私の思いと技術的覚え書き

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三島由紀夫氏論じるところの「男らしさの美学」から

2019-12-11 | コラム
 数日前にも記した三島由紀夫氏の論評集のごとき本を読んでいる。既に総エージ500余の2冊目を読み始め1/3程読み進んでいる。そんな中、三島氏論じるところの種々のものごとに、同意を思うところは多い。そして、三島氏論じるところの「男らしさの美学」というのが、考えさせられるし、好きなクルマの外装デザインにも共通するなどと妄想を持ったので書き留めてみたい。

 三島氏は、背広など男の服装を、腹の出た、もしくは猫背の、もしくは干物のごとき干からびたという醜い肉体を如何にゴマカスかという代物だと決めつけている。そして、そもそも東洋における男の服飾は、肉体を隠蔽し、権力を誇示し、裸にしてみれば誰も同じ肉体に、ムリヤリ階級差を興すこすところに生まれたのだ。それはインチキとゴマカシであって、男は支配のためなら、どんなインチキでも敢行する動物だと。そして、権力を表す服飾の必用が生まれた東洋では、上層階級ほど身体の線を露わにしないものが選ばれ、志那の影響を受けた公卿(くぎょう:昔の国の最高執行官職、愚人解釈では現代でも裁判官の黒いマント(法衣)が該当するのかと思量)などは代表的なものだと記している。

 そして、評末には、「男の服装に軍服しか美しいものがないとすれば、服装とは如何にゴマカシも性の特質を、攻撃的戦闘的な男性的特質を表現するものに他ならない。服装とは性的なものだ。服装が性的なものから遠ざかるほど、権力その他抽象性の発現としたゴマカシの技術に充ちたものになっていく。」と締めくくっているのだが・・・。

 これを読んで、なる程なぁという思いと共に、好きなクルマが年々魅力を失いつつあるデザインに変化していることと重ね合わせて発想してしまうのだ。つまり、現在のクルマは、如何に無様な本体をゴマカシ、ある時はギラギラメッキで権力を示し、ある時は女性的とも云えるおよその秘めたる野生を誇示することに終始しているんではなかろうかと思うところなのだ・・・。


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