今や知らない方が多いと思うが、静岡県内で最も早く施設された鉄道は、沼津港と沼津駅間を結ぶ蛇松線だったということをご存じだろうか。つまり明治22年に突貫工事により東海道本線は開通するが、それに先立つ物資の補給路として作られたのが蛇松線だったそうだ。従って往時は、ここで船に満載された鉄道レールや枕木などを、貨車に積み替えて、東海道本線の沼津駅の東西に供給していたのだろう。
東海道本線開通後も、現代の様に陸上輸送が主体となるまでには、かなりのタイムラグがあったので、港から沼津駅近くの貨物基地までの蛇松線による輸送は昭和の時代まで続けられた。
一方、東海道本線の開業から、丹那トンネル開通(S9年)までは、東海道本線は沼津から御殿場を経由するのが本線だった。そこで、沼津駅に停車すると登坂用の蒸気機関車の増結や、給炭、給水、各種点検と、かなりの作業が生じたのだった。40年以上前の沼津駅をしる方なら思い出すだろうが、駅の北側は広大な貨物ヤードと扇型の形状を持った機関庫があり、その手前にはターンテーブルが設置されていたことをだ。従って、蒸気機関車主体の往時には、この国鉄沼津機関庫で働く労働者の数は、今の100倍くらいはいたのかもしれない。
そんな蒸気機関車の時代も、丹那トンネルの開通や電化区間の拡大により、排気煙が多く、日常のメインテナンスも大変な蒸気機関車はだんだんと廃れて行き、沼津機関庫も縮小されていったのだった。
以下は今も御殿場線に残る東海道本線時代の遺構のことを記したもの。参考までに。
たまに乗る鉄道と遺構
東海道本線開通後も、現代の様に陸上輸送が主体となるまでには、かなりのタイムラグがあったので、港から沼津駅近くの貨物基地までの蛇松線による輸送は昭和の時代まで続けられた。
一方、東海道本線の開業から、丹那トンネル開通(S9年)までは、東海道本線は沼津から御殿場を経由するのが本線だった。そこで、沼津駅に停車すると登坂用の蒸気機関車の増結や、給炭、給水、各種点検と、かなりの作業が生じたのだった。40年以上前の沼津駅をしる方なら思い出すだろうが、駅の北側は広大な貨物ヤードと扇型の形状を持った機関庫があり、その手前にはターンテーブルが設置されていたことをだ。従って、蒸気機関車主体の往時には、この国鉄沼津機関庫で働く労働者の数は、今の100倍くらいはいたのかもしれない。
そんな蒸気機関車の時代も、丹那トンネルの開通や電化区間の拡大により、排気煙が多く、日常のメインテナンスも大変な蒸気機関車はだんだんと廃れて行き、沼津機関庫も縮小されていったのだった。
以下は今も御殿場線に残る東海道本線時代の遺構のことを記したもの。参考までに。
たまに乗る鉄道と遺構