません。

※写真は横川~軽井沢間の廃線となった碓井峠にある「めがね橋」の風景です。







ちょっと昔の電車旅情 2012-05-28
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/a6ab195d220efb9009dbfe83b4d08e6e


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