私の思いと技術的覚え書き

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情報共有の時代と云われるけれど・・・

2008-05-26 | コラム

 産経新聞の本日の記事で、過日の米国マイクロソフトがヤフー買収を目論んだ件に関連する論評が掲載されれていました。曰く、結果としてマイクロソフトのヤフーへの買収提案は撤回されるに至ったが、3ヶ月の買収交渉の節目のタイミングで両者のCEOが全従業員に買収交渉を説明するメールを配信したと云います。

 現在の様なネットワーク社会では、社内ではイントラネットとして、社外へもインターネットメールとしてシームレスにメーリングできる環境が整えられています。同論評でも記されていますが、「モチベーションの高いメンバーがすべての情報を共有すると、ものすごいスピードで物事が進み、それが大きなパワーにつながるし、イノベーションも生まれやすくなるからだ。しかも情報共有のためのコストはほとんどかからない。」と記されています。

 しかし、これらIT関連の情報先進企業はともかく、既存の企業体ではその様な形での情報共有というのはまだまだとの感を持ちます。それは、同論評にも記されている「大組織になればなるほど、重要な情報はほんの一部の人によって占有され、組織全体で何が起きているかをほとんどの社員は知らないのが普通である。組織運営もそのほうが格段に楽だった。」にも表れています。確かに現在の企業の職階の価値というものを考えて見ますと、企業の指示は上流から下流へと一方的に流れ、情報は適宜コントロールされ、そのことが実態として上位職の存在価値を示すことに繋がっているとも感じられます。

 時々ですが私は身の回りで感じられた問題を、行政府や企業のHP内にある相談窓口におたずねすることがあります。これは行政府に多いのですが答えを電話のみに限定している場合も結構あります。そして、そのことを批判すると、「インターネット掲示板で掲載されたら困るから」等と云うのです。これも、どうなんだろうと感じるところもあります。

 同論評の結論として、「今は、経営者の意志次第で、社員全員と素早くどれだけでも情報を共有できる道具立てが揃っている。情報共有への姿勢は、経営者の意識の新しさをそのまま映す鏡となった。ネットになじむ若い世代は、情報共有を希求する気持ちが強い。よって若い知性を惹きつけたいと考える頭脳産業では、組織内情報共有のあり方は、企業の創造性を左右する死活問題となった。」と記されています。何れは我が国でも、その様な真の情報共有を行うことが当たり前のこととなるのでしょう。そんな時代には、単に情報のコントールだけで自己の地位を保って来た様な上司は、まったく不要なものとなるのでしょう。 




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