私の思いと技術的覚え書き

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22年前の八丁池ハイクの思いで

2022-05-23 | 沼津そして伊豆周辺
22年前の八丁池ハイクの思いで
 PC内のデジカメアルバムに、22年前となる2000年5月18日と記録された、伊豆は天城の八丁池ハイクの写真があったので紹介して見たい。

 参加メンバーは、当時の職場の男女総員10名だったと思う。
 行きの工程を記すと、たしか沼津の職場に9時集合、乗用車3台に分乗して天城の新天城トンネル1キロ程手前にある旧道との別れ道付近にある駐車場に留め、ここからハイクスタートだ。旧道をてくてく歩くのも遠いので、事前情報で新天城トンネル入口(湯ヶ島側)の直前左側から旧天城トンネルまで直線的に登れる道があることを知り、ここから登った。一方的な急登坂だが、20分も要せず旧天城トンネルが直前に見える地に出た。



 ここで、旧天城トンネルを見たりしてしばし休憩、トンネル右側から峠を目指し登坂に入る。かなり急で左右につづら折れの細い歩道だが、足元はそれ程滑りやすいという感じはなかったが、最初の新トンネルからの登坂に比べ距離が長い。それでも、40分掛からずに峠に出た。ここは、天城峠の湯ヶ島と河津の分水嶺となる峠だ。




 旧天城トンネルができる以前、つまり江戸時代は下田に行くのに、役人とか商人とか様々な人が、この下田街道を山中の天城峠を越えたと思うが、確かものの本で見た記述では、ここから2キロ程西にある二本杉峠というのを越えていた様だ。この湯ヶ島側の麓には、伊豆随一という「天城の太郎杉」がある地で、あの杉を見ながら旅人は天城を越えたのかもしれない。

 峠に出てからは山の稜線を東方向に歩くが、多少のアップダウンはあるが、さほどに大きくないが八丁池までは今地図で見ると6キロ程か。あの時の現場ではもっと長く感じたが歩行時間は2時間は掛かっていないと思う。

 八丁池に出る直前に、展望台があり2階程度の高さの見晴らし台に上ると、八丁池が眼下に見えるが、天気が緩い雨足だが、霞んでクッキリとは見えない。ここから、八丁池湖畔までは5分も要しないで着いた。


 今、wikiで八丁池の記事を見ていたのだが、湖畔の周囲が八丁(約870m)だから八丁池だという。天城山もというか伊豆は火山の山だらけで、従って温泉の湧き出る地も多いのだが、この八丁池も火山湖なのかと思っていたのだが、wiki記述によるとそうではなく、断層でできた池だという。





 この八丁池には1962年に国が登山者用の八丁池荘というのを建て1978年まであったそうだ。それと、八丁池3キロ手前まで、林道があり現在でも不定期ながらバスが走っている様だ。この八丁池も冬は湖面が氷結するそうだが、往時はスケート客が多く賑わったそうだ。拙人より10ほど上の世代だろうが、拙人の若き時代でも、冬の箱根駒ヶ岳とか、富士平原(須走)とか山中湖にスケートに行ったということはあったが、多少は不便でも庶民はささやかな楽しみを持って暮らしていた時代が偲ばれる。

 当日を思いだすと、天気は小雨が降るあいにく快晴とはいえず天候には恵まれなかったが、およそ歩く道筋に杉林などなく、ほとんど自然の原生林なのだが、新緑の季節ということもあったのだが、山が木が綺麗だったなぁというのが一番印象に残っている。


#伊豆天城 #八丁池


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