私の思いと技術的覚え書き

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沼津に残る狂気史跡

2018-10-16 | 沼津そして伊豆周辺
 ここで云う狂気とは、先の大戦末期における特攻(特別攻撃隊)の話しです。誰が言い出しっぺが知らぬが、ある海軍前線の士官が圧倒的な戦力の差と物資の欠乏などから、かくなる上は必死の特攻しかないと上申し始められたのが短所だったと聞く。それが、その場の1度なら判らぬでもないが、以後通常作戦を半ば放棄し、特攻攻撃が当たり前となったそうだ。そして海軍の様相を知る陸軍も、特攻攻撃を恒常化させるに至った。つまり、日本の統治者達は誰一人として、その異様な作戦に否を唱える者はいなかったということだろうか。いや、否と思った者はいただろうと想像される。しかし、この国の民族お得意の場の空気に巻き込まれ、言い出せなかったとしたら、リーダー失格者であろう。

 しかし、戦後70年余を経て、経済的にも行き詰まる現況の中、大企業や基幹組織の不祥事ニュースが飛び交うが、構図としては類似するものがありはせぬかと思うのは杞憂だろうか。

 さて、話しが拡大したが、特攻という狂気の戦闘を演じた旧軍であるが、戦争末期沖縄も陥落し、何時米軍が本土上陸作戦を行うかもと用意した特攻兵器格納用の洞窟様の格納庫が、沼津の海辺に今も残されている。幸いなことに、原爆の投下実験というとんでもない大殺戮により、無条件降伏に追い込まれ、これら沼津に残された特攻兵器が活躍することはなくて済んだのだが。今や、特攻作戦を指揮し、戦後ものうのうと生き長らえたリーダー達も墓の中だろう。しかし、私はこの遺物を見る都度、リーダーたる者として持つべき倫理といったことに思いが触れるのだ。

※写真の残存特攻壕はすべて淡島の陸側に位置する重寺地区のもの。なお、この壕に格納された特攻兵器は「震洋」(しんよう)という木製モーターボートが大半で、僅かに「回天」(かいてん)と「海竜」(かいりゅう)という小型潜水艦だったとのことらしい。





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