トヨタ阿鼻叫喚の図
さいきんのトヨタは阿鼻叫喚の図を瞬く間に動いている。
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「不祥事のオンパレード」が最近トヨタグループで起きてしまっている理由
1/22(月) 7:03配信 現代ビジネス
近く創業120周年を迎える名門ダイハツ。トヨタの子会社となったこの四半世紀に何が起こったのか。長年の不正に業界が揺れる中、グループトップの豊田章男氏はいまだ多くを語ろうとしない。
ダイハツは'67年にトヨタからの資本を受け入れ、トヨタグループの一角に加わった。1907(明治40)年に「発動機製造株式会社」として設立されたダイハツは、トヨタより創業の歴史が古いことなどから名門意識が高く、グループ入り後も、トヨタの意向を素直に受け入れる組織ではなかった、とされる。
転機が訪れたのが'98年。当時、トヨタの社長で剛腕経営者として知られた奥田碩氏が出資比率を51%に引き上げ、子会社化した。その狙いは「中国戦略」にあった。その頃、トヨタは中国政府の認可が取れないために進出が遅れていた一方で、ダイハツは'84年から天津汽車(現・第一汽車)に技術供与し、「シャレード」(現地名「夏利」)などを生産。「夏利」は一時、北京周辺ではタクシーとして多く利用されていた。
この「夏利」の後継車種のプロジェクトにトヨタが加わり、'00年に天津汽車とトヨタは合弁会社の設立に漕ぎつけた。いわばダイハツを踏み台にして、トヨタは悲願の中国進出を果たしたというわけだ。
この30年ほどのダイハツの歴代社長を見ると、7人中6人がトヨタの役員経験者であり、会長、社長が共にトヨタ出身者で固められた時期も長かった。
その中でも「大物」と言われたのが、'05年から'11年まで会長を務めた白水宏典氏だ。会長退任後も、相談役技監のポストに留まり、事実上の最高権力者だった。氏はトヨタで副社長まで務め、ダイハツに転じた。生産ラインの構築など生産技術を専門領域としている。
改革を仕掛けた「天皇」
自動車会社において工場建設やその運営などを担う生産技術部門は要の一つ。トヨタでは「白水さんが首を縦に振らなければ物事が前に進まない」(トヨタOB)と言われ、「白水天皇」(同)とさえ言われるほど権勢を誇っていた。
筆者も何度かお会いしたことがあるが、メディア受けもいい。なぜなら、「トヨタはこれからどこに新工場を作るか」などのヒントも記者に提供してくれるからだ。
その白水氏がダイハツに移り、改革を仕掛けた。その一つが、第三者委員会も指摘する'11年に発売された軽自動車「『ミライース』の成功体験」だ。開発期間が大幅に短縮され、同時にコストも大幅に低減された。開発期間の短縮は自動車メーカーが正面から取り組むべき重要な経営課題。氏は権勢を誇るだけではなく、仕事師でもあるのだ。
ただ個性も強く、社長との間で「摩擦」も起こしていたようだ。
白水氏が会長に就いた'05年には、トヨタ専務からダイハツ副社長に転じていた箕浦輝幸氏が社長に昇格した。当時、筆者はダイハツ幹部が「会長と社長のそりが合わなくて調整するのが大変」とこぼしているのを聞いたことがある。
問われるトヨタの責任
同じ頃、トヨタは'10年末に新興国の市場を攻略するための小型車「エティオス」をインド工場で生産し始めた。しかし、現在は存在感がほとんどない。トヨタ系部品メーカーの幹部は「このプロジェクトは率直に言って失敗。高級車で収益を出すトヨタは新興国で売れる安いクルマを作るのが苦手な会社になったからだ」と説明する。
そこでトヨタが目を付けたのが「ミライースの成功体験」だった。'14年頃からトヨタはダイハツへの開発委託を増やした。組織上も、ダイハツは'16年にトヨタの完全子会社となり、'17年からは新設された新興国小型車カンパニー内に位置付けられて、トヨタの戦略と完全に一体化。トヨタブランドの新興国向け小型車の製品開発はダイハツが中心を担うことになった。
同カンパニーの現在のトップにはダイハツ出身の高井良之氏が、ナンバー2にはトヨタでアジア本部長を務める前副社長の前田昌彦氏が就いている。
第三者委員会は「'14年以降に不正の件数が増加している」とも指摘している。ダイハツでは新車開発で大幅な期間短縮に成功した'11年以降、過度なコスト削減を展開し、衝突試験を担う安全性能担当部署の人員を大幅に削減した。トヨタからの委託業務が増えた割には人員が減らされ、その結果、不正に手を染めたと見ることができる。
こうした点をトヨタに問い合わせると、「小型車を中心としたOEM供給車などの開発が増える中、それが負担になっていた可能性もあること、また、認証業務の現場がこのような状況になっていたことを認識できなかったことについて、深く反省している」(広報部)とのことだった。
本業よりもレース?
このコメントから見ても、今回のダイハツの不正はトヨタにも責任の一端があるということだ。なかでもグループ全体のガバナンスを統括する立場にあるトヨタの豊田章男会長の責任も大きいのではないか。
昨春にダイハツで不正が発覚した後、豊田氏は「グループ全体の問題として先頭に立って信頼回復に努める」と語ったと、5月8日付日本経済新聞電子版が報じている。しかし、12月20日の記者会見に豊田氏の姿はなく、ダイハツの奥平総一郎社長と並んで出席したのはトヨタ副社長の中嶋裕樹氏だった。
その頃、豊田氏は自身がオーナーであるレースチーム「ルーキーレーシング」のドライバーとしてレースに参戦するなどのために、タイに滞在していた。トヨタ社内からも「ダイハツの問題よりも私用のレースのほうが重要と世間から受け止められかねず、優先度合いが違うのではないか」といった声が出ている。
このところトヨタグループでは不祥事のオンパレードである。'22年には子会社の日野自動車でエンジンの認証試験での不正が発覚。'23年3月にはグループ源流の豊田自動織機でフォークリフト用エンジンの性能試験での不正があった。同5月にはグループ唯一の素材メーカーである愛知製鋼で規格外の鋼材を出荷していた。
不正とは言えないが、グループ最大手のデンソーが生産した燃料ポンプの不具合から、最悪の場合には走行中にクルマが止まる大規模なリコールが発生している。国内では昨年7月、鳥取県内でその燃料ポンプを搭載したホンダ製の軽自動車がエンジン停止後、後続車両に追突される事故が起こり、1人が死亡した。
グループで相次ぐ不祥事や品質問題。豊田氏は、自動車の業界団体が今月5日に開いた賀詞交歓会の挨拶で、ダイハツには一切言及しなかった。前代未聞の不正に直面し、今後どのような舵取りをしていくのだろうか。
「週刊現代」2024年1月13・20日合併号より
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取材・文
井上久男(いのうえ・ひさお)/'64年生まれ。大手電機メーカーを経て、'92年に朝日新聞社に入社。経済部で自動車産業や電機産業を担当し、'04年に独立。著書に『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』『サイバースパイが日本を破壊する』ほか
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週刊現代(講談社)/井上 久男(ジャーナリスト)
さいきんのトヨタは阿鼻叫喚の図を瞬く間に動いている。
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「不祥事のオンパレード」が最近トヨタグループで起きてしまっている理由
1/22(月) 7:03配信 現代ビジネス
近く創業120周年を迎える名門ダイハツ。トヨタの子会社となったこの四半世紀に何が起こったのか。長年の不正に業界が揺れる中、グループトップの豊田章男氏はいまだ多くを語ろうとしない。
ダイハツは'67年にトヨタからの資本を受け入れ、トヨタグループの一角に加わった。1907(明治40)年に「発動機製造株式会社」として設立されたダイハツは、トヨタより創業の歴史が古いことなどから名門意識が高く、グループ入り後も、トヨタの意向を素直に受け入れる組織ではなかった、とされる。
転機が訪れたのが'98年。当時、トヨタの社長で剛腕経営者として知られた奥田碩氏が出資比率を51%に引き上げ、子会社化した。その狙いは「中国戦略」にあった。その頃、トヨタは中国政府の認可が取れないために進出が遅れていた一方で、ダイハツは'84年から天津汽車(現・第一汽車)に技術供与し、「シャレード」(現地名「夏利」)などを生産。「夏利」は一時、北京周辺ではタクシーとして多く利用されていた。
この「夏利」の後継車種のプロジェクトにトヨタが加わり、'00年に天津汽車とトヨタは合弁会社の設立に漕ぎつけた。いわばダイハツを踏み台にして、トヨタは悲願の中国進出を果たしたというわけだ。
この30年ほどのダイハツの歴代社長を見ると、7人中6人がトヨタの役員経験者であり、会長、社長が共にトヨタ出身者で固められた時期も長かった。
その中でも「大物」と言われたのが、'05年から'11年まで会長を務めた白水宏典氏だ。会長退任後も、相談役技監のポストに留まり、事実上の最高権力者だった。氏はトヨタで副社長まで務め、ダイハツに転じた。生産ラインの構築など生産技術を専門領域としている。
改革を仕掛けた「天皇」
自動車会社において工場建設やその運営などを担う生産技術部門は要の一つ。トヨタでは「白水さんが首を縦に振らなければ物事が前に進まない」(トヨタOB)と言われ、「白水天皇」(同)とさえ言われるほど権勢を誇っていた。
筆者も何度かお会いしたことがあるが、メディア受けもいい。なぜなら、「トヨタはこれからどこに新工場を作るか」などのヒントも記者に提供してくれるからだ。
その白水氏がダイハツに移り、改革を仕掛けた。その一つが、第三者委員会も指摘する'11年に発売された軽自動車「『ミライース』の成功体験」だ。開発期間が大幅に短縮され、同時にコストも大幅に低減された。開発期間の短縮は自動車メーカーが正面から取り組むべき重要な経営課題。氏は権勢を誇るだけではなく、仕事師でもあるのだ。
ただ個性も強く、社長との間で「摩擦」も起こしていたようだ。
白水氏が会長に就いた'05年には、トヨタ専務からダイハツ副社長に転じていた箕浦輝幸氏が社長に昇格した。当時、筆者はダイハツ幹部が「会長と社長のそりが合わなくて調整するのが大変」とこぼしているのを聞いたことがある。
問われるトヨタの責任
同じ頃、トヨタは'10年末に新興国の市場を攻略するための小型車「エティオス」をインド工場で生産し始めた。しかし、現在は存在感がほとんどない。トヨタ系部品メーカーの幹部は「このプロジェクトは率直に言って失敗。高級車で収益を出すトヨタは新興国で売れる安いクルマを作るのが苦手な会社になったからだ」と説明する。
そこでトヨタが目を付けたのが「ミライースの成功体験」だった。'14年頃からトヨタはダイハツへの開発委託を増やした。組織上も、ダイハツは'16年にトヨタの完全子会社となり、'17年からは新設された新興国小型車カンパニー内に位置付けられて、トヨタの戦略と完全に一体化。トヨタブランドの新興国向け小型車の製品開発はダイハツが中心を担うことになった。
同カンパニーの現在のトップにはダイハツ出身の高井良之氏が、ナンバー2にはトヨタでアジア本部長を務める前副社長の前田昌彦氏が就いている。
第三者委員会は「'14年以降に不正の件数が増加している」とも指摘している。ダイハツでは新車開発で大幅な期間短縮に成功した'11年以降、過度なコスト削減を展開し、衝突試験を担う安全性能担当部署の人員を大幅に削減した。トヨタからの委託業務が増えた割には人員が減らされ、その結果、不正に手を染めたと見ることができる。
こうした点をトヨタに問い合わせると、「小型車を中心としたOEM供給車などの開発が増える中、それが負担になっていた可能性もあること、また、認証業務の現場がこのような状況になっていたことを認識できなかったことについて、深く反省している」(広報部)とのことだった。
本業よりもレース?
このコメントから見ても、今回のダイハツの不正はトヨタにも責任の一端があるということだ。なかでもグループ全体のガバナンスを統括する立場にあるトヨタの豊田章男会長の責任も大きいのではないか。
昨春にダイハツで不正が発覚した後、豊田氏は「グループ全体の問題として先頭に立って信頼回復に努める」と語ったと、5月8日付日本経済新聞電子版が報じている。しかし、12月20日の記者会見に豊田氏の姿はなく、ダイハツの奥平総一郎社長と並んで出席したのはトヨタ副社長の中嶋裕樹氏だった。
その頃、豊田氏は自身がオーナーであるレースチーム「ルーキーレーシング」のドライバーとしてレースに参戦するなどのために、タイに滞在していた。トヨタ社内からも「ダイハツの問題よりも私用のレースのほうが重要と世間から受け止められかねず、優先度合いが違うのではないか」といった声が出ている。
このところトヨタグループでは不祥事のオンパレードである。'22年には子会社の日野自動車でエンジンの認証試験での不正が発覚。'23年3月にはグループ源流の豊田自動織機でフォークリフト用エンジンの性能試験での不正があった。同5月にはグループ唯一の素材メーカーである愛知製鋼で規格外の鋼材を出荷していた。
不正とは言えないが、グループ最大手のデンソーが生産した燃料ポンプの不具合から、最悪の場合には走行中にクルマが止まる大規模なリコールが発生している。国内では昨年7月、鳥取県内でその燃料ポンプを搭載したホンダ製の軽自動車がエンジン停止後、後続車両に追突される事故が起こり、1人が死亡した。
グループで相次ぐ不祥事や品質問題。豊田氏は、自動車の業界団体が今月5日に開いた賀詞交歓会の挨拶で、ダイハツには一切言及しなかった。前代未聞の不正に直面し、今後どのような舵取りをしていくのだろうか。
「週刊現代」2024年1月13・20日合併号より
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取材・文
井上久男(いのうえ・ひさお)/'64年生まれ。大手電機メーカーを経て、'92年に朝日新聞社に入社。経済部で自動車産業や電機産業を担当し、'04年に独立。著書に『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』『サイバースパイが日本を破壊する』ほか
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週刊現代(講談社)/井上 久男(ジャーナリスト)