私の思いと技術的覚え書き

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ジャーナリズムに存在価値があるのか?

2020-11-22 | コラム
 このところ、いわゆる報道、つまりジャーナリズムに存在価値が如何ほどあるのかを思うことが度々だ。それは、以下の様な、種々の事件からでもある要に思える・

・米大統領選挙に関すて、米国内ででもメインストとリームメディアと対する比メインストリームメディアの差が余りにも大きいこと。また、日本のメインストルームメディアは対米メインストリームに見事に追随している。

・数年根前に、宮崎とか言うアホが煽り運転を行ったが、連日メディアが大げさに報道しまくり、おかげでドラレコは売れまくり、道路交通法の罰則規定まで改定されるに至った。しかし、煽り運転なんぞは何十年も前から度々起きていた特段目新しいものでもなく、今更新たに起こったごとく報道するアホさ加減に呆れる。

・関連して、こんなチンケでさほど大きな実害のない行為に法律改正までして厳正化する前に、警察はもっと先に優先すべき問題があるだろう。こういうのを見ていると、河野太郎の印鑑廃止じゃないけど、さもないことをさも大事なことの様にポイントをあえて外し、自らの得点稼ぎを行うずる賢しこい者を想像してしまう。だいたい警察の取締において、隠れて違反を検挙しようとする行為などに、マスメディアは批判したらどうなのかと思う。

・それにしても、マスメディアの権力に媚びる姿は醜怪であり哀れだ。10年近く前に起きた高知白バイ事件でも、地元メディアは一切報道せず、批判してきたのは一部メディアと個人の情報発信だけだ。しかし、この警察および検察の捏造犯罪を、幾らポンコツ弁護士が関与したからとて、最高裁までが追認してしまうとことに恐ろしさを感じるのが一般社会人だと思うのだが、ほとんどのマスメディアは、その様な脅威感は欠落している様に感じる。

 しかし、考えてみれば、そもそもマスメディアだとかジャーナリズムに、信実の追求を期待する方がどだいムリな話しだったということを改めて再認識する。こんなことが、彼の昔は単なるウワサが人づてに伝わり、それが文明の進歩によりジャーナリズムとかマスメディアという商売になった訳だが、しょせん大昔のウワサと同じで、誰が情報を拡散しているかという点がポイントとなるのだろう。ただ恐ろしいのは、マスメディアが情報の流布力というある種の権力を持っているところだ。だから、先に述べた事例の様に、本論をさておいてどうでもよい小さなことを、さも大事がごとくムードを作り上げ、官僚や人気取り政治家を動かし法律や規制までえてしまう点だろう。

 米大統領選挙の様なムチャクチャな選挙集計も、我が国でもある程度行われて来たのだろうし、そのことをマスメディアの中には不審に思い疑念を持つ者もいたのかもしれないが、決して紙面にもしくは報道されることはなかった。国民主権の民主主義が憲法の大前提なのは米国も日本も同様なのだが、何時まにやら影の権力者集団に乗っ取られていたということだろう。果たして人類は、この邪悪な影の権力者集団から真の主権を取り戻すことができるのだろうか?

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