私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

人は何のために働くのか

2009-01-16 | コラム

 このテーマは著名な方々が種々記されているものですが、「社会に貢献するため」と云うことになるのだろうと思います。しかし、当たり前のことですが、先ず自らが食い、生き、生活するというのが前提のことだろうと思います。自らに生きる余力があればこそ、他人のことを思いやる心が、生み出されて来るのだろうと思います。

 しかし、この世の中には、十分以上の生きる余力を持ってしても、なお飽き足らない欲望の塊と化した者が大勢居ることも確かなことだと思います。もしかしたら、その様な欲望の塊の者の方が多いのかもしれません。だから、科学文明が発達して来たのだとも思います。

 その様な欲望の権化と化した者と云うのが、世の中で何らかの立場における権力者と云われる者達だと思います。彼らは、何時でも、もっともらしい説明を行い理由付けをしますが、暫く時を経ると、まったくの嘘であり、自らの保身を図るものであったことが露呈する訳です。しかし、ことが露呈するに至っても、恥を知らない権力者というのは、言を違え、言い逃れ、変身し強かに生き残ろうと醜悪な姿を曝し続けるのです。

 現代は情報過多の時代と云われています。種々の情報が入り乱れ、特に権力者達は、情報を操作しようと、情報の公表と隠蔽という恣意的な操作を常に行います。そんな中で、マスメディアが伝える情報は重要となるのですが、これも権力者の制御下に置かれたものでしかありません。

 インターネットにおける個人的な情報は、唯一権力者の制御下から逃れられる情報なのかもしれません。しかし、これもあまりにも個人の欲望というノイズが入りすぎていて、何処までが正しい情報なのか、見分けることが極めて難しいものだと感じます。

 この様な時代にあって、情報の真偽は、やはり個人もしくはその個人と密接に結び付いた金銭関係のない仲間での情報共有によってのみ判断して行くしかないのだろうと感じています。

 現代社会にあって、社畜と化したサラリーマン等は、ただ自らの生活だけのために、一切の疑問も持たず、上流から下流への意思伝達のみで、行動している者が多過ぎる様に感じられてなりません。そして、その行動が、如何に社会的な弱者を虐め、社会悪を生み出して居ることを残念に感じる昨今なのであります。




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