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米自動車殿堂に故藤沢武雄氏が選出

2023-02-12 | コラム
米自動車殿堂に故藤沢武雄氏が選出
 ちょっとばかり本読む者なら、ホンダ技研が戦後発の企業として急速に発展し得たのは、モーターリゼイションの発展という世の変化をベースがったこと。そして、それと共にトヨタやニッサンなどの既存車両メーカーとは一味も二味も違う商品戦略とか経営思想があった故で、あろうこては理解するだろう。この商品戦略とか経営思想の基盤を作り得たのは、創業者の本田氏でなく藤沢氏の力量に負うところが大きかったことも理解するだろう。

 ホンダの話しでよくハンされるエンジンの空水冷論だが、藤沢氏はエンジニアではないが、幾人かのエンジン技術者の具申を聞き、当時本田氏に対し「貴方は社長なのか、それともエンジニアなのか?」と質し、この問題の本質を本田氏に気付かせ他という話しは有名だ。また、ホンダの商品としては、初型投入から基本形式を変えないで継続生産し続けている二輪車であるスーパーカブだが、既に1億台を超えているそうだが、本田氏にこういうバイクがと商品コンセプト話しを持ちかけたのが藤沢氏だったとか、日本発の鈴鹿サーキットが1車両メーカーとして作られるのは1962年のことだ。富士スピードウェイは1966年。この鈴鹿サーキット時代は、未だホンダが四輪車を立ち上げ様としていた頃だが、その提案は藤沢氏だったと記されている。
 ところで、トヨタ系の一族3名と経営技術者1名があるが、HV開発と共に現トヨタの体制を盤石とした奥田碩(ひろし)が入っていてもおかしくない様にも思えるが、やはり小説「トヨトミの逆襲」として創業家の逆鱗に触れたことで、ある意味ジャーナリズムと同様に主流メディアから排除されたという感を持つのは気のせいか・・・・。

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ホンダの藤沢武夫氏 米自動車殿堂入り
産経新聞 2023/2/11 23:26
 自動車業界に貢献した人物をたたえる米国の自動車の「殿堂」にホンダの藤沢武夫氏を加えると運営団体が10日、発表した。藤沢氏は創業者の本田宗一郎氏の右腕として知られる。7月に米ミシガン州デトロイトで式典が開かれ、正式に殿堂入りする。
 藤沢氏は経営面から本田氏を支え、ホンダを世界的な企業に育て上げた。運営団体は「本田氏の技術的独創性とビジョンにマーケティングの知識とビジネスセンスを加えた」と評し、米国でホンダ初の海外子会社を設立したことも功績としてたたえた。
 本田氏は1989年に殿堂入りしている。藤沢氏は88年に、本田氏は91年に死去した。(共同)


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