私の思いと技術的覚え書き

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闇の狩人読了のこと

2014-10-05 | コラム
 フェイスブックからスカパー時代劇チャンネルで前後編に分けて「闇の狩人」を放映する(既に放映済み)との記事を見ました。同作品の原作は、鬼平犯科帳等々で知れ渡る池波正太郎氏です。同氏の作品のおよそ8割方は読了してきた自負しますが、「闇の狩人」とは未読作品でもあり俄然興味を感じ読み始めたのです。

 物語は記憶を失った武士「弥太朗(仮の名)」と、これを助けて行く盗賊団の首領たる「弥平次」の二人の主人公を中心に展開します。弥太朗が記憶喪失する至り、以後も繰り返し付け狙われ続け、その理由がなかなか判らないろいうミステリックさと、二人を取り巻く様々な人物間の闇の世界での暗闘、それは欲望が生みだすものを描いています。

 物語としては、それ程の厚みを持ったものとも思えませんが、多面同時進行していく物語の場面切り替えなど、池波流とでもいうべき表現に、読者は強く引き込まれてしまうなあと改めて感心します。

 小説「闇の狩人」は文庫本上下で900ページ程でしたが、通算3日程で読み切りました。読後感も良好で、記憶に残る作品と思います。

追記
 過日放映されたというスカパーでの闇の狩人は見ていませんが、1979年の松竹映画版については、読書中にTUTAYAで見つけて来て流し見しました。流し見となったというのは、物語に引き込まれなかったということです。本の中で記述され表され頭の中でイメージ化されたものと、映像との違和感がそれを生み出したのでしょうか。原作900ページにもおよぶ文章のすべてを2時間程の映像に集約する中で、原作の様々な解釈、そして切り取り、圧縮、変形などが行われるのは必然のことでしょう。しかし、それらが視聴する者にとって適切であったのか。視聴者の趣向のからの評価も多々あるのでしょうが、経験上から原作小説を読み感激したもの程、映像化されたものは低評価となると云うことは、ままあることだと感じざるを得ません。

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