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 私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

軽野神社の探索記

2018-09-30 | 沼津そして伊豆周辺
 先日の狩野川源流のことに関し、狩野氏ならびに狩野の字地はあったのかと云うことについて、軽野神社ありきというコメントを戴き、昨日訪問して来ました。下田街道(国道136号)を南下し、旭滝(ここも見応えある滝です)入口を過ぎ、約2キロ弱行った左手のこんもりした森の中にありました。なお、軽野神社前というバス停があります。

 社殿前に2つの説明板があります。その1つには、平安時代にこの地を治めていた豪族である狩野氏の称号として「狩野介」(かののすけ)なる称号であって、この介は当時全国でも八家しか与えられていなかったほどで、狩野氏の重きを示すもので、戦国時代(1552年)にそれを示した棟札が残っているという内容でした。

 もう一つの説明板は、応神天皇五年(275年/このくらい古くなると年号など何処まで信憑性が高いか疑問は残るとも感じますが)、伊豆国に造船を課した造船所の後がこの神社の地であるとの内容です。この時代、造船するとしたら木造船以外あり得ない訳ですが、天城の太郎杉みたいな大木も多かったでしょうこの地が選定され、命が下ったと考えても不思議はないでしょう。そして、進水後の新造船は狩野川を下り、駿河(沼津)の海に出たということでしょうか。

 なお、拝殿入り口鳥居左右の石灯籠には天明六年と刻まれています。調べてみると1786年で江戸時代ですが、主なトピックとしては田沼意次(老中)が失脚とあります。好きな時代小説作家である池波正太郎の剣客商売とか鬼平犯科帳の時代です。







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