重大事件も歴史的価値ある公文書
神戸の未成年虐殺重大事件の裁判記録が破棄されていたことが露見し、世の意見が出ているがもっともなことだと思える。
そもそも、すべてのとするにはあまりに膨大になりすぎて不可能なことは理解されるが、公務員は業務を記録保存することが求められるし、その記録を保存管理することも求められているのだ。そして、重要文書は永久保管されねばならない。
また、一定の制限はあるものの、情報公開制度などで請求を国民などが請求した場合、それに沿わなくてはならないというのはデモクラシー国家の根幹に関わることだろう。
しかるに、故安倍首相の時代、桜の会、モリカケ問題などで、既に文書は破棄したとか記録がないという自体が連続したのだが、これは幾ら選挙で国民の負託を受けていようが、その負託者たる権力者として許されざることだろう。日本のデモクラシー国家としての確立には程遠い自体が続いている様に思う。
※上記は平成23年4月1日に内閣総理大臣決定の「行政文書の管理に関するガイドライン」より抜き出したもの。
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重大少年事件の相次ぐ記録廃棄 江川紹子さん「事件記録は歴史文書」 注目の最高裁有識者委、議論のポイントは
神戸新聞NEXT 11/10(木) 7:00配信
全国の家裁で廃棄が判明した重大少年事件の記録。重要な裁判記録は後世に残す財産と説く、ジャーナリストの江川紹子さん(64)は「事件の事実認定をした裁判所に対する信頼の証しがなくなり、陰謀論が飛び交いやすくなる」と話す。非公開の少年審判となる未成年の事件に限らず、司法文書全体の保存を考える機会として、最高裁が年内にも開く有識者委員会に注目する江川さん。そこで議論の焦点とすべきは「仕組みと場所」だという。(聞き手・霍見真一郎、永見将人)
少年事件の記録廃棄問題 江川紹子さんが指摘「期待を裏切る裁判所の感覚あぶり出された」
-少年事件記録の廃棄判明が相次いでいる。
「神戸新聞の報道が突破口になり、少年法が変わる契機にもなった事件の記録があちこちで捨てられていたと明らかになった。実は少年事件に限ったことではない。刑事事件でも、戦後初の違憲立法審査になった尊属殺人事件の記録が廃棄されていたし、憲法判断が問われた重大な民事事件記録も大量廃棄されていた。記録は国民共有の財産であるという発想が欠けている。国民の期待を裏切る裁判所の感覚があぶり出された」
-最高裁が当初の消極姿勢を転換し、有識者委を開く方針を打ち出した。
「反応は鈍かった。国民からの批判は、最高裁にとって思いもよらないもので、動かざるをえなくなったのだと思う。成人の裁判は、憲法の定めで民事も刑事も公開の法廷で開かれ、記録の保存・閲覧はその補完関係にあるが、少年審判は非公開。憲法の制約を考えることなく、裁判所の裁量で廃棄してよいという感覚だったのだろう」
-公開されない文書の保存に、懐疑的な声がある。
「事件記録は最初、裁くための実務書類として作られるが、結論が出たり、刑の執行が終わったりすれば、歴史文書になる。すぐに公開するのは無理でも、長期保存によって、当事者がいなくなった時代になれば、プライバシーのハードルは変わってくるはずだ。また、たとえ非公開でも、記録があるだけで陰謀論が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するのを防ぐ『重し』の効果が期待できる」
-有識者委で議論するべきポイントはどこか。
「仕組みと場所だ。記録は捨ててよい物という発想を変え、例外的に廃棄する仕組みを整える必要がある。また、保存場所では、建設予定の新しい国立公文書館に司法文書のスペースを取ることも一手だ。デジタル技術の活用も考えたい」
-三権分立を理由に、内閣も国会も動きが鈍い。
「保存の仕組みとなる法律を作るには立法府(国会)、場所を確保する建設予算を取るには行政府(内閣)が協力しなければならず、三権分立は理由にならない。そもそも事件記録を廃棄するか保存するかというのは、司法判断ではなく、行政行為だ」
-記録廃棄問題は専門的で、一般市民には縁遠いと感じる面もあるようだ。
「記録がなくなっても、明日の生活には影響しない。だが事件記録は、社会が過去に起こった悲劇に対し、素通りせず、一つ一つ対処してきた大事な歴史的証拠だ。これがなくなると、日本の歴史はいくらでも書き換えられ、ゆがめられる。自分が今生きている時代だけでなく、未来の人の目を想像しなくてはならない」
【えがわ・しょうこ】 1958年生まれ。早稲田大を卒業後、神奈川新聞社に入社。29歳で退社してフリーランスとなり、オウム真理教事件などを取材。2020年より神奈川大特任教授。
神戸の未成年虐殺重大事件の裁判記録が破棄されていたことが露見し、世の意見が出ているがもっともなことだと思える。
そもそも、すべてのとするにはあまりに膨大になりすぎて不可能なことは理解されるが、公務員は業務を記録保存することが求められるし、その記録を保存管理することも求められているのだ。そして、重要文書は永久保管されねばならない。
また、一定の制限はあるものの、情報公開制度などで請求を国民などが請求した場合、それに沿わなくてはならないというのはデモクラシー国家の根幹に関わることだろう。
しかるに、故安倍首相の時代、桜の会、モリカケ問題などで、既に文書は破棄したとか記録がないという自体が連続したのだが、これは幾ら選挙で国民の負託を受けていようが、その負託者たる権力者として許されざることだろう。日本のデモクラシー国家としての確立には程遠い自体が続いている様に思う。
※上記は平成23年4月1日に内閣総理大臣決定の「行政文書の管理に関するガイドライン」より抜き出したもの。
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重大少年事件の相次ぐ記録廃棄 江川紹子さん「事件記録は歴史文書」 注目の最高裁有識者委、議論のポイントは
神戸新聞NEXT 11/10(木) 7:00配信
全国の家裁で廃棄が判明した重大少年事件の記録。重要な裁判記録は後世に残す財産と説く、ジャーナリストの江川紹子さん(64)は「事件の事実認定をした裁判所に対する信頼の証しがなくなり、陰謀論が飛び交いやすくなる」と話す。非公開の少年審判となる未成年の事件に限らず、司法文書全体の保存を考える機会として、最高裁が年内にも開く有識者委員会に注目する江川さん。そこで議論の焦点とすべきは「仕組みと場所」だという。(聞き手・霍見真一郎、永見将人)
少年事件の記録廃棄問題 江川紹子さんが指摘「期待を裏切る裁判所の感覚あぶり出された」
-少年事件記録の廃棄判明が相次いでいる。
「神戸新聞の報道が突破口になり、少年法が変わる契機にもなった事件の記録があちこちで捨てられていたと明らかになった。実は少年事件に限ったことではない。刑事事件でも、戦後初の違憲立法審査になった尊属殺人事件の記録が廃棄されていたし、憲法判断が問われた重大な民事事件記録も大量廃棄されていた。記録は国民共有の財産であるという発想が欠けている。国民の期待を裏切る裁判所の感覚があぶり出された」
-最高裁が当初の消極姿勢を転換し、有識者委を開く方針を打ち出した。
「反応は鈍かった。国民からの批判は、最高裁にとって思いもよらないもので、動かざるをえなくなったのだと思う。成人の裁判は、憲法の定めで民事も刑事も公開の法廷で開かれ、記録の保存・閲覧はその補完関係にあるが、少年審判は非公開。憲法の制約を考えることなく、裁判所の裁量で廃棄してよいという感覚だったのだろう」
-公開されない文書の保存に、懐疑的な声がある。
「事件記録は最初、裁くための実務書類として作られるが、結論が出たり、刑の執行が終わったりすれば、歴史文書になる。すぐに公開するのは無理でも、長期保存によって、当事者がいなくなった時代になれば、プライバシーのハードルは変わってくるはずだ。また、たとえ非公開でも、記録があるだけで陰謀論が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するのを防ぐ『重し』の効果が期待できる」
-有識者委で議論するべきポイントはどこか。
「仕組みと場所だ。記録は捨ててよい物という発想を変え、例外的に廃棄する仕組みを整える必要がある。また、保存場所では、建設予定の新しい国立公文書館に司法文書のスペースを取ることも一手だ。デジタル技術の活用も考えたい」
-三権分立を理由に、内閣も国会も動きが鈍い。
「保存の仕組みとなる法律を作るには立法府(国会)、場所を確保する建設予算を取るには行政府(内閣)が協力しなければならず、三権分立は理由にならない。そもそも事件記録を廃棄するか保存するかというのは、司法判断ではなく、行政行為だ」
-記録廃棄問題は専門的で、一般市民には縁遠いと感じる面もあるようだ。
「記録がなくなっても、明日の生活には影響しない。だが事件記録は、社会が過去に起こった悲劇に対し、素通りせず、一つ一つ対処してきた大事な歴史的証拠だ。これがなくなると、日本の歴史はいくらでも書き換えられ、ゆがめられる。自分が今生きている時代だけでなく、未来の人の目を想像しなくてはならない」
【えがわ・しょうこ】 1958年生まれ。早稲田大を卒業後、神奈川新聞社に入社。29歳で退社してフリーランスとなり、オウム真理教事件などを取材。2020年より神奈川大特任教授。