「外国人のコントロールを嫌う日本人が陥れた」“カルロス・ゴーン事件”は日産自動車が仕掛けた陰謀だったのか
6/25(火) 6:12配信 文春オンライン
2018年11月に日本中を驚かせたカルロス・ゴーン氏の逮捕劇。当時、社長として日産自動車を率いて西川廣人氏は事件をどのように見ていたのだろうか。日産自動車による“陰謀”だったのか? 彼が初めて筆を執った著書 『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(講談社) (全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)より一部抜粋。西川元社長が振り返る事件の“本質”――。
◆◆◆
ゴーンと西川氏は「対立関係」にあったのか
日産自動車 西川 廣人元社長兼CEO ©時事通信社
今となっては旧聞に属する話かもしれないが、まずは私の視点でゴーン事件を振り返り、事件の本質について思うところを述べておきたい。
私は1953年11月、カルロス・ゴーンは1954年3月に生まれている。日本流にいえば同学年ということになる。
2017年4月1日、私はゴーンの後継として、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。それまで18年にわたって日産を率いてきたゴーンは同日、日産の会長となった。ゴーンの後継としての私の仕事は、2000年から積み重ねてきた日産改革の集大成、次世代への引き継ぎの二つが柱になるはずだった。
ところが、社長就任からわずか1年半後の2018年11月19日、あろうことか会長のゴーンが金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、私は社内外に広がる混乱の収拾という全く想定外の仕事に追われる羽目になった。
遡ること19年前の1999年、ゴーンは経営難に陥っていた日産にフランスの自動車会社ルノーから最高執行責任者(COO)として送り込まれた。2001年には日産のCEOに就任している。
これまでの報道を振り返ると、大成功を収めた「ゴーン改革」から、不正の発覚、4度にわたる逮捕、保釈中の国外逃亡と続いた「ゴーン事件」に至るまで、センセーショナルあるいはドラマチックな部分ばかり報じられてきた感がある。
確かに一連の出来事や事件はドラマとセンセーションに満ちており、折にふれて単発的に報道されてきたが、ここで流れを整理しておきたい。
そもそもゴーン事件が明るみに出たのは内部告発がきっかけだった。ゴーンの罪は金融商品取引法違反にとどまらず、会社法違反(特別背任)にまで発展した。簡単にいえば、ゴーンは日産のトップという立場を悪用して私腹を肥やしたのである。保釈中の209年12月に中東のレバノンへ逃亡したゴーンは一貫して無罪を主張し、一連の事件をこう断じている。
「これは陰謀に違いない」
「すべて日産の陰謀だ」
しかし彼の罪は明らかである。
長期間にわたってその事実が明るみに出なかったのは、彼と彼の取り巻き連中が巧妙に事を進めたからにほかならない。ゴーンはこう思ったのではないか。
「絶対にバレないはずだったのに、いったいどうして発覚したのか。私のような外国人にコントロールされるのを嫌う日本人、ルノーとのアライアンス(企業連合)の強化を恐れる日本人……。彼らが私を陥れるために、いろいろと根掘り葉掘り嗅ぎ回ったのだろう」
「そうだ、これは陰謀に違いない」
外国人や外国企業にコントロールされるのを嫌う日本人は、日産社内に限らず一定数いるだろう。ゴーン事件について内部告発をした人、内部調査にかかわった人たちの心中にその種の思惑がどれほどあったのか、社長の私さえあずかり知らぬところで始まった調査だから推測の域を出ないが、ゼロではなかったかもしれない。
しかし、内部調査と検察の捜査で露呈したゴーンの背任行為は「法に触れるとは知らなかった」といったレベルではなく、明らかな確信犯だった。発覚した不正行為の悪質さは彼らの想像をはるかに超えていたに違いない。
内部調査の結果を聞かされた時、私は耳を疑った。
当時のゴーンはアライアンス強化に向けて強引さを増していた。そんなゴーンに対して、日産社内で非難の声が高まっていたことも確かだった。とはいえ、ルノー・日産自動車・三菱自動車のアライアンスを率いていくにはまだまだゴーン会長のリーダーシップが必要だと私は思っていたのである。
一部で喧伝された「ゴーンと西川は対立関係にあった」は事実なのか?
しかし内部調査による数々の不正の証拠を見せられ、私はこう思った。
「不正行為があったのは明白な事実だ。これは動くしかない。とんでもないショック、混乱が起きるだろうが腹をくくってやるしかない」
覚悟を決めたのだった。ところがゴーンが逮捕された後、次のような見方が一部で喧伝された。
「ゴーンと西川は対立関係にあった」
そんなことは絶対にない。しかし、その言説はゴーンの主張する「日産の陰謀」説の裏づけにまんまと利用された。私に言わせれば、それこそ陰謀である。
ゴーンが日産の再建に乗り出した後、最初の何年かはパトリック・ペラタ氏をはじめ優れた側近が彼を支えていた。ゴーンに意見できる存在がいたのである。次第にゴーンが偉くなりすぎたのか、周りにはイエスマンが増えていった。
「日産よりゴーンさんが大事」
そう考える取り巻き連中が幅をきかせるようになったのだ。彼らはきっとこう騒ぎ立てたに違いない。
「サイカワはゴーンさんに反対している」
ゴーン改革の優れていた点は素直に評価すべき
そこに日産内の一部の日本人が過剰反応して「ゴーンと西川は対立関係にある」という言説が広まり、ゴーンによる「日産の陰謀」論が増長していったのだ。多くの人の証言や耳打ち、それまでの経緯を総合したうえで、私はそう推察している。
私はゴーン改革からゴーン事件までを自分の経験として一人称で語れる数少ない人間の一人だと思っている。ゴーンの不正そのものは断罪されるべき悪しき行為だった。それは紛れもない事実だ。しかし一方で2000年以降ゴーン体制の下で進められたゴーン改革、特に内なる国際化、リーダー層の人材構成、意思決定、業務プロセスの革新といった様々な経営改革のすべてが不正と同列に扱われ、否定されてしまうことを私は強く懸念している。
不正は不正として明確にする。そのうえでゴーン改革の優れていた点は素直に評価し、改革を進める中で浮き彫りになっていった日本型組織の課題も私の視点で分かりやすくお伝えしたいと思っている。
「なぜ私に一言も報告がないんですか!?」「検察から口止めされていて…」西川廣人元日産社長がゴーンの“巨額不正”を知った瞬間 へ続く 西川 廣人/Webオリジナル(外部転載)
6/25(火) 6:12配信 文春オンライン
2018年11月に日本中を驚かせたカルロス・ゴーン氏の逮捕劇。当時、社長として日産自動車を率いて西川廣人氏は事件をどのように見ていたのだろうか。日産自動車による“陰謀”だったのか? 彼が初めて筆を執った著書 『わたしと日産 巨大自動車産業の光と影』(講談社) (全3回の1回目/ #2 、 #3 を読む)より一部抜粋。西川元社長が振り返る事件の“本質”――。
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ゴーンと西川氏は「対立関係」にあったのか
日産自動車 西川 廣人元社長兼CEO ©時事通信社
今となっては旧聞に属する話かもしれないが、まずは私の視点でゴーン事件を振り返り、事件の本質について思うところを述べておきたい。
私は1953年11月、カルロス・ゴーンは1954年3月に生まれている。日本流にいえば同学年ということになる。
2017年4月1日、私はゴーンの後継として、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。それまで18年にわたって日産を率いてきたゴーンは同日、日産の会長となった。ゴーンの後継としての私の仕事は、2000年から積み重ねてきた日産改革の集大成、次世代への引き継ぎの二つが柱になるはずだった。
ところが、社長就任からわずか1年半後の2018年11月19日、あろうことか会長のゴーンが金融商品取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、私は社内外に広がる混乱の収拾という全く想定外の仕事に追われる羽目になった。
遡ること19年前の1999年、ゴーンは経営難に陥っていた日産にフランスの自動車会社ルノーから最高執行責任者(COO)として送り込まれた。2001年には日産のCEOに就任している。
これまでの報道を振り返ると、大成功を収めた「ゴーン改革」から、不正の発覚、4度にわたる逮捕、保釈中の国外逃亡と続いた「ゴーン事件」に至るまで、センセーショナルあるいはドラマチックな部分ばかり報じられてきた感がある。
確かに一連の出来事や事件はドラマとセンセーションに満ちており、折にふれて単発的に報道されてきたが、ここで流れを整理しておきたい。
そもそもゴーン事件が明るみに出たのは内部告発がきっかけだった。ゴーンの罪は金融商品取引法違反にとどまらず、会社法違反(特別背任)にまで発展した。簡単にいえば、ゴーンは日産のトップという立場を悪用して私腹を肥やしたのである。保釈中の209年12月に中東のレバノンへ逃亡したゴーンは一貫して無罪を主張し、一連の事件をこう断じている。
「これは陰謀に違いない」
「すべて日産の陰謀だ」
しかし彼の罪は明らかである。
長期間にわたってその事実が明るみに出なかったのは、彼と彼の取り巻き連中が巧妙に事を進めたからにほかならない。ゴーンはこう思ったのではないか。
「絶対にバレないはずだったのに、いったいどうして発覚したのか。私のような外国人にコントロールされるのを嫌う日本人、ルノーとのアライアンス(企業連合)の強化を恐れる日本人……。彼らが私を陥れるために、いろいろと根掘り葉掘り嗅ぎ回ったのだろう」
「そうだ、これは陰謀に違いない」
外国人や外国企業にコントロールされるのを嫌う日本人は、日産社内に限らず一定数いるだろう。ゴーン事件について内部告発をした人、内部調査にかかわった人たちの心中にその種の思惑がどれほどあったのか、社長の私さえあずかり知らぬところで始まった調査だから推測の域を出ないが、ゼロではなかったかもしれない。
しかし、内部調査と検察の捜査で露呈したゴーンの背任行為は「法に触れるとは知らなかった」といったレベルではなく、明らかな確信犯だった。発覚した不正行為の悪質さは彼らの想像をはるかに超えていたに違いない。
内部調査の結果を聞かされた時、私は耳を疑った。
当時のゴーンはアライアンス強化に向けて強引さを増していた。そんなゴーンに対して、日産社内で非難の声が高まっていたことも確かだった。とはいえ、ルノー・日産自動車・三菱自動車のアライアンスを率いていくにはまだまだゴーン会長のリーダーシップが必要だと私は思っていたのである。
一部で喧伝された「ゴーンと西川は対立関係にあった」は事実なのか?
しかし内部調査による数々の不正の証拠を見せられ、私はこう思った。
「不正行為があったのは明白な事実だ。これは動くしかない。とんでもないショック、混乱が起きるだろうが腹をくくってやるしかない」
覚悟を決めたのだった。ところがゴーンが逮捕された後、次のような見方が一部で喧伝された。
「ゴーンと西川は対立関係にあった」
そんなことは絶対にない。しかし、その言説はゴーンの主張する「日産の陰謀」説の裏づけにまんまと利用された。私に言わせれば、それこそ陰謀である。
ゴーンが日産の再建に乗り出した後、最初の何年かはパトリック・ペラタ氏をはじめ優れた側近が彼を支えていた。ゴーンに意見できる存在がいたのである。次第にゴーンが偉くなりすぎたのか、周りにはイエスマンが増えていった。
「日産よりゴーンさんが大事」
そう考える取り巻き連中が幅をきかせるようになったのだ。彼らはきっとこう騒ぎ立てたに違いない。
「サイカワはゴーンさんに反対している」
ゴーン改革の優れていた点は素直に評価すべき
そこに日産内の一部の日本人が過剰反応して「ゴーンと西川は対立関係にある」という言説が広まり、ゴーンによる「日産の陰謀」論が増長していったのだ。多くの人の証言や耳打ち、それまでの経緯を総合したうえで、私はそう推察している。
私はゴーン改革からゴーン事件までを自分の経験として一人称で語れる数少ない人間の一人だと思っている。ゴーンの不正そのものは断罪されるべき悪しき行為だった。それは紛れもない事実だ。しかし一方で2000年以降ゴーン体制の下で進められたゴーン改革、特に内なる国際化、リーダー層の人材構成、意思決定、業務プロセスの革新といった様々な経営改革のすべてが不正と同列に扱われ、否定されてしまうことを私は強く懸念している。
不正は不正として明確にする。そのうえでゴーン改革の優れていた点は素直に評価し、改革を進める中で浮き彫りになっていった日本型組織の課題も私の視点で分かりやすくお伝えしたいと思っている。
「なぜ私に一言も報告がないんですか!?」「検察から口止めされていて…」西川廣人元日産社長がゴーンの“巨額不正”を知った瞬間 へ続く 西川 廣人/Webオリジナル(外部転載)