「飯塚事件」はまだ、終わってはいない…映画『正義の行方』が問う“人が人を裁くこと”の果てしない難しさ
4/24(水) 6:05配信 現代ビジネス
映画の冒頭、ドローンによって真上から映し出される、その森の姿はまるで、あらゆるものを飲み込む生命体のようだったーー。
今から32年前の1992年2月21日、この森の中で、2人の少女が、変わり果てた姿で見つかった。これが、事件発生から30年以上、そして「犯人」とされた人物の死刑が執行されてから15年以上が経った今もなお、多くの謎が残る「飯塚事件」のおぞましい始まりだった。
冤罪の可能性を孕んだまま「死刑執行」
その前日の朝、福岡県飯塚市で、小学校1年生の女児2人(当時、ともに7歳)が登校途中に、そろって行方不明となり、翌日、自宅から直線距離にして約18キロ離れた、前述の森の中で、遺体で発見された。
福岡県警は、殺人・死体遺棄事件と断定し、430人体制の特別捜査本部を設置。その後、女児たちのランドセルや着衣の一部など遺留品が見つかった現場付近に、紺色のワゴン車が停まっていたとの目撃証言を得た。
特捜本部は、同様の車を所有していた久間三千年(くま・みちとし 当時54歳 敬称略)を容疑者とみて捜査を続け、事件から2年7ヵ月後の94年9月、久間を死体遺棄容疑で逮捕した(その後、殺人容疑で再逮捕)。
久間は取り調べ段階から一貫して犯行を否認していたが、同年10月、福岡地検は久間を死体遺棄罪で起訴、その後、殺人、略取誘拐の罪で追起訴した。
特捜本部が久間を「犯人」と断定したいくつかの証拠のうち、2本の太い柱は「DNA型鑑定」の結果と、前述の「目撃証言」だった。だが、当時は、警察庁が、DNA型鑑定を犯罪捜査に本格的に導入した直後で、「MCT118型」という検査方法で行われていた。
ちなみに、この飯塚事件の2年前、1990年に栃木県足利市で4歳の女児が殺害され、その翌年、事件とは無関係の菅家利和さんが逮捕、起訴された冤罪「足利事件」の捜査でも、同じMCT118型検査でDNA鑑定が行われていた。さらには警察庁科学警察研究所(科警研)で行われた2つの事件の鑑定の時期や技術、そして鑑定にあたった技官もほぼ同じだったという。
その後、菅谷さんは裁判で無期懲役の刑が確定していたが、2009年、再鑑定の結果、遺留物のDNA型が菅谷さんのものと一致しないことが判明。服役中だった菅家さんは即日、釈放され、その後の再審で無罪が確定したことはご承知の通りだ。
実は菅谷さんの無罪が確定する以前から、MCT118型検査によるDNA型鑑定の信用性を疑問視する法医学者は少なくなかった。このため、このDNA型鑑定を有罪の根拠とした2つの事件は、司法関係者の間で「東の足利、西の飯塚」と呼ばれ、冤罪の可能性が指摘されていた。
さらに飯塚事件の捜査段階でも、日本のDNA型鑑定の第一人者といわれる帝京大学の石山昱夫教授が、科警研と同じ試料で鑑定を行ったが、久間と同じDNA型は検出されなかったというのだ。
このため、久間の弁護団は、DNA型鑑定の結果は信用できないと無罪を主張。一審の福岡地裁も、県警が久間を「犯人」と断定した2本の柱のうち、DNA型鑑定の結果については、判決で「やや証明力が弱いといわざるを得ない」とした。
さらに、もう1本の柱である目撃証言などの状況証拠についても「そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができない」としたのだ。
にもかかわらず、地裁は「諸情況を総合すれば、被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができる」として1999年、久間に死刑判決を言い渡したのである。
二審の福岡高裁も一審判決を支持。そして最高裁は2006年9月、久間の上告を棄却し、死刑判決が確定した。
それから僅か2年後の08年10月、久間の死刑が福岡拘置所で執行されたのだ。
死刑の執行は刑事訴訟法で、判決確定後、原則として「6ヵ月以内」に行うよう定められている。しかし実際には、判決確定後から執行までには長い時間がかかり、10年以上執行されないケースも少なくない。
NHKの取材によると、07年から16年までの10年間での平均期間は「およそ5年」、法務省によると、12年から21年までの10年間での平均は「約7年9ヵ月」。これらと比較しても、久間の死刑判決確定後から執行までの「2年」という期間がいかに短いものか分かるだろう。
実は、前述の「足利事件」で、東京高裁が菅谷さんのDNA型鑑定の再鑑定を決定したのは08年12月。久間の刑が執行される約2ヵ月前のことだった。だが、その年の1月にはすでに、日本テレビの清水潔記者(当時)がMCT118型検査の不完全性について報じ、その後も複数のメディアが、検査方法の問題点を指摘していた。
このため久間の弁護団は、法務省が、久間の有罪判決に重大な瑕疵があることを知りながら、それが再審請求によって明らかになることを恐れ、刑の執行を急いだのではないか--との強い疑念を抱いている。
久間の死刑執行から1年後の09年10月、弁護団は、久間を有罪としたDNA型鑑定の証拠力や目撃証言の信憑性などについて、裁判のやり直しを求める再審請求を行った。だが、福岡地裁、高裁、最高裁とも、この第一次再審請求を棄却した(21年4月)。
さらに弁護団は21年7月、独自調査で得られた目撃証言を新証拠として、福岡地裁に第2次再審請求を行った。今年2月に非公開の審理が終了し、この4月以降にも再審開始をめぐる決定が出る見込みだという。
事件はまだ、終わってはいないのだ。
“オールドメディア”の底力を見た
ⓒNHK
映画『正義の行方』(木寺一孝監督)は、この「飯塚事件」を題材にしたドキュメンタリーである。が、決して久間の「冤罪」を訴える作品ではない。
幼い子どもたちが惨殺され、遺棄されるという極めて陰惨で、しかも、犯人に結びつく直接証拠が存在しない難事件の解決に執念を燃やし続けた福岡県警の幹部や捜査員。
一方、自分たちの再審請求手続きの遅れが、久間を死に追いやったとの思いに苛まれ続け、有罪判決の根拠となった当時のDNA型鑑定の不全や、目撃証言、それを基にした調書の矛盾を明らかにするため、新証拠の発掘に奔走する弁護団。
時に激しく対立する当事者たちが信じる〈真実〉と、それぞれが拠って立つ〈正義〉を突き合わせることによって、未だ多くの謎が残る事件の全体像が浮き彫りになり、やがてそれは、この国の歪んだ司法制度の実態に迫っていく。
そして、それら立場の異なる登場人物の中でも一際、存在感を放つのが地元紙「西日本新聞」の記者たちだ。
発生当初から終始、この事件の報道をリードしてきた当時の記者と、事件担当サブキャップは、久間が逮捕・起訴され、裁判で死刑判決が下り、刑が執行される過程で、久間を「犯人」とした判決と、一貫してそう報じてきた自らの記事に疑問を抱き始める。
そして、再審請求の審理の過程で、裁判所が、前述のMCT118型検査によるDNA型鑑定の証拠力を否定するに至って、その疑問は大きく膨らみ、17年、新聞社としては異例の、当時の自社の報道をも対象とした「検証キャンペーン」に乗り出すのだ。
事件の真相に少しでも近づけるならばと、過去の自らの手による報道を、仲間の記者から「検証」されることに向き合う当時の記者(後に社会部長)と、事件担当サブキャップ(後に編集局長)。
そして、その編集局長から「飯塚事件検証取材班」に指名され、文字通り地を這うような取材で、25年前の事件をめぐる新たな事実を発掘し、2年間、83回にわたって検証記事を連載した2人の記者。
愚直なまでに「事実」を追い求め、それに忠実であろうとする彼らの姿は、新聞、テレビなどの既存メディアが、読者、視聴者の信頼を失い、ネットメディアやSNSに圧倒される今、“オールドメディア”の底力を見せてくれる。
しかし、この事件の当事者の中で、最後まで、その“顔”が見えなかった人たちがいる。久間を「飯塚事件の犯人」として起訴し、彼に死刑を求刑した検察官と、一審から最高裁まで一貫して死刑判決を維持し続けた裁判官たちである。
当事者たちが信じる「真実」と「正義」
ⓒNHK
本作品の木寺一孝監督は、元NHKのデイレクターで、本作は22年4月にNHKの「BS1 スペシャル」として放送された、3部構成のドキュメンタリー「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」の映画化だ。同番組で木寺監督は文化庁芸術祭大賞などを受賞し、23年にNHKを退局した。木寺監督が語る。
「今回の映画に出演していただいた当事者の方々には全員、事前に手紙を書いて、インタビュー取材を申し込みました。その際には必ず『この作品では(立場の異なる人たちが)互いに(事件について)主張しあう』という取材の前提をお話しました。その前提を理解していただいた上で、『自身の30年』をカメラの前で語ってもらったのです。
この事件を担当した当時の検察官、裁判官にも当然、同じように取材を申し込みました。裁判官には取材を拒否されましたが、検察官は電話で応じてくれました。
しかし『自分は法廷で述べたこと、調書に記したことがすべてだから(それ以上は話すことがない)』というのが(検察官の)答えでした。
当時の検察官や裁判官を直撃(取材)して、そのシーンを撮り、映すというやり方もあったでしょう。が、そういう手法をとれば、この作品の主旨からは外れてしまう。
本作の主旨は、タイトルの通り『正義の行方』であって、『裁判の行方』ではありません。
そこは、スタッフの中でも繰り返し議論したところでした。また、取材が進むにつれ、我々自身も、ややもすると『裁判の行方』に傾きそうになるので、絶えず原点に立ち返るべく、『裁判の行方ではなく、正義の行方』と紙に書いて、貼っていました。
実際、『裁判の行方』、つまり『冤罪か否か』、『真犯人は誰か』ということに軸足を置くと、もう、限りなく泥沼に入っていく。
そのため、この飯塚事件の取材を始めてから10年、NHK内でも企画が通りませんでした。放送の条件として『冤罪を証明するスクープが入手できるか』、あるいは『再審開始の決定が出るか』という高いハードルが設定され、もう無理かと諦めかけた時期もありました。
そんな時に知ったのが西日本新聞の記者たちの『検証報道』でした。飯塚事件のあるゆる関係者に一切の先入観を排して取材し、その過程も含めて淡々と記事化していく手法に刺激を受けました。
そこで改めて取材をやり直すと、30年経っても決着していないことで、今なお事件を引きずり、心に葛藤を抱えている多くの『当事者』がいることが分かりました。
映画に出てくださった福岡県警の幹部や捜査員は、今も久間さんが『犯人』であると確信している。逆に久間さんの弁護団は、彼の無実を信じ、『死刑執行後の再審請求』という、この上なく高く、厚い壁に挑み続けている。
そして、西日本新聞の記者たちは、30年前の自社の事件報道に疑問を抱き、自らそれを検証し、改めて『真実』に向き合おうとした。
この映画に登場する当事者たち、それぞれが信じる『真実』と、拠って立つ『正義』は、当然のことながら異なり、ぶつかり合います。その様子をありのままに映し出すことによって、この作品を観ている人に、『人が人を裁くことの難しさ』を体感してもらえるような作品にしたいと思いました。
この作品をつくるため、立場の異なる当事者たちに会えば会うほど、それぞれが信じる『真実』や『正義』を聞けば聞くほど、『そもそも、人が人を裁くということは、何の間違いもなく、本当にできるものなのか……』という思いが強くなっていきました。
是非、映画を観てくださる方々にも、それぞれの当事者が語る『真実』や『正義』を聞き、何かを感じていただきたいと思います」
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映画『正義の行方』は、4月27日(土)から「ユーロスペース」(東京)、「第七藝術劇場」(大阪)、「KBCシネマ」(福岡)ほか、全国の劇場で順次公開される。詳細は公式サイト
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西岡 研介(ノンフィクションライター)
4/24(水) 6:05配信 現代ビジネス
映画の冒頭、ドローンによって真上から映し出される、その森の姿はまるで、あらゆるものを飲み込む生命体のようだったーー。
今から32年前の1992年2月21日、この森の中で、2人の少女が、変わり果てた姿で見つかった。これが、事件発生から30年以上、そして「犯人」とされた人物の死刑が執行されてから15年以上が経った今もなお、多くの謎が残る「飯塚事件」のおぞましい始まりだった。
冤罪の可能性を孕んだまま「死刑執行」
その前日の朝、福岡県飯塚市で、小学校1年生の女児2人(当時、ともに7歳)が登校途中に、そろって行方不明となり、翌日、自宅から直線距離にして約18キロ離れた、前述の森の中で、遺体で発見された。
福岡県警は、殺人・死体遺棄事件と断定し、430人体制の特別捜査本部を設置。その後、女児たちのランドセルや着衣の一部など遺留品が見つかった現場付近に、紺色のワゴン車が停まっていたとの目撃証言を得た。
特捜本部は、同様の車を所有していた久間三千年(くま・みちとし 当時54歳 敬称略)を容疑者とみて捜査を続け、事件から2年7ヵ月後の94年9月、久間を死体遺棄容疑で逮捕した(その後、殺人容疑で再逮捕)。
久間は取り調べ段階から一貫して犯行を否認していたが、同年10月、福岡地検は久間を死体遺棄罪で起訴、その後、殺人、略取誘拐の罪で追起訴した。
特捜本部が久間を「犯人」と断定したいくつかの証拠のうち、2本の太い柱は「DNA型鑑定」の結果と、前述の「目撃証言」だった。だが、当時は、警察庁が、DNA型鑑定を犯罪捜査に本格的に導入した直後で、「MCT118型」という検査方法で行われていた。
ちなみに、この飯塚事件の2年前、1990年に栃木県足利市で4歳の女児が殺害され、その翌年、事件とは無関係の菅家利和さんが逮捕、起訴された冤罪「足利事件」の捜査でも、同じMCT118型検査でDNA鑑定が行われていた。さらには警察庁科学警察研究所(科警研)で行われた2つの事件の鑑定の時期や技術、そして鑑定にあたった技官もほぼ同じだったという。
その後、菅谷さんは裁判で無期懲役の刑が確定していたが、2009年、再鑑定の結果、遺留物のDNA型が菅谷さんのものと一致しないことが判明。服役中だった菅家さんは即日、釈放され、その後の再審で無罪が確定したことはご承知の通りだ。
実は菅谷さんの無罪が確定する以前から、MCT118型検査によるDNA型鑑定の信用性を疑問視する法医学者は少なくなかった。このため、このDNA型鑑定を有罪の根拠とした2つの事件は、司法関係者の間で「東の足利、西の飯塚」と呼ばれ、冤罪の可能性が指摘されていた。
さらに飯塚事件の捜査段階でも、日本のDNA型鑑定の第一人者といわれる帝京大学の石山昱夫教授が、科警研と同じ試料で鑑定を行ったが、久間と同じDNA型は検出されなかったというのだ。
このため、久間の弁護団は、DNA型鑑定の結果は信用できないと無罪を主張。一審の福岡地裁も、県警が久間を「犯人」と断定した2本の柱のうち、DNA型鑑定の結果については、判決で「やや証明力が弱いといわざるを得ない」とした。
さらに、もう1本の柱である目撃証言などの状況証拠についても「そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができない」としたのだ。
にもかかわらず、地裁は「諸情況を総合すれば、被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができる」として1999年、久間に死刑判決を言い渡したのである。
二審の福岡高裁も一審判決を支持。そして最高裁は2006年9月、久間の上告を棄却し、死刑判決が確定した。
それから僅か2年後の08年10月、久間の死刑が福岡拘置所で執行されたのだ。
死刑の執行は刑事訴訟法で、判決確定後、原則として「6ヵ月以内」に行うよう定められている。しかし実際には、判決確定後から執行までには長い時間がかかり、10年以上執行されないケースも少なくない。
NHKの取材によると、07年から16年までの10年間での平均期間は「およそ5年」、法務省によると、12年から21年までの10年間での平均は「約7年9ヵ月」。これらと比較しても、久間の死刑判決確定後から執行までの「2年」という期間がいかに短いものか分かるだろう。
実は、前述の「足利事件」で、東京高裁が菅谷さんのDNA型鑑定の再鑑定を決定したのは08年12月。久間の刑が執行される約2ヵ月前のことだった。だが、その年の1月にはすでに、日本テレビの清水潔記者(当時)がMCT118型検査の不完全性について報じ、その後も複数のメディアが、検査方法の問題点を指摘していた。
このため久間の弁護団は、法務省が、久間の有罪判決に重大な瑕疵があることを知りながら、それが再審請求によって明らかになることを恐れ、刑の執行を急いだのではないか--との強い疑念を抱いている。
久間の死刑執行から1年後の09年10月、弁護団は、久間を有罪としたDNA型鑑定の証拠力や目撃証言の信憑性などについて、裁判のやり直しを求める再審請求を行った。だが、福岡地裁、高裁、最高裁とも、この第一次再審請求を棄却した(21年4月)。
さらに弁護団は21年7月、独自調査で得られた目撃証言を新証拠として、福岡地裁に第2次再審請求を行った。今年2月に非公開の審理が終了し、この4月以降にも再審開始をめぐる決定が出る見込みだという。
事件はまだ、終わってはいないのだ。
“オールドメディア”の底力を見た
ⓒNHK
映画『正義の行方』(木寺一孝監督)は、この「飯塚事件」を題材にしたドキュメンタリーである。が、決して久間の「冤罪」を訴える作品ではない。
幼い子どもたちが惨殺され、遺棄されるという極めて陰惨で、しかも、犯人に結びつく直接証拠が存在しない難事件の解決に執念を燃やし続けた福岡県警の幹部や捜査員。
一方、自分たちの再審請求手続きの遅れが、久間を死に追いやったとの思いに苛まれ続け、有罪判決の根拠となった当時のDNA型鑑定の不全や、目撃証言、それを基にした調書の矛盾を明らかにするため、新証拠の発掘に奔走する弁護団。
時に激しく対立する当事者たちが信じる〈真実〉と、それぞれが拠って立つ〈正義〉を突き合わせることによって、未だ多くの謎が残る事件の全体像が浮き彫りになり、やがてそれは、この国の歪んだ司法制度の実態に迫っていく。
そして、それら立場の異なる登場人物の中でも一際、存在感を放つのが地元紙「西日本新聞」の記者たちだ。
発生当初から終始、この事件の報道をリードしてきた当時の記者と、事件担当サブキャップは、久間が逮捕・起訴され、裁判で死刑判決が下り、刑が執行される過程で、久間を「犯人」とした判決と、一貫してそう報じてきた自らの記事に疑問を抱き始める。
そして、再審請求の審理の過程で、裁判所が、前述のMCT118型検査によるDNA型鑑定の証拠力を否定するに至って、その疑問は大きく膨らみ、17年、新聞社としては異例の、当時の自社の報道をも対象とした「検証キャンペーン」に乗り出すのだ。
事件の真相に少しでも近づけるならばと、過去の自らの手による報道を、仲間の記者から「検証」されることに向き合う当時の記者(後に社会部長)と、事件担当サブキャップ(後に編集局長)。
そして、その編集局長から「飯塚事件検証取材班」に指名され、文字通り地を這うような取材で、25年前の事件をめぐる新たな事実を発掘し、2年間、83回にわたって検証記事を連載した2人の記者。
愚直なまでに「事実」を追い求め、それに忠実であろうとする彼らの姿は、新聞、テレビなどの既存メディアが、読者、視聴者の信頼を失い、ネットメディアやSNSに圧倒される今、“オールドメディア”の底力を見せてくれる。
しかし、この事件の当事者の中で、最後まで、その“顔”が見えなかった人たちがいる。久間を「飯塚事件の犯人」として起訴し、彼に死刑を求刑した検察官と、一審から最高裁まで一貫して死刑判決を維持し続けた裁判官たちである。
当事者たちが信じる「真実」と「正義」
ⓒNHK
本作品の木寺一孝監督は、元NHKのデイレクターで、本作は22年4月にNHKの「BS1 スペシャル」として放送された、3部構成のドキュメンタリー「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」の映画化だ。同番組で木寺監督は文化庁芸術祭大賞などを受賞し、23年にNHKを退局した。木寺監督が語る。
「今回の映画に出演していただいた当事者の方々には全員、事前に手紙を書いて、インタビュー取材を申し込みました。その際には必ず『この作品では(立場の異なる人たちが)互いに(事件について)主張しあう』という取材の前提をお話しました。その前提を理解していただいた上で、『自身の30年』をカメラの前で語ってもらったのです。
この事件を担当した当時の検察官、裁判官にも当然、同じように取材を申し込みました。裁判官には取材を拒否されましたが、検察官は電話で応じてくれました。
しかし『自分は法廷で述べたこと、調書に記したことがすべてだから(それ以上は話すことがない)』というのが(検察官の)答えでした。
当時の検察官や裁判官を直撃(取材)して、そのシーンを撮り、映すというやり方もあったでしょう。が、そういう手法をとれば、この作品の主旨からは外れてしまう。
本作の主旨は、タイトルの通り『正義の行方』であって、『裁判の行方』ではありません。
そこは、スタッフの中でも繰り返し議論したところでした。また、取材が進むにつれ、我々自身も、ややもすると『裁判の行方』に傾きそうになるので、絶えず原点に立ち返るべく、『裁判の行方ではなく、正義の行方』と紙に書いて、貼っていました。
実際、『裁判の行方』、つまり『冤罪か否か』、『真犯人は誰か』ということに軸足を置くと、もう、限りなく泥沼に入っていく。
そのため、この飯塚事件の取材を始めてから10年、NHK内でも企画が通りませんでした。放送の条件として『冤罪を証明するスクープが入手できるか』、あるいは『再審開始の決定が出るか』という高いハードルが設定され、もう無理かと諦めかけた時期もありました。
そんな時に知ったのが西日本新聞の記者たちの『検証報道』でした。飯塚事件のあるゆる関係者に一切の先入観を排して取材し、その過程も含めて淡々と記事化していく手法に刺激を受けました。
そこで改めて取材をやり直すと、30年経っても決着していないことで、今なお事件を引きずり、心に葛藤を抱えている多くの『当事者』がいることが分かりました。
映画に出てくださった福岡県警の幹部や捜査員は、今も久間さんが『犯人』であると確信している。逆に久間さんの弁護団は、彼の無実を信じ、『死刑執行後の再審請求』という、この上なく高く、厚い壁に挑み続けている。
そして、西日本新聞の記者たちは、30年前の自社の事件報道に疑問を抱き、自らそれを検証し、改めて『真実』に向き合おうとした。
この映画に登場する当事者たち、それぞれが信じる『真実』と、拠って立つ『正義』は、当然のことながら異なり、ぶつかり合います。その様子をありのままに映し出すことによって、この作品を観ている人に、『人が人を裁くことの難しさ』を体感してもらえるような作品にしたいと思いました。
この作品をつくるため、立場の異なる当事者たちに会えば会うほど、それぞれが信じる『真実』や『正義』を聞けば聞くほど、『そもそも、人が人を裁くということは、何の間違いもなく、本当にできるものなのか……』という思いが強くなっていきました。
是非、映画を観てくださる方々にも、それぞれの当事者が語る『真実』や『正義』を聞き、何かを感じていただきたいと思います」
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映画『正義の行方』は、4月27日(土)から「ユーロスペース」(東京)、「第七藝術劇場」(大阪)、「KBCシネマ」(福岡)ほか、全国の劇場で順次公開される。詳細は公式サイト
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西岡 研介(ノンフィクションライター)