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自動車関係の小歴史備忘録(ビクターオートと岩崎自工)

2022-04-16 | コラム
自動車関係の小歴史備忘録(ビクターオートと岩崎自工)
 最近知る、東京都内の整備関係の小歴史を備忘録として書き留めたい。

1.ビクターオート(株)
 この企業は、1947年(S22)米軍GHQの命により、府中と所沢に設立された米軍車両整備工場だ。そこの米軍担当責任者として1957年に社長となるのが藤田穣次氏だという。
 この工場は、朝鮮戦争およびベトナム戦争での米軍車両の再生修理などを行っていた様だ。また藤田氏は1962年、三井系列の貿易商社の日本ウエイウイツク(株)の初代社長に就任した。同社は現在も健在。
 この話は、保険会社所属の調査員(アジャスター)が未だ存在しない時代、損害料率算定会登録・鑑定人という方がおられたのだが、そんな中に、ビクターオート出身者が数名居たという話として聞いたものだ。

2.岩崎自動車工業(株) 東京都渋谷区幡ヶ谷
 この企業はS22年創業で、未だ健在しておられるが、創業社長は岩崎貫一氏とのことだ。同氏は、昭和36年日本で最初に米国ベア社のフレーム修正機を導入。その後、鑑定人や調査人(個別損保所属)の勉強処として、いわば岩崎学校として存在することになった様だ。その時代は、(株)自研センター(千葉船橋市)が完成するまで続いた様だ。
 また、同社長は、現在の日本自動車車体整備協同組合(日車協連)の設立に尽力され、日車協連連合会を設立、初代会長に就任したのが昭和44年(1969年)のことだ。


#ビクターオートと岩崎自工


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