私の思いと技術的覚え書き

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坂の上の雲の時代を偲ぶ

2009-02-24 | コラム

 司馬遼太郎氏の代表作だと感じる「坂の上の雲」は、明治時代のリーダー像を描いた大好きな作品です。この小説に限らず司馬氏は明治時代を、人々が希望に満ち溢れた極めて魅力ある時代であったとして描き続け、それはそれで魅力を感じられるものではあります。

 しかし、巷云われる様な「司馬史観」という言葉がある様に、あくまでもこれは小説であって、司馬氏の個人的な思いを、総て史実だと思い込むのは厳に慎まなければならないことだろうと思います。

 歴史や小説にも描かれることの少ない、明治時代の一般人の生活感はどうだったのかと想像した時、決して総ての人が希望ある未来すなわち坂の畝の雲を見て暮らしてはいなかったのだろうと思います。明治憲法等の法整備や租税の充実という国の形成に伴って、人々は政府からカチガチに圧迫され続けたのでしょうし、貧困という問題は、以後長く続いたんだろうと思います。

 ところで、我が国の交通インフラとしての鉄道の整備ですが、明治5年の新橋から横浜(現桜木町)までの鉄道開業で始まりました。その後、関西地方でも、大阪から神戸まで等の地域鉄道の開業を経て、明治22年には新橋から神戸までの東海道本線が開業するに至るのです。

 その後も、明治時代には全国各地の主要鉄道の整備が急ピッチで進められました。これら鉄道の建設に投じられた資本も巨額であったと思いますが、その後の運営や保守に関わった多くの人々の生活も含めて、我が国が先進国としての国の形を形成する上では欠かせないことであったのだろうと想像します。

 数日前のニュースで、JR東海がいよいよリニア中央新幹線の建設を示すが如く、1千人の新規従業員を募集する予定であることが報じられています。この人数は開業前の路線設計や開業後の路線運営を担う従業員であって、路線を建設するのは多分ゼネコンを筆頭にした多数の建設事業者でしょうから、建設時に関わる総員はこの5倍やそこらにはなるのだろうかと思います。

 それでも、明治の東海道本線の建設と営業に関わった総員から比べれば、当時とは建設機械の発展だとか資材運搬手段たる周辺道路も整備の格差を考えれば少なく済んでいるのだろうと思います。

 莫大な費用を投じて作られても走るクルマが少ない地方の高速道路や入館者のいない箱物等、何かと批判の多い公共事業ですが、将来の国の形を見据えたモノは必用なのだろうと思います。




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