クルマの歴史書を紐解くと、大昔のフォード(未だGM創立以前のこと)は、何から何まですべての部品を、広大な自社工場内で作っていたそうだ。何しろ、自社工場内に製鉄所まであったというのだから凄まじいことだ。しかし、今や新型車のプロジェクトが立ち上がりコンセプトと概要設計が決定されると、ティア1( 一次請け)企業も参加しての詳細設計が始まるらしい。そして、適宜の試作と評価を経て最終設計が固まると量産開始となる。ティア1企業による量産は、自らの担当ユニットのすべてを製造することは困難かつ経済的に非効率だから、適宜下層となる請け企業に個別部品の製作を外注する。つまりティア1企業は複数以上のティア2企業に個別部品を外注する。そして、ティア2企業も類似の理由からティア3へと外注していく。それこそ、末端のティアXでは、おぼろげながらにしか、その部品がクルマの何処に使われるのかも判らないのではないだろうか。この様な部品製造の流れをサプライチェーンと呼んでいる。ここには、製作した部品を運ぶ運輸企業も絡んでくる。
以上が新車製造までのサプライチェーンだが、今度は新車を売るデリバリーの方だが、こちらはチェーンというほど多階層はない。一般的にはメーカーと販売契約を結んだカーディーラーが担うことになる。これに若干だが販売協力店というのがある。
さて、本論だが、トヨタが自慢げに言う「ジャストインタイム」だが、つまり必要なモノを必要な時にということで、在庫損失を減らし経済効率を上げるとされ、国内は元より世界中のカーメーカー(クルマだけでないが)で真似ているものだ。数十年前に聞いた時は凄い思想だと思ったが、種々の現場を知りつつ、誰が得をするシステムかといえば、いわゆるネズミ講と類似している胴元至上主義じゃないかとも受け取れるものを内在していると思うときもある。
その事例が端的に表れるのが、胴元たるメーカーの不祥事による生産中断だ。最近の日産自の完成検査不適切問題や、過去の三菱自の燃費虚偽や、もっと昔の大量リコール隠蔽問題で、どれだけ関係会社が泣かされたのだろうか。そして、もう一つはメーカーの思惑による勝手なディーラー構成の変更も酷い。日産の場合、本来潰れた会社だから縮小均衡を断行せざるを得なかったので、ある意味止むないのかもしれない。しかし、ホンダの場合、クリオ、プリモ、ベルノと一定ブランド感を持っていたのを、すべてホンダーカーズと薄っぺらに感じる名称に1本化したのは、誰にメリットがあったのか。トヨタだってビスタ店をネッツ店に統合したことで利があったディーラーが多いのだろうか。
ついでにもう一つ、ブランドのことで記したい。今、またぞろ米国の輸入制限圧力が鉄鋼で始まっているが、過去何度も繰り返されてきた問題だ。過去は米国の輸入車関税引き上げによる障壁が打ち出された。これに対応するため、日本メーカーでは米国工場を整備すると共に、輸出車の高付加価値化を目指さざるを得なくなった。それが、レクサスLSであり、NSXでもあったのだろう。それと合わせ、高付加価値をアピールする販売新ブランド、レクサス、アキュラ、インフィニティを立ち上げた。米国の新ブランドは一定成功したと伺えるが、国内で新ブランド店を開業したのはレクサスのみで、およそ10年ちょっと経るが、私には成功しているとは到底見えないが如何なものだろう。それと、だいぶ昔のことだが、ニッサンのブランドは、米国ではニッサンよりダットサンというブランドが浸透していた。それを切って捨てたのが石原俊という当時の日産の社長だった。これが日産の傾斜を加速させた張本人だったことは間違いないと思える。
追記
電子機器の製造でEMS(electronics manufacturing service)という概念がある。コンセプトと概要設計程度で、すべての製造を委託するという製造法だ。つまり本体企業は、一切の製造設備を持たない。具体例としては、アップル社のスマホのアウトソーシングとなる。この思想、完全自動運転車の時代になると、走る曲がる止まるという機能は変わらぬが、操って喜ぶというフィールの良し悪しは関係ないから、クルマにも取り入れられる余地が出てくるだろう。この時代には、既存の車両メーカーが生き残れるかの保証はまったくなくなる。
以上が新車製造までのサプライチェーンだが、今度は新車を売るデリバリーの方だが、こちらはチェーンというほど多階層はない。一般的にはメーカーと販売契約を結んだカーディーラーが担うことになる。これに若干だが販売協力店というのがある。
さて、本論だが、トヨタが自慢げに言う「ジャストインタイム」だが、つまり必要なモノを必要な時にということで、在庫損失を減らし経済効率を上げるとされ、国内は元より世界中のカーメーカー(クルマだけでないが)で真似ているものだ。数十年前に聞いた時は凄い思想だと思ったが、種々の現場を知りつつ、誰が得をするシステムかといえば、いわゆるネズミ講と類似している胴元至上主義じゃないかとも受け取れるものを内在していると思うときもある。
その事例が端的に表れるのが、胴元たるメーカーの不祥事による生産中断だ。最近の日産自の完成検査不適切問題や、過去の三菱自の燃費虚偽や、もっと昔の大量リコール隠蔽問題で、どれだけ関係会社が泣かされたのだろうか。そして、もう一つはメーカーの思惑による勝手なディーラー構成の変更も酷い。日産の場合、本来潰れた会社だから縮小均衡を断行せざるを得なかったので、ある意味止むないのかもしれない。しかし、ホンダの場合、クリオ、プリモ、ベルノと一定ブランド感を持っていたのを、すべてホンダーカーズと薄っぺらに感じる名称に1本化したのは、誰にメリットがあったのか。トヨタだってビスタ店をネッツ店に統合したことで利があったディーラーが多いのだろうか。
ついでにもう一つ、ブランドのことで記したい。今、またぞろ米国の輸入制限圧力が鉄鋼で始まっているが、過去何度も繰り返されてきた問題だ。過去は米国の輸入車関税引き上げによる障壁が打ち出された。これに対応するため、日本メーカーでは米国工場を整備すると共に、輸出車の高付加価値化を目指さざるを得なくなった。それが、レクサスLSであり、NSXでもあったのだろう。それと合わせ、高付加価値をアピールする販売新ブランド、レクサス、アキュラ、インフィニティを立ち上げた。米国の新ブランドは一定成功したと伺えるが、国内で新ブランド店を開業したのはレクサスのみで、およそ10年ちょっと経るが、私には成功しているとは到底見えないが如何なものだろう。それと、だいぶ昔のことだが、ニッサンのブランドは、米国ではニッサンよりダットサンというブランドが浸透していた。それを切って捨てたのが石原俊という当時の日産の社長だった。これが日産の傾斜を加速させた張本人だったことは間違いないと思える。
追記
電子機器の製造でEMS(electronics manufacturing service)という概念がある。コンセプトと概要設計程度で、すべての製造を委託するという製造法だ。つまり本体企業は、一切の製造設備を持たない。具体例としては、アップル社のスマホのアウトソーシングとなる。この思想、完全自動運転車の時代になると、走る曲がる止まるという機能は変わらぬが、操って喜ぶというフィールの良し悪しは関係ないから、クルマにも取り入れられる余地が出てくるだろう。この時代には、既存の車両メーカーが生き残れるかの保証はまったくなくなる。