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労働組合とか業社自治団体の組織率低下を思う(失われた30年は何故生じたか)

2023-03-13 | 問題提起
労働組合とか業社自治団体の組織率低下を思う(失われた30年は何故生じたか)
 そもそも、私はサラリーマン時代に損保調査員として組合運動に熱心だった訳ではないが、会社を辞める直前、さまざまな当時の経営者への横暴などを感じつつ、組合委員長になって、今までのねじ曲がった事業運営を糾弾しようと決意しつつ、その意志を固めていたことがあったのだった。私が会社を去らねばならなかったのは、その私の決意を知った会社経営陣が、こういう私の決意を漏れ知り、即座に会社都合の解雇を行ったのが私のサラリーマン人生の終焉となったという思いがある。この点で、当時の私には、そういう情報管理とかデフェンスとして甘さがあったことは事実なのだが、そのこと自体を後悔する思いはない。

 実のところ損保業界の組合というのは、その連合組織として、損保労連と全損保という2つの連合組織があり、私の属していた企業体は全損保系列だった。ここで平たくこの2つの連合組織を表せば、損保労連は連合に直結する現政党で云えば自民、立憲民主系となり、全損保というのは共産、今は消え去った旧社会党という組織系列となる。つまり、損保労連が右派で、全損保は左派というべき思想がある組織だったということであろう。

 最近伝え聞く、損保の労働組合運動は、一頃の勢いはまるでなく、特に全損保系の組織率は凋落の一方だと伝え聞く。これも時代の流れなのだが、これは損保に限らずすべての産業で、似た様な傾向を示していると思う。大企業だがら、一応労働組合はあるが、端的に云って御用組合であり、会社経営が新たな施策を実施する時、労働組合がその地均しを行っているという、およそ組合運動の真逆のことが行われているのが実態と云って良いだろう。

 それと、組合運動としての組織率は低下の一方だが、そういう中で組合運動を自ら行おうとする者は、組合運動により会社の協力が評価なされ、組合離脱後に管理職への入口と化しているというおよそ考えられない動きがあることに呆れ果ててしまう。その様な兆候が現れ始め、それを察知しつつ、原点回帰を図りたいと云うのが、冒頭で記した私が組合運動委員長への出馬の意志だったのだが、それは制御困難な労働者団体として経営者としてもっとも怖れることであったろう。何しろ、私ときたら、保険会社に求められる社会的使命を、損得関係なく果たすことを追求したいと云う、およそ資本主義を否定すべき内容ともなりかねないという問題を内包していたのだから、脅威であったろう。そうは云いながら、私は資本主義を否定する共産主義者のつもりはないし、強きを挫き弱者を救うという保険制度が内包する大前提となる公共性を追求する中で、その従業員となる損害調査員の処遇改善に邁進したいという思いに過ぎなかったのだ。

 ところで、昨日十数年前に知り合った板金工場経営者としばし電話で話しをしたのだが、正にこの労働者と経営者との関係と同じことがあることを意識せずにはいられないので、自動車板金業会のことを記してみたい。

 自動車板金業会は、従業員数が数名程度の零細企業が多いのだが、事故修理という業務の性格上から、受注が一定し難いという性格がある。そういう中で、安定した受注を得るためには、ディーラーなどの集客力のある大規模企業からの下請け仕事を行う場合が得てして多い訳だ。

 ところで、このディーラー等の大規模企業からの下請け仕事では、定価(板金工場の請求額)に対するレス率が、私が損保調査員になったばかりの頃は20%程度が通り相場であったのだが、近年はレス率が大きな場合は30を超し40とか,45%というレス率での受注を強いられている話しを聞く。ただし、この場合でも板金という仕事は、マスプロダクションの量産品の製造と異なり、事故車は1品毎に業務内容とか難易度が異なり、そもそも定価を元受けたる発注者側が決めかねる場合が多く、多大のレス率と云えども、総額を膨らますことで、実質の外注板金工場の手取りが45%までに減額なされている訳でないこともあるのだろう。

 ここで、ディーラーと板金工場間の付き合いでも、種々の事例があるのだが、以下にA~Eに区分して代表例を記してみよう。

A このタイプの板金工場では、受注業務の8、90%を幾つかのディーラー外注に頼り、それが途絶えると到底事業継続が困難となる様な工場である。ただし、この中には、大量の受注をこなすため、板金工場としては大工場となる、工員数が20名を超す様なものもある。

B このタイプは、特に大型車の板金工場に多いのだが、競合する他の大型車対応できる板金工場が少なく、大型4社のディーラーでも外注する場合に、ほぼ選択肢がその大型車板金工場しかないという場合だ。私の住む沼津市では、大型車のディーラーでも小板金は内製工場でやりくりするが、フレームが曲損していたりそれなりの大破車となると、その板金工場へ外注するしか選択肢がないという状態だ。こうなると、下請け仕事と云っても、およそ下請けとしての悲愁はなく、そもそもレス率なるものもあってなきものとなる。その大型板金工場経営者の言とすれば、ディーラーだろうが家の価格で請求し、それを幾ら上乗せしてエンドユーザーに売ろうが、ご自由にしてという状態だ。

C このタイプは、そもそもディーラー仕事を特に求めないでも十分やって行ける工場だ。つまり、板金業が基本だが、自らエンドユーザー直需を確保しつつ整備業とかレンタカーとかも兼営しつつ、少量のディーラー仕事を行うという工場だ。この様な工場で、何故少量ながらディーラーとの付き合いが継続するかと云えば、整備情報の入手とかでディーラーとの付き合いを継続することにメリットがあるのと、ここ一番のディーラー内製工場の技術力に手に余る品質を求められる技量を保持しつつ、他の板金業と比べても、それなりに高度の作業品質を生み出せることが、ディーラーにその工場の存在を認めさせているのだろう。当然そういう関係であるので、価格決定権は板金工場にあり、法外なレス率はあり得ない。

E ここでは、A工場の中で、一部に存在する損保指定工場としても業務受注を確保している工場となる。対損保の場合も、部品レスとか工賃レスも多少はあるが、対ディーラーほどの強烈なレス率はない。ただし、対損保との縛りの中で、無料代車の提供とか、指数使用の厳守とかそれなりに縛りはあるのと、対応単価とか産業廃棄物処理費の不請求など損保の云い分を受け入れざるを得ない。

 さて、昨日久しぶりに話した板金工場だが、先の区分では、Aに該当する工場だが、その主な元請けディーラーはすべて輸入車を扱う企業である。ここで私が、「産業廃棄物処理費は、そもそも元請けディーラーが負担するものであり、それをもし拒否するなら、公正取引委員会の管理する下請法に抵触すると訴えることができるのだが・・・」と投げ掛けると、「確かにその通りなのだが、そういうことをを言い出すと、該当ディーラーからそれなら、他に外注に出すと云われそうで恐ろしくて言い出せない」という返答を受けるのだ。

 ここで、冒頭の組合活動と類似の少数弱者たる零細企業がそれより強者となる元請けなど大資本企業と相対する時に、産業別の自治組織があるのだろうと思える。自動車板金業界では「日本自動車車体整備協同組合連合会」(略称:日車協連)というのがあるのだが、労働組合同様に近年その組織率低下を起こしていることが意識される。その組織率低下の最大要因は、労働組合運動の低迷とまったく同様の要因であり、その組合の存在価値が空虚になってしまったことにあると思える。先の板金工場経営者との話しで、産業廃棄物などそんなこと個別板金工場が言い出したら、他の工場に仕事が奪われるから言い出せないという問題なのだが、こういう弱者たる労働者とか弱者たる個別板金工場の問題を全体の問題と捉えて経営者もしくは大資本に訴求するのが労働組合もしくは産業別組織の役目であろう。それを意識せず、馴れ合った結果が、弱者たる個別労働者や個別自動車板金業の賃金停滞に結び付いているのは、この失われた30年という期間に、日本の賃金が欧米諸国と大きな乖離が生じた原因だと改めて意識するところだ。


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