私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

ナショナルの落日

2020-05-13 | コラム
 ナショナル(national)という語源は、(自国の)国家の、国民の、国内の、全国の、といった自国を前提とするものだ。これの反対語としてグローバリズム(国を超え全世界の意味)が昨今聞かれていたし、それがある意味正当でナショナルより価値あるものとして、恣意的にコントロールされて来た様子が伺える。

 しかし、過剰なグローバリズムへの偏向は、今次病変において、巨大なリスクを内在していることを知らしめ、一定ナショナルな方向への回帰の機運を生むのだろう。

 但し我が国の場合はなかなか難しさがあると思える。そもそも論だが、敗戦以来、一貫して米国隷属を強いられ真の独立国か疑問であるなか、20年程前から巨大化したC国の表に裏にのバイアスを受けつつ、内部浸透も想像するより凄まじく、米とCの両国の思惑の中、国内政治はなきに等しい亡国だからだ。何とか真のナショナルへの思いを傾注する政治指導者の登場を待ちたいが、適わぬ夢だろう。


追記
 ナショナルというワードで思い出すのは、現パナソニック(旧松下電器産業)のブランド名だ。記憶だが、20年くらい前までは、家電製品を中心にナショナルブランドとして、それ以外はパナソニックとブランドを使い分けていた。そして、最終的はパナソニックのブランドが統一され、そして社名もパナソニックとなった。しかし、会社の業績は低落著しい様だ。

 最後に私見だが、同社の創業者は松下政経塾というのを創設している。ここの卒業者には、現国会議員にも何名か存在する様だが、亡国の者が目立つ様にも感じる。歴史の本で見る幕末末期にあったという松下村塾と比べると、名前は近似しているが、似て非なるものの様だ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。