昔からの寺院や神社は全国に散在していまいが、新興宗教法人(一般に明治維新以降に開祖したものを呼ぶらしい)も全国各地にあるのでしょう。そんな中、伊豆半島もしくは富士山周辺には、新興宗教の本部もしくは大宮殿みたいな施設が比較的近年まで幾つも存在したし、また存在し続けています。
写真1は伊豆の山中にそびえ建つ通称真光教(世界真光文明教団)の本殿です。写真2は、富士宮にある500年以上の歴史がある大石寺の一番上座に建立されていたという創価学会・正本堂の俯瞰図です。この正本堂が現存する往時には、毎日の参拝者が万単位で訪れていたと聞きます。JR富士宮駅(身延線)は、ホームが1~3番まであるそうですが、現在通常使用しているのは2、3番の島式ホームで、片面独立の1番ホームは一番長いホームですが、専用列車用で使われることは滅多にないそうです。往時は、ここに創価学会の参拝者が専用列車で到着し、そこからチャーターしたバスで大石寺までピストン輸送を行っていたと聞きます。
また、新幹線の新富士駅は、JR東海道新幹線の中では比較的新しい駅ですが、駅の設立に当たっては、地元自治体の誘致資金の他、同宗教法人の金も幾らか不知ですが相当額が供出されたやに聞きます。富士宮駅と同様に、ここから大石寺まで多くのチャーターバスがピストン輸送に活躍したのでしょう。
ところで、今は影も形もなくなった大事件を起こした「オーム真理教」の宮殿群(サティアンと呼ばれた)が存在した上九一色村(山梨県)と大石寺の距離は10キロほどと比較的近いです。また、足裏診断とかで有名になった「法の華三宝行」という新興宗教が事件を起こして解散しましたが、これも大石寺から南方に10キロ程度しか離れていたない富士市内に天声村という本殿を建立していました。
また、伊豆の東の玄関たる熱海市内にはMOAと呼ばれる宗教絡みの施設が幾つかあり、中でもMOA美術館は、国宝も何点か収蔵されている高名な美術館となっています。
この伊豆もしくは富士山の周辺に、多くの新興宗教も本部もしくは大宮殿といえる組織最大の建立物を作るのは、やはり富士山に共鳴する力にあやかりたいという思いが為していると思えます。
最後に、写真3~5の3枚ですが、10年ちょっと前に大石寺を訪れた際に写した写真です。この当時、既に正本堂は取り壊されてなくなったいたのですが、正本堂から駐車場に続く路地に残された売店の廃墟化した姿が並んでいます。往時は、ここを毎日万単位の信者が歩き、それなりの売上があったのでしょうが、うら寂しい通りと化していました。
写真1は伊豆の山中にそびえ建つ通称真光教(世界真光文明教団)の本殿です。写真2は、富士宮にある500年以上の歴史がある大石寺の一番上座に建立されていたという創価学会・正本堂の俯瞰図です。この正本堂が現存する往時には、毎日の参拝者が万単位で訪れていたと聞きます。JR富士宮駅(身延線)は、ホームが1~3番まであるそうですが、現在通常使用しているのは2、3番の島式ホームで、片面独立の1番ホームは一番長いホームですが、専用列車用で使われることは滅多にないそうです。往時は、ここに創価学会の参拝者が専用列車で到着し、そこからチャーターしたバスで大石寺までピストン輸送を行っていたと聞きます。
また、新幹線の新富士駅は、JR東海道新幹線の中では比較的新しい駅ですが、駅の設立に当たっては、地元自治体の誘致資金の他、同宗教法人の金も幾らか不知ですが相当額が供出されたやに聞きます。富士宮駅と同様に、ここから大石寺まで多くのチャーターバスがピストン輸送に活躍したのでしょう。
ところで、今は影も形もなくなった大事件を起こした「オーム真理教」の宮殿群(サティアンと呼ばれた)が存在した上九一色村(山梨県)と大石寺の距離は10キロほどと比較的近いです。また、足裏診断とかで有名になった「法の華三宝行」という新興宗教が事件を起こして解散しましたが、これも大石寺から南方に10キロ程度しか離れていたない富士市内に天声村という本殿を建立していました。
また、伊豆の東の玄関たる熱海市内にはMOAと呼ばれる宗教絡みの施設が幾つかあり、中でもMOA美術館は、国宝も何点か収蔵されている高名な美術館となっています。
この伊豆もしくは富士山の周辺に、多くの新興宗教も本部もしくは大宮殿といえる組織最大の建立物を作るのは、やはり富士山に共鳴する力にあやかりたいという思いが為していると思えます。
最後に、写真3~5の3枚ですが、10年ちょっと前に大石寺を訪れた際に写した写真です。この当時、既に正本堂は取り壊されてなくなったいたのですが、正本堂から駐車場に続く路地に残された売店の廃墟化した姿が並んでいます。往時は、ここを毎日万単位の信者が歩き、それなりの売上があったのでしょうが、うら寂しい通りと化していました。