私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

記憶に残る日

2011-01-17 | コラム
 今日は自分の16年前のその日の行動が記憶に残る日です。それは、16年前1995年も1月17日、阪神大震災の生じた日だからでもあります。
 当時、千葉県市川市に住む私は、出張のためAM5には自宅を出発し羽田に向かったのでした。震災は5:46に発生したとのことですが東京では微動すら感じられませんでした。羽田に着き、富山への1番機の出発を待つ時間の中、テレビニュースによれば、どうやら関西地方で極めて大きな地震が生じた様だというものでした。
 目的地の富山の支社に着き、地震の話題が出ましたが、北陸でも多少の揺れを感じたとことでしたが、関西方面で生じたということだけで詳細情報は判りませんでした。出張目的の業務を進め、昼食のため近くの食事処のテレビにおいて、かなりの範囲で火災を生じている神戸の町の姿を知ることになったのでした。
 その後、業務終了後のホテルのテレビで、近代的な大型ビルや高速道路の高架が倒壊して、ここまで壊れるかと、息を飲む驚愕の思いで見たのでした。
 この阪神大震災はは、私も含め地震国日本の多くが持っていた大規模建築物への安全性への思いが、単なる神話だったということが示されたものだったでしょう。それまで、米国などで地震による高速道路の倒壊が報じられても、あれば基準が低いから起こったんで我が国は大丈夫みたいなことが喧伝されていたと思います。
 それからの我が国は、道路や鉄道の高架部分のコンクリート橋脚の補強工事を狂った様に進めました。大規模建物も、老朽化したものは建て替えられ、継続使用のものは無骨な大きな鋼製の補強構造が組み込まれたのです。また、新規建物を中心に免震構造が広く普及し出したのも、この日が起点となるのでしょう。


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