私の思いと技術的覚え書き

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かつて沼津にあった「スカンジナビア」のこと

2019-09-19 | 沼津そして伊豆周辺
 この「スカンジナビア」とは、かつて沼津の西浦に浮かぶ洋上ホテル(後にレストラン)として栄えた北欧の船のことだ。今日のこと、市内の「芹沢光治良記念館」でスカンジナビア展が開かれていると知り、業務終了後の昼前に知り立ち寄ってみた記録を書き留めたい。

 このスカンジナビアは、長く沼津市西浦の地に係留され続けており、船内にはたった1度しかコーヒー飲みに立ち入ったことはないが、その優美な姿は通り見掛ける都度、美しいと思い続けていたものだった。それが、売却されて旅立つと効いたとき、大げさだが沼津の宝が一つなくなるという消失感を思ったものだった。そして、和歌山県沖で沈没してしまったという話しを聞き、再度ビックリした思いがある。 

★スカンジナビア(オリジナル名:ステラポリス[北極星の意])年表

1927年 ノルウェー・ベルゲンライン社が発注し、スェーデン・イエータヴェルケン造船所で竣工する。

1940年 第2次世界大戦が勃発、ステラポリスはナチスドイツに接収され、ノルウェイの入江に係留され、士官用クラブとして運用される。この時、船体はグレーに塗装され直していたそうだ。

1945年 終戦と共に、ステラポリスは返還された。船体は激しく痛んでおり、再びイエータヴェルケン造船所にて修繕・改装工事が行われた。

1947年 改修を終えたステラポリスは世界中のどの客船よりいち早く再び出航した。

1951年 戦後、ノルウェーの国力は疲弊し、ステラポリスは同名のままスェーデンのクリッパーライン社に売却された。その後、スェーデン・マルメ港を母港にクリッパーライン社のフラッグシップとして、「七つの海の白い女王」と呼ばれ、1969年まで就航した。

1969年 ジェット旅客機が飛び交い、客船の時代は終焉した。また、最大の寄港地となった米国で船齢30年を超える客船の入港を許可しないという国際海事法の改定がステラポリスに止めを刺した。引退を余儀なくされたステラポリスは幾つか売却先候補がある中、日本への売却を決定した。そして、日本へ向けて最後の航海に旅立った。なお、売却に際し3つの条件が付されたという。①船体の原型を維持すること。②エンブレムを使用しないこと。③ステラポリスの名称を使用しないこと。だったと記されている。同年12月横須賀港ドックに入りスクリューと推進軸を撤去。内装を海上宿泊施設として改装され、西伊豆(沼津市西浦)の地まで、タグボードで曳航移送された。

1970年(S45) フローティングホテル「スカンジナビア」として営業開始。

1999年(H11) 営業をレストランのみに絞りフローティングレストラン「スカンジナビア」として改名。

2006年(H18) スカンジナビアの営業を中断していた伊豆箱根鉄道(西武鉄道系列企業)では、スカンジナビアをスェーデン企業に売却し、とりあえず上海まで曳航する予定で出発したが2006年9月2日和歌山県沖で浸水沈没するに至った。 

写真の説明
 写真1のみ2006年1月7日に私が写したオリジナル写真。その他写真(2~12)は、今回のスカンジナビア展で切り取った画像。

追記
 写真13だが、スカンジナビア展を訪問の今日昼過ぎ、同館の屋上から大瀬崎を方面を見た絵だ。正に秋晴れ、海の青さが強烈で、素晴らしく空気が澄み切っており遠望が効く。大瀬崎先端の灯台が微かに見える。GoogleMAP で計測すると直線距離で8kmちょっとある。しかし、道路を走ると20km前後の距離を要する。つまりそれだけ、湾が入り組んでいるということなのだ。













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